運動嫌いというわけでもないが、気がついたら2年ほど何も運動しない生活を送っていた。
運動といえば、時々ゲリラ的に旅行先の町で、5時間ぐらいぶっ通しで、歩くぐらいである。その頻度といっても、数ヶ月に1回あるかないかぐらいだ。
最後に運動らしい運動をしていたのは、2年以上前の話。当時住んでいたドバイで、柔道をやっていた。
しかし、腰を痛めがちになったことと、やはり体力的にハードすぎるということで、道場通いをやめてしまった。それ以降、運動とはほぼ絶縁状態にある。
ジムに通って何の意味があるの?
当時住んでいた中東のドバイは、車社会である。歩行者などいませんよ、と言わんばかりに車フレンドリーな都市設計になっている。町歩きとは無縁の町だ。
5月から10月の夏になると、気温が40度近くになるので、外出は命取りとなる。外でウォーキングやジョギングというのは、高嶺の花のアクティビティだ。
一方で、そんな環境であっても、せっせとジムに通い、ジムや筋肉話に花を咲かせるドバイ市民もいる。いや、むしろそういう環境だからこそかもしれない。
ドバイの高層アパートには大体ジムとプールがついているため、外が灼熱であろうが関係ないのだ。
ジム利用者は、結構多い。娯楽が少ないドバイゆえか、暇なのかはわからないが、やたらと皆ジムに行くのである。会社の休み時間にもせっせとジム通いをする連中もいた。
そして翌日には、「ジムにいってあれこれした」という内容を、聞いてもいないのに誇らしげに、披露してくるのである。
けれども、私はどうもジム通いというものに抵抗を感じていた。むしろ、浅はかな行為にさえ思っていたのである。
よって、せっせとジムに通い、人工的に生成した筋肉を愛でつつ、ランチタイムに、体に気をつかってヘルシーで高いサラダをつつく同僚たちを、哀れむような、冷ややかな目でみていた。
人工的な町に住み、人工的なジムでせっせと人工的な筋肉を生成する。この一連の流れがどうにも気に食わなかったのだ。
そんなことをするなら、気温が40度であっても外で30分歩く方がマシである。当時の私は、あくまで暮らしの中で、自然に体力を養うべき、という誰にも支持されなさそうなポリシーを掲げていた。
人が生きていくのにもっとも過酷な環境。ドバイを含むアラビア半島の一帯は、かつてそんな風に呼ばれた。そんな場所に、高層ビルをバシバシ建て、町中に芝生やヤシの木を投入し、作られたのがドバイである。
ドバイの存在自体が不自然なわけで、そこに自然なあり方を求めるのは、無理がある。よって、運動をしないまま今日まできてしまった。
いや、運動をしなかったのはドバイのせいではない。結局のところ、私の選択だったのだ。
よくわからんが、とりあえず走ろう
突如として2ヶ月後にマラソン大会に出よう、という決心をした。決心をしたのは、ドバイで仕事をやめ、これから無職になろう!という時だった。
無職といえば、暇である。なにせ、毎日会社に行かなくていい。思う存分に時間があるのだ。
しかし無職といえども、やはり何か予定ぐらいは欲しい。ということで考えついたのが、ソマリランドでマラソン大会だった。
なんでも好きなことができる無職ライフに突入してしまうと、振り返った時に、あの数ヶ月間は何だったんだろうという無力感に駆られてしまうかもしれない。それよりかは、何か1つでも得たい。
その対策として浮上したのが、マラソン大会だったのである。
マラソンというか、走るというのは私にとって未知の世界である。というか、走ることは好きじゃない。苦しいからである。なるべく楽をして運動をしたい私は、どちらかというと歩くことの方が好きだった。
歩くのも運動目的に歩く、ウォーキングは、私の中では好ましくないものである。あえて、日常の生活でさりげなく、歩く動作を取り入れるのがミソである。
よって、車や電車を使わずに目的地まで歩いたり、ドバイの巨大モールを意味もなく徘徊することが、私にとっての運動であった。
走ることや、本格的な運動に抵抗を感じていた私だが、無職ライフが始まるということで、何か自分がやったこともないことをやってみたかった。
新たな世界に飛び込んだ時、そこにはいつも、見たこともない光景が見える。そうした、光景も見てみたかった。
それは、移住や転職、引越しなどでも簡単に手に入れることができる。
私の中で、それはドバイで働くことだった。これ以上、転職するにしても、別の国で働くにしても、すでにやってきたことだ。だから、走るというノータッチの分野を選んだ。
さらに、嬉しいことには、走るのにはお金がかからない。このご時世、何を学ぶにも始めるにも、だいたいお金がかかる。
それだのに、走るのは無料である。とりあえずその辺にある服を着て、町へ繰り出せばいい。それだけだ。
とりあえず走ってみたものの・・・
マラソン大会が開かれるのは、約2ヶ月後。思い立ったその日に、ドバイでちょいと肩慣らしで走ってみたが、5分とも走れないレベルである。というか、暑すぎる。
絶望しかない。
すでに、辞めたくなった。
その絶望から数ヶ月後。
私は、サウジアラビアの灼熱の岩山を走り抜け、エチオピアの魑魅魍魎に翻弄されながら走り、牛やヤギがのそのそ歩く未承認国家ソマリランドの町を駆け抜け、3ヶ月後には、世界最恐と言われたソマリアの首都モガディシュでハーフマラソンを走ることになる。
無職というアドバンテージをフルに活用した結果である。
そんなわけで、運動とは無縁だった人間(しかも走って何が楽しいの?とすら思っていた)が、3ヶ月でハーフマラソン完走に到るまでの記録を、これから何回かに分けて、つづることにする。