見どころがない上に、金がかかるソマリランドへ2回も行ったのは、我ながら失敗だったと思う。
人生で1回だけの旅行ならば、「ソマリア感があるのに、噂通り本当に治安がいい!」などと感動して、めでたく終わっていたはずだ。
しかし、2回目ともなると、そんな感動はどこへやら。付き合いたてのキラキラ感は消え失せ、相手を冷静を見つめるようになる。嫌なところも見えてくる。2回目のソマリランド訪問は、まさにそんな感じだった。
安全と未承認国家以外に何がある?
“安全な国”や”謎の未承認国家”という皮をはげば、ソマリランドに何が残るだろうか。
首都ハルゲイサの街中は、観光地としてはちょっと寂しい。たいした見どころはなく、3時間も歩けばハルゲイサの散策は終わってしまう。
一応、国という体でやっているが、ボンビーな国であることは否めない。国民1人当たりのGDPも300ドルとランキングで言えば、下から数えた方が早い位置にいる。
町の中心部には大きなマーケットはあるが、スタバやマックはいわんや、街中にスーパーやミニマートという類のものはほぼなく、こじんまりとしたローカルショップが並ぶぐらいだ。
ハルゲイサ市内の様子
ソマリランドのローカルショップ
ホテルで結婚式の前撮りをしていたソマリ人。ソマリ人がサングラスをつけると、どうもヤーさん感が否めない。
日差しが強くなる正午から午後の時間帯は、人々の姿は路上から消える。
ソマリランドはイスラーム教の国ということもあってか、営業時間もイスラームタイムが導入されている。
朝早くから働き始め、気温が高くなる正午から夕方までは休み。そして外に出やすくなった夕方から営業を再開する。礼拝の時間になると、人々は営業をやめ、モスクへ向かう。
昼頃になると、カートショップに多くの人々がたかり始める。昼の暑い時間帯に、カートを噛むのだろう。
カートショップにたかる人々
カートの葉っぱ
カートは常習性がある覚醒植物だ。葉っぱを噛むと、疲れが取れたり、集中力が増したり、おしゃべりになる。お酒でいうほろ酔い状態みたいなもんである。
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ソマリランドのカートは、ケニアやエチオピアからの輸入品。隣国のソマリアやエチオピアと同じく、ソマリランドでもカートの常習者は多い。国内GDPの30%に値する金額がカートに使われているというデータもある。それゆえか、空港やホテルではカートを禁止する標識なんかもあった。
ソマリランドの独立はなぜ認められない?
ソマリランドを見ているともどかしくなる。独自の通貨もあり、軍隊も政府もある。民主的な選挙も行われている。暴れん坊将軍ソマリアに比べれば、出木杉くんである。
ソマリランドのビザでは、南部のソマリアやプントランドに入ることはできない。国際的には、みなソマリアと一括りにされているが、実質的には完全に別の国である。
けれども、国際的に承認されないため、いつまでたっても、ソマリランドは怪しい自称独立国家という位置付けである。
なぜソマリランドは国として承認されないのか。
大いなる疑問である。
人口の8割が外国人であるUAEやカタールですら、堂々と国ぶっているではないか。領土も狭いし、自国民の数が少なすぎて十分な軍事力を持てず、米軍に頼りっぱなしである。国としては怪しいこれらの国だって、国として承認されているのだ。
考えみれば、これは興味深いトピックである。パレスチナや台湾、スペインのカタルーニャ、イラクのクルディスタン自治区など、同じく独立したいけど夢叶わずな場所がいくつかある。もちろん、それぞれ事情は異なるだろうが・・・
ソマリランドに話を戻そう。
もともと、ソマリランドは独立した国家だった。といっても、独立していたのはたったの5日間だけだが。現在のソマリランドの国境は、1884年から1960年までイギリスの保護領であった時のものである。
