天理市は本当にやばいのか?日本唯一の宗教都市へ行ってみた

日本人の多くは、自分たちは無宗教だとのたまう。

しかし、ここ日本には宗教に突き動かされるアツい都市が存在する。それが奈良県にある宗教都市、天理市である。

天理市を訪れたのは、宗教都市だからというよりも、「千と千尋の神隠し」の世界を体現するような巨大な建築群がすごいと言う噂を聞きつけたからである。

謎の巨大建築群の正体は何なのか。そして、日本唯一の宗教都市とは一体どんなものなのか。その実態を探るべく天理市に向かった。

訪問者をあたたかく迎える天理駅

観光のスタート地点となる天理駅は、奈良駅から電車で約20分。JRの電車は1時間に2本ぐらいしかない。天理駅を降りると、すぐさま宗教都市らしいかほりが漂う。

天理駅
JR天理駅を降りると、ポエムらしきものが目に飛び込んでくる。


駅のプラットフォームにある団体専用の降り口。祭典などの日には、全国や海外から信者が集うため、団体専用の改札口や待合場所などがあった。

天理_ようこそおかえり「ようこそ おかえり」の文字が出迎える。

天理市では、「おかえりなさい」という言葉をよく見かける。どういうことか。ここ天理市は、天理教の聖地で、天理用語では「ぢば」と呼ばれる。

天理教の世界観においては、この「ぢば」こそが、神様が人間に魂を吹き込んだ場所という設定になっているので、生まれた場所に戻るという意味で「おかえりなさい」と言うのである。

は?

と思われるかもしれないが、宗教においては独自の世界観や設定が満載なので、そういうもんだということにしておこう。

宗教名が地名になった天理市

天理の地名は、宗教名から来ている。もともと、天理教の教祖である中山みきの故郷である丹羽市町があったのだが、昭和の大合併に伴い「天理」と言う地名になったのである。

駅を出ると、見えてくるのが天理本通りである。教会本部へと続く約1キロの商店街アーケードである。

普通の商店街と思いきや、天理教ブックをメインに扱う書店や神具店など、天理グッズがいたるところで販売されている。商店街というよりも、門前町というべきかもしれない。

周辺には、甲子園でよく聞く天理高校や天理大学など、教育機関が多く存在する。商店街を歩いているのも、学生が多く、不動産屋では大学の新入生向けプランなどを展開していた。ちょっとした学生街のような雰囲気もある。


教会本部へと続く天理本通


商店街に点在する神具店。天理教の人々だけでなく、近辺の神社関係者なども利用するという。


商店街の中でもひときわ目を引いたセレクトショップ。

天理教の本屋
商店街には一般の書店もあるが、こうした天理教に関する書籍をメインで扱う店もあった。布教用のチラシや天理グッズ、布教エッセイなど、天理感満載な本屋である。


アーケードには、地元密着型のお知らせが貼られていた。

天理スタミナラーメン
天理に行ったら食べたいご当地の天理ラーメン

天理カレー
ちびっこ向けの天理カレー。巡礼イベントで出されるカレーを再現したものらしい。

天理教は1838年の幕末に始まったいわゆる新興宗教の1つである。戦前の最盛期には信者数が450万人以上おり、かなりの勢力を誇っていた。

天理教にも、イスラーム教のメッカ巡礼のように、教会本部へ参拝することが推奨されている。「ぢば」へ帰るという意味で、「おぢばがえり」と呼ばれるものだ。

夏には、ちびっこを対象とした一大イベントが「こどもおぢばがえり」というものがあり、参加人数は20万人を超えるという。ドームでコンサートをやるアーティストもびっくりな動員数である。

こうした宗教における巡礼系イベントは、アイドルコンサート並みにお金も動く。巡礼地へのツアーパッケージしかり、ホテルしかり、地元の飲食店しかりである。

そう。こうした大量の信者が参拝にやってくることで、この商店街にお金が落ち、町全体の繁栄につながったのである。

天理をさらに宗教都市たらしめるのが、宿泊所の多さである。天理の街を歩いていると、「詰所」や「池田」「郡山」と言ったような地名らしき名前が書かれた看板をよく見かける。

これらは、参拝者の宿泊所である。おそらく全国に散らばる教会地区の名前と連動しているのだろう。地図を見てみると、それが一層明らかである。天理駅周辺は参拝客向けの宿泊所でびっしりとうまっているのである。

おやさと案内図
信者向けの天理マップ。本屋で無料配布されていたもの。不思議な地名の建物が点在していることがわかる。

天理教の詰所
アーケードから詰所につながる通路とその近くに立っている天理人。

天理教の詰所_池田
池田と書かれた参拝者専用の宿泊所。こうして地域ごとに宿泊所を設定するのも、同じ地域のほかの信者たちと連帯感を強めるためなのだろう。

さらに天理ワールドを演出していたのが、はっぴを着た信者たちである。はっぴには「天理教」と大きく書かれている。どうやらはっぴは、天理教の制服みたいなもんらしい。

ひえっ?

