自称無宗教を名乗る日本人からすると、イスラームの神というのがよく分からない。
「アッラー」とかよくいうけどあれは一体どういうことなのか。
呼び方が違うだけでみんな同じ神様
実はイスラム教が信じている神も、キリスト教、ユダヤ教が信じている神もみな正体は同じである。
宗教が違うし、とりあえず名前だけでも変えておくかということで、それぞれ別の名前で呼ばれているだけである。ユダヤ教は、エホバ(ヤハウェ)。キリスト教はGod。イスラム教はアッラーである。
はたから見るとユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ分断しているように見える。しかし、根本はみな同じ。ムスリムもキリストやモーセの存在も認めている。否定はしていない。けれども、最終的には「イスラーム教ってのは最後にできた宗教なんだ。だから一番洗練されてるんだぜ」とイスラーム教の優位性を語ってくるムスリムもいる。
結局アッラーってどんな感じなの?
唯一神という概念に馴染みがない日本人ならこう思うかもしれない。そもそもアッラーとはどんな感じなのだと?男なのか女なのか。イケてる面なのか。怖いのか、などなど。疑問はつきない。
なにせ神道の世界では、八百万の神が名前まで持っている。最近ではご丁寧に古事記や日本書記が漫画化されて、神のお顔まで想像することが可能だ。
そんなわけで、私はムスリムに尋ねたことがある。「アッラーってどんな感じなん?顔とかないわけ?」。するとそのムスリムは私を哀れむようにみて「アッラーはアッラーだ。人間の分際でアッラーの姿を想像してはいけない」などと返されて答えは霧の中に包まれた。
つまり正体はよくわからないが、ムスリムたちにとっては絶対的な存在であるということらしい。その証拠に彼らは礼拝時には必ず「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と暗唱している。
99の美称を持ったアッラー
さてそんな偉大なアッラーであるが、驚くことに99もの美称を持っているということである。美称というのは我々の生活でいうと、手塚治虫を「漫画の神様」、明石家さんまを「お笑い怪獣」などという感じである。
しかしアッラーの美称は1つや2つではない。99もあるのだ。これにはさんまもびっくりである。例えば、慈悲深き者、神聖者、保護者、信仰を与える者、征服者、恩寵者、全知者、強化者、幽玄者、優しき者といった具合である。
アッラーの美称がアラビア語のカリグラフィーで書かれている。モスクの内装
99もあるので若干かぶり気味なことは否めないが、とにかくアッラーは完全無欠であるということが言いたいらしい。
落ちこぼれも救済するアッラー
イスラム教というと、何やらルールがたくさんありそうで厳しいイメージがある。だからイスラム教のアッラーも大変厳しいお方なのではと思うかもしれない。
しかし意外なことに、アッラーはどんなに落ちこぼれた人間にでも優しい。
戒律が守れなくったって、破ったってすぐ地獄行きが決定するわけでではない。イスラームにおいて、人間は弱い存在。欲望に負けることもあれば、横道逸れることだってある。そこからどうリカバリーしていくか。アッラーはじっと我慢強く人間の善行を見つめるのである。
ずいぶん厳しい神かと思いきや、ずいぶんと慈悲深い。それがイスラームの神様なのである。
マンガでゆるく読めるイスラーム
普通の日本人がムスリム女性と暮らしてみたらどうなる?「次にくるマンガ大賞」や「このマンガがすごい!」などでも取り上げられた話題のフィクション漫画「サトコとナダ」。
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