そのイギリスがソマリランドを手放して、イタリアに統治権をやるわい、ということになった。その移行期間であった5日のみ、ソマリランドは独立していたのである。
けれどもその後、すでにソマリアを統治していたイタリア領に組み込まれることで、ソマリアの一部になってしまう。1991年に、改めてソマリアから独立を宣言するものの、国際社会が認めていないので、自称独立国家であり、ソマリアの一部という扱いで現在に至る。
独立を阻止するもの
ソマリランドは、国としての要件をすでに満たしているように見える。国家の要件、すなわち「領土」、「国民」、「政府」、「他国と関係を築く力」である。
ソマリランドが独立するにあたって、もっとも重要なのがソマリアからの承認だろう。
最近になって独立した、東ティモールやエリトリア、南スーダンも前国の許しを得て独立した。
ソマリアは断固としてソマリランドの独立は認めたくない立場にある。けれども、ソマリランドは、「暴力的なアンタなんか嫌い!離婚してちょうだい!」と言わんばかりに、ソマリアと縁を切りたがっている。
なにせソマリアの一部ということで、かなりの風評被害を受けているのだ。
ソマリランドの安全情報を見ると、どこの国の外務省もソマリア扱いで退避勧告を出している。ソマリランドを実際に訪れた旅行者の多くは気づくはずだ。それが必ずしも事実を反映しているものではない、と。
国連やアフリカ連合も同じである。
国連は、「これまでどんだけの費用と時間を、ソマリア支援に費やしたと思っとるんじゃワレ。ソマリアの治安が回復したら、ソマリランドが独立する必要はなかろうばい」というスタンスである。
アフリカ連合やアラブ連盟も、ここでソマリランドに独立を認めたら、他にも独立したい奴が出てきて困るというのである。
国というのは、いかに国っぽく振舞っていても、国際的に認められない限り国ではないのである。
ここまできたら、別に国として承認されなくてもいいじゃん?と思うかもしれない。
しかし、”国”になると様々な特典があるのだ。世銀やIMFにお金を借りるとか、他国との貿易協定が結びやすくなるだとか。
今のソマリランドだと、こうした国際的な援助を受けるのにも一苦労なのである。
ソマリランドはなぜ安全なのか?
ソマリランドがソマリアに対して、マウンティングとして使っている、「安全」だとか「平和」というワード。
考えてみれば、ソマリランドの安全はやや誇張され過ぎているような気もする。確かに、ソマリアの一部ではあるが、先に述べたとおり、元々は別の国だったのだ。
強制的にソマリアに組み込まれてしまったとはいえ、治安レベルが異なっていても、おかしくかない。
ソマリランドの閑静な住宅街
ソマリランドの路上には、ワンコ、ヤギ、ロバ、牛など様々な動物が闊歩している。
ソマリランドの治安の良さを説明する理由の1つが、氏族である。ソマリアの氏族は、大きく5つに別れており、その下に別の氏族が枝分かれしている状態である。
南部ソマリアではいくつかの氏族が群雄割拠し、利権を争っている状態であるが、ソマリランド国民の大多数を占めるのがイサックと呼ばれる氏族である。1つの氏族がマジョリティであることにより、氏族間で起こるトラブルがぐっと減るのだという。
そして氏族の長老で構成される”長老院”なるものが、分派氏族間で起こる問題を解決する役割を担っているのだという。
安全を売りにしているソマリランドだが、その足元はまだおぼつかない。
安全は確かに尊い。けれども、安全を別にすれば、貧困や干ばつによる飢餓、女性の社会進出の遅れなど問題は山積みである。
けれども、国として認められていないがゆえに、ソマリランドの問題として表面化することはほとんどない。国際的な支援を受けるのも難しい。
ソマリランドは、サウジやUAEに家畜を輸出してお金を稼いでいるが、実質は海外にいるディアスポラソマリ人の送金に頼っている。GDPの54%が海外からの送金とも言われている。送金頼みの国なのだ。
国際社会に翻弄されるソマリランドが、ソマリアと決別する日は遠そうだ。