なぜドバイはつまらないと感じるのか?在住者による考察

ドバイに来る人は主に2パターンに分かれると思う。トランジットでまあちょい見するかというついで派、という人とドバイ大好き!いってみたい!とドバイを目的地にする人だ。

私は初めてドバイに来たのは、トランジットだったが、予想通りの「つまらん」場所だなというのが印象だったので、ドバイ大好き!という人のドバイ愛がいまいち理解できない。

なぜ私はドバイをつまらないと感じるのだろう。

一体何がドバイ支持派と、そうでない派を分けるのかを考えてみたい。

お金を持っている人だけが楽しめるシステム

世界一高い高層ビルにのぼって、7つ星ホテルでアフタヌーンティーをして、世界一大きなショッピングモールを堪能。メディアはドバイがいかにきらびやかかということを紹介するのに忙しい。

地球の歩き方をみてもショッピング、スパ&マッサージ、スパ&アクティビティなどに分かれ、見どころに関するページが6ページなのに対し、こうした消費系アクティビティは12ページにわたり紹介されている。

とりあえず、すごいものをみたい!豪華な体験をしたい!ショッピングをしたい!という人には最適だろう。ついでに言えば、旅行にそこそこ金をかけられる人である。

極端に言えばドバイはお金がなければあまり楽しめない場所である。何かにつけてお金が発生する。

逆に言えばお金を使って楽しむところなので、お金というガソリンがなければドバイ旅行を楽しむのは難しいだろう。その意味で、世界中のセレブ達が訪れていることに納得が行く。

一方で、金を使い物質的な消費に対してあまり幸福感を感じない、低欲望社会の一員である私は、いまいちそこに価値を見いだすことができない。

ドバイモールをみてもふーん、世界一高いバージュカリファに登ってもふーんというぐらいである。

逆になぜ、皆がそこまでして高いところに上り、興奮するのかがよく分からない。

またドバイでは、お金さえ出せばいろんな体験ができるようになっている。

パラシュート、デザートサファリ、イルカとのふれあい体験、ウォータースライダー、釣り、ダイビング、スキーなどなど。

あげればキリはないがドバイ株式会社は、金にものをいわせてあらゆる体験プランを用意している。

こうした体験もわざわざ高額を払ってまでドバイで行う必要があるのだろうか。他の国でも同様のアクティビティがあるし、そちらの方が値段もリーズナブルだ。

とりあえずドバイという名のもとに、すべてのものが高値で設定されているように感じる。また、逆に「本場」でもないのに、無理やりそのようなアクティビティを提供している姿は、ぎこちなさを感じさせる。

文化や歴史に物足りなさを感じる

旅行の醍醐味と言えば、歴史的建造物をみることやその土地の文化を知ったり、現地の人とおしゃべり・・・といったことをあげる人もいるだろう。私もそういった人間の一人である。

この点についてドバイはどうか。

1971年にアラブ首長国連邦として独立。それまでは真珠産業でほそぼそやっており、あたり一面は砂漠だった。

短期間で急激に成長し、「ドバイドリーム」という言葉まで出る経済的な成長がある一方で、個人的にはあまり文化や歴史に深みがないと感じている。

もちろん歴史や文化はそれなりにあるのだが、それを示すものがあまりにも少ない。いや、そもそも深みがないために示すことも難しいのだろうか。そういった意味で、この国の歴史や文化に触れる機会はかなり少ないと思う。

それに加え、とにかく他の湾岸諸国からのマネーを流入させるという意図もあって作られたこの町は、徹底的な消費主義を追求している。

歴史や文化は消費主義とは対にあるものだ。消費以外のことをしたい、と考えた時にドバイは、そうした要望には応えられない。

コスパが微妙

日本に比べると、ドバイは何をするにしても、圧倒的にコストが高い。奇跡的に楽しいと思う瞬間があっても、かかったコストを考えると我に帰ることが結構ある。

特にコスパパラダイスな日本の生活に慣れてしまうと、ドバイイチオシのアクティビティもそれほど楽しいものではなくなってしまう。

また、酒飲みとドバイは相性が悪い。なぜならビール1杯が1,800円もするからだ。金額にたまげて、酔う前に冷めてしまう。料理自体もレストランであれば、日本の2倍ぐらいはする。また、団体行動者が多いので量も多く、一人旅の場合だと、かなり食事にコストがかかることになる。

というわけで、コスパを気にしすぎると、何もできない。それがドバイである。

町歩きができない

ニューヨーク、ロンドン、東京、北京といった都会と言えばとにかく建物が集中していて、人々の生活の息づかいがすぐ横で聞こえる。しかしドバイでは、「町歩き」というものができない。

一体なんなんだろう、この違和感は。建物のサイズがとにかく大きすぎる。建物と建物の間にはところどころ、ミニ砂漠がひょっこり顔を出している。かなりゆとりを持って巨大な建物を次々に立てたためか、店が並んでいる、といった表現はまずこの町には適さない。

まるで車が一番偉いというかのように、道路の存在感が大きく、歩く奴なんているの?といわんばかりに歩道なんてものはない。とはいっても歩く人もいるのでしょうがなく、車がビュンビュン通るところを無理やりつっきるしかないのだ。

これでは「町歩き」どころではなく、命の危機を感じるばかりである。そればかりか自分が巨大なビルのジャングルに迷い込んでしまった小人のような錯覚すら覚える。

というわけで、文化や歴史を見に来ました!という人にとっては、やることもみることもないので、つまらないと感じるのだろう。

また消費に興味がない人にとっては、ドバイモールもバージュカリファも意味はなさない。

というわけで必然的にドバイのトップ観光地が消える。町歩きもできない。

その結果、特に見るものはないという、手持ち無沙汰な状態になってしまう。これが、つまらなさの要因だと私は考える。