地元人に聞いた!観光客が知らない宮島のパワースポット神社

何度もこの観光スポット宮島へ足を運んでいるというのに、いつも一見さん観光客と同じ場所しかめぐったことがない。

それはいつも誰かと訪れているからで、観光地に来てはいるものの意識の集中はおしゃべりや人への気遣いにあり、完全に観光地と向き合うということになかったからだと思う。

だからこそ、一人で訪れた今回は、こんな出会いがあったのだろう。

海外での一人旅は、意外な人と出会いがあるから面白い、という人もいる。まさにその通りだ。

日本人を珍しがらない日本人だらけの国内旅行でも一人旅をすれば、意外かつ不思議な出会いがある、ものらしい。

縁とは不思議なものである。

観光客でにぎわう宮島へ向かうフェリーの上。どうやら同じく一人でやってきたいかにもバックパッカーな外人を横目に、厳島神社の鳥居を眺めやる。

あいにくの雨模様であるが、しばらく雨との出会いがなかった人間にとっては、あいにく上等。映画「もののけ姫」の始まりのシーンを彷彿させる、霧で身を隠す山々に囲まれた神の島、宮島へ上陸した。

ガチで神社参りをする地元民ばあさんとの出会い

海外であれば、一人旅をするのにはなんら抵抗はない。が、国内の観光スポットを一人歩くとなると、なんとなく気まずさを感じる。

とりわけ宮島なんていう、現代風の言葉を借りれば、パワースポットなる場所を一人出歩いていると、恋人探しに必死な女が、ご利益を授かろうと、パワースポットめぐりをしているかのように見られかねない。

ここは他の観光客同様、神の使いといわれる鹿を愛でながら、まずは厳島神社へ一直線。

ここは他の観光客と同じコースを回ってもつまらないと思ったので、厳島神社内にある観光客があまり立ち入らない小さな神社を巡ることにした。

その1つが学問の神様といわれる菅原道真公をまつった天神社だ。

とりあえず一票でも多くの有権者の心をつかみたく、選挙区周りをする議員のように、神様の心をつかむため、小さな神社でもとりあえず参っておくという作戦に出た。

観光客であふれる本堂の神様は、一人一人の願い事を聞くのに手いっぱいだが、人が参らない暇そうな神様には、願い事が通じるだろうという、ゲスな考え方からである。

天神社でのお参りが済み立ち去ろうとすると、向こうからばあさんがやってきた。

ちょうど桃太郎に登場するような、まだまだ動けるばあさんである。

高齢者でもない、といっても妙齢のどこかまだ女としての色気を漂わせている感じでもない。だからちょうど桃太郎のばあさん、というのがしっくりくる。

「おやおや、学問の神様に参られているということは学生ですかい」

学生に見られて心が舞い上がるということは、自分もそこそこ歳をとってきたのだろう、と実感する。

「いえ、今日はおみくじを引くために、厳島神社に参拝したんどすえ」

「それはそれは。あなたの両親は、きっと敬虔な人なんでしょうねえ」

ばあさんは、知りもしない私の両親の心得に、えらく感心したようだった。

そして、自分は広島に住む地元民で、神社に参拝するため、宮島に1ヶ月に1回という、粗大ごみ収集と同じぐらいの頻度で、やってきていることなどと、とうとうと語り出した。

そして、私と同じくおみくじを引くのが趣味で、神社参りをする同類に出会い舞い上がったのか、観光客がまずスルーするであろう、ディープなおすすめスポットを次々と教えてくれた。

江原啓之もそのパワーにうなった厳島龍神

宮島観光のメイン、厳島神社を見終わったと油断している観光客の前に現れるのが、「龍神」である。

はたから見れば、単なる石をまつった、さしてご利益がなさそうな場所である。

しかし、ばあさんいわく、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏が訪れた際には、石からかなりのパワーを発していると発言したほど、スピリチュアルパワーがムンムンな石らしい。

