中東を旅行していて、よく遭遇するのが「定価」が存在しない場面。
メーターがないタクシーにしかり、ローカル感ただよう市場で値札が書かれていない商品しかりである。
こうした場面に遭遇するたびに、交渉するのが面倒だなあとか、正しい交渉方法ってなんだろう、と考えてしまう。
そこで、値段交渉の達人であろうシリア出身のアラブ人に、実際にどのように交渉しているのかを聞いてみた。
なぜ定価が存在しないのか?
そもそも定価がない状況で、ふっかけられる値段は、だいたい現地の人や定価よりも高い、と思うのが観光客の心理である。
よって、観光客である我々は、ぼったくられている、という感覚を持つ。
そもそもなんで観光客には、地元民よりも高い値段をふっかけるのか、アンフェアじゃないか、とアラブ人たちに聞いたことがある。
彼らいわく、「地元民の中には、定価が払えないほど貧しい人もいる。だから、タクシーの場合だと、お金を持っていない人には、マケてあげることもある」そうだ。
なるほど。
累進課税の発想か。
お金を持っている人からは多くとり、持っていない人からは、少なくとる。
これこそフェアであり、人情味がある、と妙に納得したものである。
中東諸国の中には、格差が激しい国もある。貧しい人は、日本の比ではないほど、貧しいのである。
よって、彼らからすればお金を持っていそうな日本人に、高い値段を設定することは、ぼったくるという意思はなく、人を見てまっとうに商売をしているだけなのだ。
なので、高い値段をふっかけられたからといって、「ぼったくられている!」と憤慨し、無駄なエネルギーを使わないようにするべし。
交渉前に自分価格を持つ
タクシーにしろ、市場での買い物にしろ、まずは相場を調べておくべきである。市場の買い物では、「自分価格」を持つことが重要である。
だいたい、市場で同じような商品を見て、市場価格を知り、いくらまでなら買いたい、という値段を自分の中で持っておくことが大事。
定価がない中では、正解の値段がない。ゴールが見えづらいと、値切ったり、値切らずとも、いい買い物ができたのだろうか?とモヤっする。
しかし、自分価格をもっていると、自分価格もしくはそれ以下で買えれば、満足のいく買い物となる。
これは、私が何度か市場で買い物をした時の実感である。
ちなみに、「自分価格」を大幅に超えた場合は、交渉不成立として、店を立ち去ってみる。店主が「ちょっと待てい。わかった、その価格で売る」といえば成功である。
引き止められない場合もあるので、その場合はあっさりあきらめよう。
店主を褒める単純戦法
日常から交渉をしているアラブ人のような上級レベルになると、また違った手法がある。
値段交渉とはいえ、あくまでも行うのは店主とのコミュニケーションであることを忘れてはならない。
もっとも基本的な戦法は、褒め言葉をかけて、相手に気持ち良くなってもらう手法。
例としては、
「お兄さん、さすがやね。だてに商売やってないね〜」
「他の店も見てきたけど、お兄さんいい人やわ。お兄さんのお店にお金を落としたいわ〜」
など、店主の人柄の良さや、商売の腕を褒める。
そして、いきなり褒め言葉に入るのではなく、雑談話をしつつ、褒め言葉をちょいちょい挟むことである。
架空の友人を作る
褒め言葉がうまく思いつかない人には、より難易度の低い戦法がある。それが、架空の友人をつくり、友人の紹介でこの店にやってきたことを伝える戦法。
「オマーンに友達*がいるんだけど、その友達が前にここの店にきて、店主がよかったあ、っていってたんですよお」
*ここでは架空の友達としたが、真実であればそれに越したことはない
シンプルなようだが、これは結構ささる。
なぜなら、店主は目の前にいる本人の気を悪くさせると、架空の友人である顧客、つまり2人の顧客を失うことになるからである。
プレッシャーを与える
上記の2つは、難易度が比較的低い。一方で、高度な技に「プレッシャー掛け」というものがある。
架空の友人というウソは、まだかわいい。しかし、こちらは、日本人にとってはややアグレッシブであり、使うのがためらわれるものである。
「今、持ち合わせがこれだけしかないんですわ。これ以上の価格やったら、今日は買いまへん」
店主に、今売るか売らないか、という決断を迫る戦法である。あまり友好的ではない。ただ、持ち合わせの額にもよるので、使える頻度は低い。
交渉成立後のクロージング
私の場合、うまく値切った後の支払いに、若干気を使ってしまう。
なぜなら、あんなに値切っておきながら、財布には、それ以上のお金があるからである。
3,500円に値切ったのに、5,000円を出すときは、気まずい。
相手に「なんだあ、お金あるじゃん」と思われそうだからである。
しかし、アラブの達人にいわせれば「自分のお金だから、残りはどう使おうが自分の勝手だ」と淡白である。
最近では、多くの中東諸国で、定価が当たり前のショッピングモールがある。
定価での買い物が当たり前の日本人からすれば、いちいち店主と値切ることや、交渉というのは、面倒にも感じる。
けれども、アラブ人たちは、「商品を買うだけが目的じゃないんだよね。その場での店主とのコミュニケーションも楽しめるし」と、あくまで日常のコミュニケーションの1つとしてとらえているようだ。
そう考えると、定価で何もいわず商品が手に入るのは、簡単だけれども、どこか味気なく思えてくる。
値段交渉と思わず、現地の人々とのコミュニケーションとしてとらえてみると、買い物がいっそう楽しくなるのかもしれない。