みずから天理教信者であることを、堂々アピールしているではないか。隠れキリシタンとは大きな違いである。

渋谷を歩いていそうな若者からおじさん、おばさんまで、皆このはっぴを着こなしているのである。

彼らの表情には、なんのためらいも恥じらいもない。あまりの堂々たる着こなしに、天理教はっぴがオシャレ着に見えるほどである。しかし、天理駅を離れるとはっぴを着た人もいなくなる。はっぴは、天理市限定で着ているのだろうか。

アーケードを歩いていると、はっぴを着た青年が「こんにちはっ!」と挨拶をしてくる。清々しい。声がけ運動も何か信仰の一環なのだろうか。天理教では布教も責務となっているようで、駅周辺では天理人と思われる人にチラシをもらった。けれども、それ以上は何も言及することはなかった。

天理はっぴを着た通行人
はっぴを着た通行人。なんとなく文化祭のような祭り感が漂う。

天理教おつとめ着
はっぴの他にも、特別な時に着るおつとめ着が各所で売られていた。

圧巻の巨大建築群

そしてアーケードを半分ほど行くと、巨大な建築群が見えてくる。その1つが、天理駅周辺の中でも特に巨大な宿泊所である。

天理教宿泊所

そして天理大学や天理小学校などが集まった巨大な複合型施設がこちら。

天理大学

天理市は本当にやばいのか?実際に行ってみた

信者以外も入れる教会本部

30分ほどアーケードを歩くと、天理教の教会本部にたどり着く。そこには奈良の大仏もびっくりなスケールの建造物が広がっている。

本部前の駐車場には参拝者の車が停まっており、ナンバーを見るからに皆遠くからはるばる来ているのだということがわかる。教会本部には24時間オープンしており、誰でも入れる。ただ内部の撮影はNG。

天理教の神殿3

天理教の神殿

天理教の神殿4

天理教の神殿2

教会本部の建物は、信者たちが祈る神殿、祖霊殿、教祖殿からなる。天理教においては、教祖中山みきは、まだ生きており、この教祖殿から人々を見守っている・・・という設定になっている。

さらに、教祖にはお付きのものがおり、三度の食事の準備やお風呂を沸かすといったお世話までしているという。宗教には、現実と物語が混在しているので、どうも分かりにくい時がある。

中へ入ると、大きな畳の部屋に座り、何かを唱えながら、手を動かす人々の姿があった。さらに横に伸びる長い廊下では、ちびっこやおじさんが雑巾がけをしていた。ははあ、どうやら神殿を掃除してから、礼拝に入るらしい。

天理の人々はとても几帳面に見えた。挨拶もハキハキするし、掃除もするし。

さらに驚いたのが、雨の日の作法である。その日は、雨だった。神殿手前でみな靴を脱いでいるのだが、傘の手もとの部分を神殿側にし、靴の間にちょうど挟まるようにしている。一人だけではない。参拝に来ている人々はみなそうしていた。


再現するとこんな感じ

ピシッと並べられた傘と靴のセットを横目に、己の靴を見てみる。つま先の方向がバラバラである。信者でないことが一目瞭然だった。

宗教都市の行く末は・・・

そして神殿から再びアーケードを通って駅へ戻る。来た時は気づかなかったが、はたと冷静になってみると、なんともわびしい商店街である。昭和の時代にタイムスリップしたような感覚に陥る。

シャッターの多さだけではない。いったい誰が買うんだろう?という品ぞろえに、手書きのプライスカード。昭和の商売がそのまま残っている。

天理本通り

宗教年鑑によれば、天理教の2020年の信者数は、約120万人。最盛期の4分の1近くまで減っている。戦時中の宗教弾圧や1990年の地下鉄サリン事件で大きく減り、今も減少傾向をたどっている。

天理本通りのアーケードは、それを反映していた。これも宗教都市の運命なのだろう。宗教が盛り上がれば、都市も栄える。宗教が衰退すれば都市も衰退する。

天理の町は、メッカやエルサレム、カルバラーなど世界の宗教都市の盛り上がりとは大きく違った。

人通りの少ないアーケード通りを、はっぴを着た天理人たちが行き交い、「こんにちは!」と大きな声がこだまする。それでも、陽気なはっぴと掛け声では埋められない、空虚な空間がそこにはあった。

参考文献
宗教年鑑令和2年版
「宗教都市」天理市の誕生 ――その問題点と市町村合併史上の意味――
ブログ「今日も信仰は続く」←天理教の教会に勤める方の稀有なブログ