ニュージーランドでのモスク襲撃事件後、ツイッターを眺めていると、イスラーム教に関する活発な議論があれこれと交わされている。
私などは、「ふーん。こんな風に考える人もいるのか」とのぞくだけなのだが、イスラーム研究者たちは、「ああでもない。こうでもない」と、不毛なツイッターにも丁寧に対処しておられる。
ヒジャーブをかぶれば、イスラーム圏では歓迎されるのか
その中でも、おやっと思ったのが、こちらのツイート。
異教徒が「イスラム教徒の信仰を尊重すること」=異教徒が「ヒジャーブを着用すること」というBBCのリポーターの見解。https://t.co/ttLKrlQjz3
— 飯山陽 (@IiyamaAkari) March 24, 2019
BBCの日本人レポーターが、イスラム教徒への尊重を見せるために、ヒジャーブを着用したという、事象を紹介していたもの。被害者や現地のイスラーム教のコミュニティに対する、精一杯の誠意や同情を見せたつもりなのだろう。
ちなみにイスラーム教徒ではない、ニュージーランドの首相も会見などでヒジャーブをかぶっていて「おやっ?」と思ったものである。
そのことに対して、とやかく言うつもりはない。ただ、仮にヒジャーブをかぶることで、イスラーム教徒たちに遺憾の意を示す、という意味であれば、やや的外れな気もする。
個人的には、わざわざヒジャーブを被らなくとも、言葉だけで十分なのではと思う。逆にバラエティ番組で大きな鼻をつけて、外国人のマネをするこっけいなパフォーマンスのようにも見えてしまう。
そうはいっても、イスラム教徒ってワケわからん
とにかく、イスラーム教徒という恐ろしいようなワケのわからんものを信じている人間は、異教徒からすればよくわからない存在である。正直、扱いづらい。
わからないから、イスラーム教徒にとって何が受け入れられるのか、受け入れられないのか、を考えてしまう。そんな模索する中で出した答えが、ヒジャーブをかぶる!ことだったのかもしれない。
ただ1つ言えるのは、仮にイスラーム教徒と同じような格好をしたところで、それは仲間意識を持ってもらうものにはならない、ということだ。着物をきた外国人を見て、日本人が好感を寄せるようなシステムは、残念ながらそこには存在しない。
一方で、イスラーム教徒でなくてもヒジャーブをかぶっていいのか。失礼に当たるのではないか、という人もいる。どうやら最近のおしゃれヒジャーブをファッション的にとらえて自分もマネをしたい、という意図らしい。
これに関しては、失礼でもなんでもない。どうぞファッションとしてやってくださいまし、である。
イスラーム教徒の女性インスタグラマーの中には、ヒジャーブを信仰の一部というより、おしゃれアイテムの1つとして利用しているんじゃあ・・・?という人もいる。実際に他のイスラム教徒から、その点を指摘されていた。そのインスタグラマーは、結局おしゃれを追求しすぎたのか、ヒジャーブをとることになるのだが。
イスラーム圏を旅する女性が知るべきこと
ただ1つ知っておきたいのは、イスラーム教徒が異教徒をどう見ているのか、ということ。これはイスラーム教徒の男性が、異教徒の女性どう見ているか、に置き換えてもいい。イスラーム圏を旅行される方にはヒントになるかもしれない。
「もうお前は、イスラーム教徒になっちゃったから変な目で見る事はできないけど。それでもやっぱ、俺らからしたら肌を露出している女性とかって、そういう目線で見ちゃうよな」
とある知人のイスラーム教の男性が発した言葉だ。
ん?
一応オブラートに包んでいるが、異教徒で肌を露出している女性に対しては、淫らな目で見てもいい。欲望のはけ口にしてもいい、とも言える。
ちなみにこの人物。怪しいものでもなく、普段の素行を見る限りでは善良かつ健全な人間である。そんな彼が、こんなことをいったものだから、余計に信憑性がある。
ほお。そんな風に見る世界もあったのか。というかそんな視点、思いもよらなかった。新たな世界の発見!と興奮したものである。
というか、そんな風に今までは見てたんかい、とツッコミたかったが、心にとどめた。
同時に、改宗する前に起こった過去の謎が解けていく。
ちょっと化粧をしておしゃれを気取ったら売春婦に間違われ、ヒジャーブをつけず、ジーパンと長袖で普通に歩いていたら、エジプトの中坊に痴漢をされ、半袖でオマーンを歩いていたら、知らぬパキスタン人から「写真を一緒にとろうぜ」と言われ。
すべての謎は解けた。
やつら。結構、異教徒の女性をいやらしい目で見てるじゃん?
自分にとってはありえない考えが、”当たり前”とされる社会も存在する
イスラーム教の考えや社会の雰囲気からすると、異性の目を引くためでなく、自分のためのおしゃれですら、そういう目でとられるのだ。たとえ、本人にその気はゼロパーセントでも。
自分はその気はまったくなくても、あなたを取り巻く世界や社会は別の前提を持っている。
女性の魅力をむやみやたらと公共の場で撒き散らさないために、イスラームの女性は髪なり、肌なりを隠す。そこへ、本来隠すべき魅力を撒き散らす人間が現れたら、人はどう思うだろう。
まあ、いやらしい。ヘンタイだわ。
異教徒からすれば、そんな不条理があってたまるか!と思うが、これは21世紀の話である。男女平等じゃない!などと、のさばってもだめなのだ。信じがたいかもしれないが、実際に私が出会ったイスラーム教徒の中でも、そうした考えが平然と語られていた。
そんなわけで、自分にとってはありえない視点で世界を見ている人も多くいる。その事実を知れば、「ああ、やっぱりイスラーム教ってよくわかんないな」ということがわかるだろう。
むやみやたらと見た目を寄せるだけで、分かり合えるような人々ではないのだ。私は、イスラーム教徒になって初めて、唯一そのことが理解できた。
マンガでゆるく読めるイスラーム
普通の日本人がムスリム女性と暮らしてみたらどうなる?「次にくるマンガ大賞」や「このマンガがすごい!」などでも取り上げられた話題のフィクション漫画「サトコとナダ」。
イスラム教やムスリムのなぜ?が分かる、対談形式のマンガだから分かりやすい!ムスリムの日常や中東料理、モスク、ファッションといったカルチャーまで。イスラーム入門本はこれで決まり!