普通ならばこういった類のものは信用しない私だが、おみくじ引きという共通の趣味を見出した今では、おみくじばあさんが言うことをいとも簡単に信じてしまう。

宮島へやってくる時点で、目には見えない何かにご利益を授かろうというモードになっていたせいもあるかもしれない。

厳島神社の本殿や平舞台にむらがっていた観光客は一体どこへやら。皆、散り散りとなってその石に参ろうとすらしない。

江原氏のようにパワーは全く感じられないのだが、ここは騙されたと思いばあさんの教えに従って、体を石にあずけ、願い事をする。

体全体で石のパワーをいただくのである。なんかの宗教に入信してしまったようで若干気恥ずかしいが、まあやって損はないだろう。

神様が寂しい!?とつぶやいた金運にご利益がある荒胡子神社

こちらも普通に観光していれば絶対にまわることはない。しかし、こうして参っているのはばあさんのこの言葉が衝撃だったからだ。

「東京に住んでいるあたしの娘が、どうやら”見える”人と宮島にやってきたんだけれどもねえ。その”見える”人いわく、この神社の神様は人が滅多に参らないから寂しいわーとつぶやいていたんだってさ。だからその神社に行ったらすんなりとお願い事が聞いてもらえるかもね」

なーにー!?やっちまったなあ。ここは黙って参るべきでしょ!と心の中でクールポコのギャグを再現してしまうほどに、おいしい話である。

しかし、人が参らないだけあって、観光目印も全くない。

仕方がなくネットでその神社の場所と姿形を検索するとようやく発見。Googleマップにもその所在を明かしていないほど知名度は低い。厳島神社の後ろにあったのだが、これは地味すぎてみんながスルーするのも納得。

とりあえず寂しいとぼやく神様に喜んでいただければ、という一心で参る。

田舎の祖父母の家に遊びにいくライトな感覚で、「神様やってきたよー」と。金運はまあできればでいいですという程度におさえて。

昭和天皇も参拝した天空の神社、御山神社

こちらは偶然発見した神社。おみくじばあさんのおすすめではない。

きっと桃太郎ばあさんだからここまでやってくる体力の余裕はないのかもしれない。とすれば、体力のある若者限定で訪れることのできる神社だ。

弥山の山奥にあり、神社までの道もあまり舗装されておらず、スルー確実な神社である。前述したように一票でも多くの有権者という名の神様のハートをつかむのが目的なので、神社あらば必ず参る。

観光客であふれる宮島によもやこんな場所があったとは。

断崖絶壁に位置するギリギリの神社からの景色はまるで、シータとパズーが天空の城ラピュタに上陸した時のよう。あれ?竜の巣を乗り越えたら穏やかな天空の空気に包まれているぞ。

これぞ天空の神社といっても過言ではない。

そんなひとけのない神社ではあるが、皇太子殿下(昭和天皇)が参拝したという石碑が建てられており、天皇というネームバリューに底上げされて、そこそこご利益があるのだろう、ということをうかがわせる。

いやむしろこの場合は、こんだけ苦労して参拝したんだから何かごほうびが欲しい・・・と無意識に感じる人間の承認欲求を「天皇」という、神々しい名をもってして、満たしているだけなのかもしれない。天皇も参拝した価値ある神社に自分は参っているのだと。

しかし、ご利益よりもこの景色は、厳島神社の鳥居と比べても遜色のないぐらい圧巻だ。宮島観光局すらもおすすめするのを忘れている。

この「天空感」は感覚なので実際にいった者にしか分からないだろう。

 

おみくじばあさんは、ひとしきりこれらのスポットについて語ったあと、

「あたしは、ここの天神社でいつもおみくじをじっくり読むんだよ」

といって聞いてもいないのに、おひとりさまのおみくじの楽しみ方を披露する。運がよければあなたも宮島でおみくじばあさんに出会えるかもしれない。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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