仕事をしていて最も苦痛な瞬間。それが飲み会のお知らせを受けた時である。
その瞬間から、とあるミッションが課される。いかにして、この飲み会を回避するか、そればかりが頭の中をかけめぐる。
しかし、その時点で答えは、出ているのだ。参加したくない、と。
けれども、参加しないと悪いなあ、とか付き合いの悪いやつの思われるだろうなあ、と決断を下すまでに様々な葛藤が頭を去来する。
そんな私が、一切合切飲み会に行くのをきっぱりやめ、その結果どうなったか。その顛末についてお話ししよう。
私が飲み会に行かない理由
そもそも大人数が苦手である。数人の食事会程度ならまだやり過ごせるが、6人以上とかいう規模になると、もはや太刀打ちできなくなる。
というか、大人数を前にすると、途端に逃げたくなるのだ。
飲むこと自体は好きだ。けれども、気心しれない連中と、差し障りのない会話をつまみに酒を飲んだり、食事をすることにひどく虚しさを覚える。
飲み会が終われば、一体あれはなんだったのだろう、とすら思うのだ。
飲み会というのは時間も金も結構かかる。飲み会1回あたり3時間と5,000円かかるとして、月に3回参加すればこんな感じになる。
飲み会に費やす時間:9時間
飲み会費用:1万5,000円
もはやケチ呼ばわりしても構わない。けれども、この数値を目の前にしたら、もっと他のことできるじゃあん?というかそっちに時間もお金も費やしたい、と思ってしまう人間なのである。
不参加の意思は明確。それでもなぜ悩んでしまうのか
いまでこそ、飲み会に参加しないキャラを確立したが、飲み会を断るときには、いつもこんな妄想にとりつかれていた。
飲み会に参加しないデメリット
- 知り合いを作るチャンスを失う
- 同僚や上司たちとのコミュニケーションを深められない
- 付き合いが悪い思われ、距離を置かれる
こうした不安により、昔はうまく断りきれなかった。今からすれば、昔の自分は飲み会の迷える子羊(ラム)である。ほほえましい。
けれども、そんなデメリットをガン無視し、立派に飲み会を断る成羊(マトン)になってからは、そんなデメリットはただの幻想に過ぎない、と思う。
そもそも大人数の飲み会に参加したって、己の席を移動してみんなに話しかけまくる社交人間でない限り、話すのは少人数である。話す内容だって、同僚の噂や猥談、同僚たちのしがない生活や趣味について聞かされるだけである。
それが、我々が日常的に参加する、一般レベルの飲み会である。
そうした話を吸収することで、その後の仕事上での人間関係はスムーズにいくように見えるし、実際少しはスムーズにいくこともある。ただ、それもわずかな差である。参加しなくとも変わりはない。
飲み会=コミュニケーション促進という幻想
飲み会に参加しなければというプレッシャーを感じている人は、飲み会に参加しないことで生じるデメリットを恐れているのだと思う。
その根幹には、飲み会=職場のコミュニケーション促進、という考えがある。
けれども、酒に酔って上でのコミュニケーションをしたところで、一体何になる。
酒を飲むと本音が出やすくなるから、本音で会話できる、というひともいるだろう。けれども、シラフの状態で本音で語り合えば、別に飲み会は必要ないんじゃないか。
酒がないと、本音で会話もできないといっているようなもんである。
職場のコミュニケーションは、職場で。仕事中にもっと雑談を取りこめば、わざわざ夜の居酒屋に繰り出して、延長戦を行う必要もない。効率的かつ、お財布にも優しい。
就業時間での雑談や、ランチでも十分コミュニケーションはとれるのだ。
いまや、私の飲み会参加回数は年間でほぼゼロになっているが、それによって同僚たちとのコミュニケーションに欠落が生じているとは感じない。
むしろ、職場で積極的に話すことによって、飲み会にいっていた頃よりも、ずいぶんコミュニケーションの質は上がってる、とさえ思う。
だから、飲み会に行けばコミュニケーションがしっかりとれる、なんてただの幻想にしか過ぎない。
そこには、「飲み会教」みたいな信仰心すら存在する。そうした人にとっては、飲み会はコミュニケーションツールとして絶対的で、酒なしではコミュニケーションが成立しないと考える。
飲み会参加への強制力がハンパない日本社会
昔であれば、会社や上司からの誘いは、ほぼ強制みたいなところがあった。今でも、そんな場所はあるかもしれない。
極論を言えば、飲み会にいかないやつは白い目で見られる、ような空気さえある。「やりたいことがあるんで、行きません」などと言えば、大ひんしゅくを買うこと間違いない。
考えてみれば、それは日本独特な部分でもある。
海外で働いていると、同僚の送迎会なのに「今日はゲームやるからパス」だとか「ジムに行くから」という理由で、平然と断るやつがいる。子どもがいる人もだいたい参加しない。
誰もそれについて「あいつ、付き合い悪いやつだよな」と言ったりはしない。そこには、個々のライフスタイルや意見を尊重するという前提がある。
けれども、日本ではそうならない。なぜか飲み会に参加することが、よしとされていて、それに反すれば「悪」みたいな不文律のルールみたいなものがある。
飲み会に行かない=悪、という価値観を疑え
日本には、家庭や趣味よりも仕事の方が大事、という価値観を持っている人も多い。そうした人にとっては、飲み会も仕事。飲み会にいかないことは、仕事を放棄している、とすら映る。
日本における、飲み会参加への見えない圧力は大きい。それは、決して海外にはないものである。そうした環境では、飲み会に参加しないことへの後ろめたさはハンパない。
真面目な日本人は、飲み会が苦手だから克服しなければ、と考える人もいる。
けれども、苦手だったらそもそもやらなくていいじゃないか。
苦手なことをやり続けるのは、もはやドSの極みである。そして、飲み会が苦手で克服したやつなど、私はみたこともない。苦手なことを克服する 時間があるなら、自分の好きなことに没頭していたい。