アラビア語学習の葛藤【イスラム教徒はつらいよ】

散々アラビア語は難しい、嫌だ!と言ってきたが、もはや避けきれない状況になってしまった。別の記事(イスラム教に改宗する前に知っておきたかったこと)でも書いたが、ムスリムにとってアラビア語は必須科目なのである。

小学生になれば英語が必須科目。嫌でも苦手でもとにかくやらなければ、立派な小学生にはなれないのである。そうした現代の小学生のごとく、ムスリムになればアラビア語ぐらい話せないと、立派なムスリムになれないのである。

当初、私はアラビア語が必須だと聞いて、この事実を無視しようとしていた。つまりは、ムスリムでありながら「別にアラビア語なんてできなくてもいいじゃん?」という姿勢を貫こうとしていたのである。

けれども、周りのパイセンたちがそうはさせてくれなかった。ムスリムになるやいなや、「もう祈りの決まり文句ぐらい覚えたの?」といった圧力をかけてくるようになったのである。

ムスリムになった当初は、「わ〜おめでとう!これでもう俺たち兄妹だな」とほほえましい、言葉をかけてくれたパイセンが、今や「おめえ、アラビア語勉強してんのか?」というチェックを入れてくるようになったのである。

これは計算外だ。

私は密かにアラビア語は投資利益率が非常に低い言語だと思っている。それこそが、アラビア語学習を渋る理由だ。つまり、勉強したわりに得られる成果が少ないということである。もちろん”成果”は人によって異なるが。

簡単に説明すると、アラビア語は「フスハー(正則アラビア語)」という書き言葉を学び、その上で、「アーンミーヤ」という話し言葉を勉強しなければならないのだ。

「フスハー」は、書物やニュースで主に使われるアラビア語。一方で、普段街中でアラブ人が話しているのは「アーンミーヤ」である。

書き言葉と話し言葉が別・・・?この概念はイマイチピンと来ないだろう。日本語で例えるならば、古文がフスハーであり、我々が現代話している言葉がアーンミーヤである。

「昨日、原宿を歩みき、いとをかし」といった具合に、同じ日本語だけれども、古文を日常会話で使うと変だ。であるがゆえに、現代日本語なる会話用の言葉が必要になる。

さらに会話用の言葉も、地域によって違う。同じアラブ諸国であっても、湾岸方言、エジプト方言、シリア方言とバラバラである。互換性が低いところもいいところだ。

私は、アラビア語を影では「詐欺言語」とも呼んでいる。アラビア語ができるようになりますよ〜と言われ、フスハー(書き言葉)を学んでみるものの、いざ人と話そうと思ったら全然相手の言っていることが分からない。

アラビア語を話したかったら、別でアンミーヤ(話し言葉)を学んでくださいね、というわけだ。これを詐欺と言わずしてなんという。そんなわけで、私はアラビア語を勉強し、詐欺だと気付いて学習を中止する。でもやっぱり必要だなと思って開始する・・・そんなことを繰り返していた。

しかしパイセンからの圧力、アラビア語なくて立派なムスリムにはなれないという事実により、渋々勉強を開始しようとしたのであった・・・

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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