人付き合いが苦手な人間として、私は最近までいかにそれを克服するか、どうすればもっと社交的になれるか、ということばかりを考えていた。
トークが上手くなる本や、人付き合いがうまい人間を観察したり。時には、誘われたら基本は断りませんよ★とかいう社交的な人間のポリシーをマネして、精神がズタボロになってみたり。今となっては良い思い出である。
人間の本質を変えようなんてムリ
人付き合いの下手さに悩んだり、それを克服しようとした時間は、おそらく英語学習に費やした時間よりも長かっただろうと思う。
けれども、時間を費やした割に、一向に改善されないどころか、もう重度のコミュ障なんじゃないかとすら思うようになった。
様々な試行錯誤の末、私が出した結果は人間の根本は変わらない。というかむしろ変えたくない。という結論に至った。
そんなわけで、私が次に起こした行動。それはプライベート上の人付き合いを一切やめてみることだった。押してダメなら、引いてみる作戦である。
人付き合いをやめたらスッキリした
以前は、飲み会や遊びに誘われたら、憂鬱だなあと思いながら社交的な自分を演じるため、「行きます!」などと言っていた。
実際に行ってみると、ちょっとは楽しいのだが、やっぱり解散後にはどっと疲れているといったパターンだ。
けれどもそうした誘いをすべて断るようになってからは、プライベートの時間やお金をすべて自分のための使うことができるようになった。はたから見れば、ひどく付き合いが悪い人間だと思われるだろう。
けれども、人付き合いが苦手な人間にとっては、他人と過ごす時間や他人といること自体が苦痛だったりする。
相手に合わせたりすることに違和感を覚えたり、他人のうわさ話や身の上話を聞いたり、語ることにあまり意味を見出すことができない。
自分のお金や時間を削ってまで、苦痛を味わうなんぞとんだマゾヒストの行為である。
そんなマゾ行為をやめてから思うのは、ずいぶんと無理をしていたんだろうなと思う。飲みたくない酒を飲み、他人に気を使って食事をする。
自分が正しいと思うことや率直な感想ではなく、相手が喜びそうな切り返し、場を盛り上げるための最善の一言・・・それはそれはもう・・・
苦手なことに時間を費やすのは無駄。長所に集中せよ
大半の人は、自分が人付き合いが苦手だと思ったら、それを克服しようとする。けれども、それがなかなか上手くいかない。
苦手だなあ・・・と思いつつもだらだら人付き合いを続ける。だから悩み続ける。
かつての私もこの無限ループにハマっていた。生活は決して楽しくない。
けれども、いざ自分が人付き合いが苦手な人間であると自覚し、苦手な人付き合いを断ち切ってからは、ずいぶんと楽になった。人付き合いが苦手な自分や人間関係で悩むことがなくなったのである。
同時に自分の長所にも目を向けるようになった。私は人付き合いが下手だが、何かを掘り下げて分析することが得意であるといったように。自分を知ろうと思うなら、「16 Personalities」と呼ばれる無料性格診断がおすすめだ。
無料だからといってあなどってはいけない。怖いぐらいに自分のことを言い当ててくるので、私なんかは診断結果を見たときには椅子から転げ落ちそうになったぐらいである。
関連記事:当たりすぎて怖い!最強の無料性格診断「16 Personalities」とは?
人には必ず長所、短所がある。ある程度の年齢になると、身にしみて感じるのだが、短所を克服するほど、人生の時間は長くないということだ。
人付き合いが苦手=ダメ、という価値観を疑え
今でこそ、発達障害や内向的人間に関する著書が出てくるようになった。しかし、依然として人付き合いが苦手=欠陥がある状態、すなわち克服が必要だとする考え方がまん延しているのではないか。
それは一方で、人付き合いが良いもしくは社交的である方が、よいという価値観があるからだ。
しかし、なぜ社交的である方が良いのか?
人脈が広がるから?
個人では知り得ない情報を手に入れることができるから?
コネを使えるから?
なんとなく社交的である方が、「特典」が多いように見えるが、それは社交的であることが絶対的に優れている、良しとするには不十分だ。
むしろ良し悪しの価値観なんて、時代や社会によっても異なる。それほど脆弱なものなのだ。
だからこそ、まずは人付き合いが苦手=よろしくない、という価値観に疑問を持つべきではないだろうか。その価値観から離れることができれば、別に克服なんかしなくても良くね?と思える。
むしろ、カレーが好きなんです、オムライスが好きなんです、というレベルで人付き合いが嫌いなんです、とあっさり言ってしまった方が楽だ。人付き合いが苦手でもそれに対して良し悪しを決めることは、意味をなさない。
人付き合いをやめても失うものはない
人付き合いを断つことに恐れがあったのも事実だ。けれども、実際にやってみると、それほど怖いものではない。
ずいぶんと孤独になるんだろうな・・・と思ったけれどもそれも違った。私は物理的に一人という状態では、孤独を感じない。むしろ孤独というのは、大勢の中で一人や数人でいることによって感じるものらしい。
人付き合いをやめたといっても、誰とも話さないわけではない。固定の人付き合いはなくなったが、その分これまで話さなかったような人と話す機会が増えた。昔は同じコミュニティや人間関係の中で、絶えず同じような会話を繰り返していたのだと思う。
そんな流動的な人間との関わりの中、今では自分がやりたいことや好きなことが全力投球でできるので、充実している。もっとはやく、このことに気づきたかった。
人付き合いをやめて数年後・・・
以下は、この記事を書いてから数年後の手記である。人付き合いをやめてから約3年後。その後どうなったのか。相変わらず、私は人付き合いなるものもしていない。
数人の親しい友人をのぞけば、ほとんど連絡が来ることはなくなった。ラインには、家族しか登録されておらず、ほぼ使わないアプリとなっている。
リアルだけでなく、オンライン上の有象無象な人付き合いも断ち切るため、SNSもやめることにした。顔も知らない人々の人間関係に巻き込まれたりするのは、ゴメンだからである。
はたから見れば、孤独な人生を加速させているように見えるかもしれない。
けれども、人生の充実感は高まっている。
自分のやりたいことや考えたいことに集中できる。人付き合いが苦手な自分に悩んだり、誰それがどうのなどとと愚痴っている時間があれば、自分の好きなことをやりたい。
無理に友達を作ろうとして、微妙な友人関係を築いていた学生時代の自分に、言ってやりたい。友達や人付き合いなんて無理にやんなくていいんだぞ、と。
繊細さんや内向型の本も増えてきているし、コロナの影響もあって、人付き合いが苦手な人にとっては生きやすい世の中になっている。絶対的な価値観というのはない。人付き合いが苦手=悪い、克服すべきなんて誰が決めたのだろう。
社会や時代の空気なんていうのは、変わりやすい。だからこそ、変わりやすい価値観に左右されずに、自分の人生を生きたいものである。
人付き合いが苦手な人は、内向型だったり繊細さんだったりする。これらをよく知れば、ずいぶんと人生がラクになる。人付き合いが苦手なのは、自分に落ち度があるわけではないと教えてくれるからだ。
以下は私が実際に読んで、助けになった本たち。読後には、自己肯定感がぐっと上がる。内向型の本は、AmazonのKindle Unlimitedの無料体験を使えば無料で読めるのでおすすめ。