私は、記憶する限りにおいてはイスラム教=怖い、というイメージをもったことがない。
小学生の時にインドネシアに3年間住んだということもあるのだろう。インドネシアは世界で最も多くのイスラム教徒を抱える国である。
当時、家には住み込みのインドネシア人のお手伝いさんや運転手さんたちがいた。彼らはイスラム教徒であった。
そのころ、小学生だった私には、イスラム教なんてものは知らず、ずいぶんな無礼をかましたなあ、と今になって思う。
ラマダンだというのに、断食中の運転手さんの目の前でお菓子をバリボリ食べたり、犬を不浄な生き物とみなす、イスラム教徒のお手伝いさんに、成り行きで飼い始めたワンコを散歩させたり。
拷問である。
おそらく、密かにクソガキ認定をされていたにちがいない。
おぼろげな記憶をたどるに、イスラム教に対しての唯一のクレームといえば、モスクから流れてくるアザーンである。
明け方なのに、こんな大声を出して迷惑じゃないか。
寝ぼけ眼のベッドで、小学生の私はそう思った。
イスラム教=怖い、というイメージはどこから?
一方で多くの日本人は、イスラム教は怖いというイメージを持っている。
おそらく9.11以降だろうか。ハリウッドでも思いつかないような、あんな惨劇を見せられたら、日本人でなくとも恐怖におののくのは当たり前である。
9.11が起こった時、私はインドネシアから帰国し、日本の小学校に通っていた。クラスでは、お調子者の男子が「ビン・ラディン!」と嬉々として連呼し、半ばお笑いワードと化す現象が発生した。
ひげ面で異邦人感が満載のビン・ラディンの写真は、無邪気な小学生の興味を強くひいたのだ。
そんな能天気な小学生時代だったので、9.11後もイスラム教徒に対するイメージは変わらなかった。
その後、パレスチナ人による自爆テロ、アル・カイーダによるイラクでの日本人青年殺害、邦人3人の人質事件、シリアでダーイッシュ(イスラム国)による日本人2名の殺害事件が起こる。いずれも過激派のイスラム教徒によるものだ。
一連の事件の後も、イスラム教に対するイメージは私の中では変わらなかったが、多くの日本人にとっては、「イスラム教徒=やべえやつら」だと思わせるには十分な出来事である。
9.11で迷惑を被ったイスラム教徒たち
実際に9.11後に影響を受けた、という話を聞いた。その人は、東京港区にあるアラブ・イスラーム学院の設立に携わったサウジアラビア人であった。学院は、文化交流やアラビア語学習などを目的に作られた施設である。
「9.11以降は大変だったのよ。アラビア語を学びたいっていう生徒さんも激減したし、学院を閉鎖しろなんて嫌がらせをされたこともあったわねえ」
イスラム教に対する悪いイメージを払拭しようと、9.11後には不思議な光景も見られた。イスラム教徒は怖くない!と言わんばかりに、日本にいる”フツー”なイスラム教徒たちをメディアがしばしば取り上げるようになったのだ。
しかし、それでもいまだイスラム教徒は怖いと思っている人は、多い。
知らないものを怖がるのは人間の本能
イスラム教徒は世界中で16億人以上ともいわれ、怒涛の勢いでもってして24億人ともいわれるキリスト教人口に近づいている。けれども、日本にはたった10~20万人程度しかいない。しかも、その大半はインドネシアやパキスタンなど海外からイスラム教徒たちである。
どうあがいたって、日本人がイスラム教に接する機会など、ほぼゼロに等しいのだ。そんな中で、テロだの自爆だのというニュースが流れてみい。そりゃ、怖いと思うのが、人間の摂理だろう。
イスラム教徒たちは、本当にやべえやつなのか?
残念ながら、我々が接することができるイスラム教徒の大半は、やばくないのだ。やばいイスラム教徒に会うには、それなりの場所や危険を冒さなければいけない。そんなレベルである。
その辺にいるイスラム教徒たちに、「イスラム教って怖いんですけど」と日本国民の声を代弁してお伝えすると、鼻息を荒くして、必ずこういう風に言われる。
「違う!そもそもイスラームっていうのは、その名の通り平和な宗教なんだよ」
じゃあ、なんで平和な宗教のクセにテロリストとか殺人とかするんだよ、という話である。そういうと、大概の場合は答えにつまる人が多い。
なぜ一部のイスラム教徒は過激になるのか
これは、あくまで私が思う説である。
イスラーム教の聖典「コーラン」というのは、簡単にいえばイスラム教徒としての規範をまとめたものである。イスラム教徒たちは、コーランを「神の言葉」とも捉えている。
1分で分かるコーランの内容。日本人が知らないイスラーム教の教え
コーランの正確な作者は不明。なので、イスラム教徒たちの間では、預言者ムハンマドが、神の使いである天使から啓示を受けた内容をまとめた、ということになっている。
「はあ?」と、ツッコミたいのはわかるが、宗教とはある意味でおとぎ話のようなものである。深く考えずに、そっとしておかれたい。
本来ならば、このコーランに沿ってイスラム教徒たちは、よきイスラム教徒になるために日々を過ごす。しかし、日常生活を送る上で、コーランがすべての指針を示してくれるわけではない。
「これってどうなの?」みたいなケースが結構あるのだ。
例えば、断食月のラマダンでも、日中は飲食をするなかれ、とかいてあるのみ。イスラームにおける断食の基本ルールは、水なり食べ物を口を経由していれてはいけないということである。
じゃあ、つばを飲み込むのはありなのか?プールで泳いで間違って水を飲んだらどうなるのか?うがいはOKなのかという、疑問の答えは書かれていない。
一見するとくだらない疑問だが、ラマダン中は、こうした疑問が真面目に飛び交うのである。
そう、いかに完全無欠であるはずの「神の言葉」とはいえ、あいまいな部分もある。つまり、各々の解釈の仕方によっては、「これは異教徒を殺すのもありなんじゃね?」と捉える人もいる。
そんな解釈をしてそこまでやるか?というのが、大人の常識というものだが、中には本当に実行してしまう人もいる。それが、過激派だのテロリストだのと呼ばれる人々なのである。
誰もがコーランをまともに解釈するわけではなく、中には「普通はこうだろ」というものを普通に捉えることができない人々もいるのだ。
何度もいうが、イスラム教徒の人口は世界で16億人。全員が常識のある共通認識を持てるほど、人間は一律ではない。それは日本人も同じだろう。
イメージは時代で変わる
イスラム教徒=怖い、という考えに対して、私はかなり楽観的に見ている。しょせん、イメージなので時代が変わればイメージも変わる。
1970年代あたりに、日本赤軍が世界各地でゲリラやハイジャックと繰り広げた時代には、日本人=怖いテロリスト、と世界は思っていたかもしれない。
それに、地下鉄オウムサリン事件だって、日本を良く知らない人から見れば、日本人は、狂信的なやつらだと思われたって仕方がない。
ついでにいえば、長時間労働や異常なまでに時間に正確な日本人は、世界からちょっとやべえ、と思われているということも付け加えておこう。
マンガでゆるく読めるイスラーム
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