月曜日の授業中。あれ、なんだか体が痛い・・・しかも熱っぽい。意識が朦朧とする。
まさかオミクロンというやつなのでは・・・?
カラチ生活3週間目にして、ついに体が悲鳴をあげたらしい。
そのまま家に帰り、こんこんと眠ること20時間。すっかり回復した。なんであんなことになったんだろうと、眠りながら考えていた。
数時間で体力が奪われる
そういえば、土日はずっと外出していた。カラチでは3月になると暑さも増し、日中外に出ることも困難になる。よって、アクティビティをするなら、なる早でこなさなければならない、という焦りもあった。「冬が来る前に食料を確保せねば!」とせっせと食料を蓄えるリスのごとく活発に動いていた。
外出していたのはせいぜい4時間程度である。しかも、車移動がメインなので、歩くといっても1時間程度である。しかし、なぜだろう。カラチで外出するとひどく疲れる。家に帰ってきた時には、とんでもない眠気が襲ってくる。体が強制的にシャットダウンさせようとしているらしい。
日曜日はエアビーのホストとともに、カラチの町探索に出かけていた。たった5時間程度の外出だったが帰ってきたときには、体力は文字通りZERO。数分後には、巨大なテディベアのごとく、椅子にもたれかかって死んでいた。
あの時の疲労は、キリマンジャロ登頂時よりもひどかったと記憶している。なにせ体がまったく動かず、とんでもない眠気に襲われる。体も必死なのだろう。「やべえ!ここで寝て体力を回復させないと死ぬ!」と。聞いたこともない体からの必死なサインに、こちらも驚く。
体力を酷使する都市カラチ
新しい国での生活だから疲れるのは当たり前じゃん?と思うだろう。私も当初はそう思っていた。しかし、他の国であれば数日でいつも通りの生活ができたのに対し、カラチ生活はいつまでも軌道に乗ることがなかった。
ラホール(日本で言えば京都みたいなところ)からカラチに引っ越してきたパキスタン人クラスメイトも、カラチ生活の過酷さについて吐露した。
「今までトロントやロンドンみたいな大都市に住んできたけど、カラチは違う。家にいても道路の騒音がひどいし、すぐ横にはモスクがあってアザーンが朝っぱら聞こえるし・・・」
そう、メガトン都市カラチは、だいたいどこにいても24時間騒音にまみれている。公共の交通機関が発達していないせいか渋滞がひどく、町は常にスモッグや砂が舞っている。おまけに、家の作りも雑なので、立派なビルに見えても防音効果は低い。
現地のパキスタン人でさえこうなのだ。
推測するに、同じパキスタンでもメガトン都市カラチは別なのだろう。人口の多さにインフレ整備が追いつかず、その結果かなりの汚染都市が出来上がってしまう。そこは人間が生活するのには過酷すぎる場所なのだ。
そう。パキスタンとその他の国ではなく、「カラチか、カラチ以外か」というのが正しい命題である。
「カラチに来てすぐラホールに帰りたくなったけど、帰ったところでどうにもならんしねえ・・・」
と先のクラスメイトがこぼす。カラチ2日目に私が感じた感情と同じである。そう、カラチは新参者を絶望に追いやる絶望都市でもあるらしい。
野菜不足による不調?
カラチに来て以来、激辛料理が続いている。なぜだか知らないが、パキスタン料理の8割は激辛である。現地のスーパーで日清のラーメンを見つけたのだが、4種類ほどあるラーメンはすべて「激辛」だった。日清もパキスタン=激辛料理の国とみなしているらしい。
もともと辛い料理が好きな人間なので苦ではない。しかし、パキスタン料理を食べ続けること約1ヶ月。コメ、パン、肉、カレーしか食べていないことに気づく。
その結果、ついに己の体からスパイスの香りが漂うになった。
OMG
それより深刻なのは、野菜不足による身体への影響である。激辛料理を食べ続けているのも体に悪いんじゃないか・・・そんな体への心配はつきない。
<注意:以下はグロい描写が含まれているため、苦手な人は読み飛ばすべし>
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衝撃映像に出くわす
新しい国や町へ訪れた際に、必ず訪れるのがマーケットである。マーケットに並ぶ新鮮な野菜や果物を見るのも楽しいし、何より活気にあふれている。
しかし、カラチのマーケットは一味違った。
カラチでも歴史あるエンプレスマーケットへいった時のこと。イギリス領だった時代に作られた建物を利用したマーケットというだけあって、建物だけを切り取ればそこはロンドンである。「うわあ・・・なんか楽しそう」と、建物につられて中へ入ると、野戦病院みたいな光景が広がっていた。
ひえっ!?
確かに食料品や生活雑貨が売られているマーケットなのだが、見たことのない大量のハエがBUNBUNと飛びまくっている。
マーケットに入って右端にある精肉コーナー入り口を見ると、そこには衝撃の光景が広がっていた。
ハエの壁!!!
通常であればハエなんか怖くない。しかし、ハエがスイミーの法則に基づき、ハエの壁を形成していた。この壁を突破するぐらいなら、歌舞伎町の地面をなめた方がマシだ・・・というわけで、精肉コーナーには入れず。
入り口横で鶏肉を切っているおじさんのズボンには、びっしりとハエがついており、ハエズボンと化していた。
ぎゃっ。もう逃げたい
そこに広がっていたのは、特殊清掃の現場さながらの光景だった。
しかし、ハエがBUNBUNしている中で、友人は普通に買い物をしているので、ダッシュして逃げるわけにもいかず、ただそこにとどまるほかなかった。
過酷さの原因
カラチ生活は、便利、不便で語るレベルのものではない。決定的にこれが大変!というわけではなく、小さいことの積み重ねなんだろうと思う。
外に出れば物乞いや貧困、児童労働という映像が流れてくるし(珍百景みたいなおもしろ映像もある)、道を歩けばゴミや汚染水を避けながら歩かなければならないし、時には車やバイクの往来激しい道路を突っ走らなければならない(他の国であれば、人が歩いているということで減速してくれるのだが、カラチはその気がなく、むしろ人をひいても大丈夫ぐらいの勢いで迫ってくる)。
普通に外を歩きたいのだが、そこはSASUKEばりのアトラクションが待ち構えているのである。
システムがないから周りの人々が支えてくれる。しかし、逆をいえば何をやるにも人ありきなのである。パキスタンの人々は一般的にホスピタリティにあふれているが、内向的で一人が好きな人間にとっては、何をやるにも人を介さなければいけないことに、ちょっと疲れる時もある。気づけばカラチ生活初日から、通常の100倍ぐらいのコミュニケーションを人々ととっているのであった。
生きるのに必死
1日の脳内をまとめるとこんな感じだ。字が汚いという感想はさておき、その中身に注目いただきたい。
正直いうと、アートを学びに来たのに、アートどろこではないのである。生きるのに必死で、クリエイティビティなんぞちっとも湧いてこない。こんなに過酷な都市で、アートをやろうなんてどうかしてるぜ、としみじみ思う。
人間の生存活動に直接関与しない学問、アート、イノベーション、娯楽といった高度な活動は、基本的な生活が充足して初めて可能となる。現代につながる学問や真理を発見した古代ギリシャの生活って、相当充実していたんだろうなあ・・・としみじみ思うのであった。