残酷な祭り?イード・アル・アドハ(犠牲祭)とは?ヨルダン現地レポ

イスラーム教の祭り、イード・アル・アドハ(犠牲祭)が今年もやってきた。

祭りの目玉といえば、街中で、家畜たちが次々とお肉になっていく光景だろう。

そんなわけで、イード(犠牲祭)ってどう祝うの?実際に家畜をどんな風にほふるの?といった疑問にお答えするのが、このレポである。

ちょっと長めなので、たらたら読んでいる暇はねえよという人は、目次から飛ぶことをおすすめする。ちなみにこの記事は、あまり生々しい写真をのせていないので、キッズでも安心して読み進めていただけます。

イード・アル・アドハ(犠牲祭)とは?

イード・アル・アドハとは、巡礼月(イスラーム暦の12番目の月)の10日目に行われるイスラーム教の祭日のこと。

イードというのは祭りという意味で、イスラーム教には2つのイードがある。1つは断食月のラマダン明けを祝う「イード・アル・フィトル」。

そして、日本語で犠牲祭と呼ばれるのが、「イード・アル・アドハ」である。

イード・アル・アドハの由来となるのが、旧約聖書の創世記に書かれているストーリー。

神がアブラハムに息子を生贄として捧げよと命令し、アブラハムが自分の息子を神に捧げようとした。しかし、神が直前になり「おまえの信仰心に感動した!」ということで、代わりに雄の羊をアブラハムに授けた。

自分の息子を神に生贄として捧げる?

とんでもねえモンスターペアレンツじゃねえか、児童相談所に即通報じゃ!と現代の我々なら思うが、旧約聖書は完全なるノンフィクションというより、人間が作り出した物語のようなものなので、ここはスルーされたし。

イード・アル・アドハ(犠牲祭)はいつ?

イードは1日だけでなく、3~4日ほど続く。イスラームの祭日ではめずらしい大型連休となる。

その他の行事や祝日と同じく、イードの日は月の満ち欠けによって決まる。実際に、目視で月の形を確認したところで、イードの日が決定するのだ。

2019年は8月11日から始まった。イスラームの暦は、太陰暦と比べて毎年11日ずつずれていく。よって、2020年は7月31日あたりから始まるだろう。

犠牲祭はどうやって祝う?

巡礼月には、世界中のイスラーム教徒が聖地メッカに巡礼する時期でもある。イード・アル・アドは、その巡礼終わりを祝う日でもあるのだ。

一方で、巡礼に行けなかったり、行かないイスラーム教徒も大勢いる。なにせイスラーム教徒の人口は世界で約16億人。16億人が一斉に聖地につめかけることはできない。

よって、そうした人々は、家畜をほふって祝うのである。ほふる動物は、ラクダやヤギ、羊、牛など各種の家畜から選ぶことができる。

しかし、多くの地域でダントツにほふられているのが、羊である。

イードが近くなると、街中には可愛らしい羊から、リアルな羊まで、羊であふれる。


道端で売られる羊


犠牲祭の時期に売られる羊のぬいぐるみ

小さい子どもがいる家庭では、子どもにお小遣いをあげる。日本でいうお年玉のようなものである。

イード前には、日本のポチ袋さながらに、趣向をこらした「イード袋」が流通する。


ぽち袋ならぬ「イード袋」

犠牲祭のイード袋は、羊がテーマになっているのがポイント。

日本でおなじみのキャラクターも使われている。アラブ諸国では、日本のアニメが放映されているため、なじみがある人も多いのだ。

ラマダン明けのイードでも同様である。なので、イスラーム圏の子どもたちは、年に2回”お年玉”をもらえる、ともいえよう。

イードの特別なお祈り

イードは祭り、すなわち特別なことである。よって、イード期間中には1日5回の礼拝に加え、スペシャルな祈りが追加される。

モスクからは、早朝だというのに、「神は偉大なり、神は偉大なり、アッラーの他に神はなし」という文言が、大音響かつエンドレスで、流れてくるのである。これが40分近く続く。

初めて聞いた人間には、天変地異の前触れのような不気味さを感じる。ラマダン明けのイードでも同じようなことをやる。

狂気じみた祭りの始まり。ラマダン明けの祭り「イード・アル・フィトル」

イスラーム教徒たちは、モスクへ吸い込まれるように、朝っぱらからモスクへ祈りに行くのである。


日の出から30分もしない早朝に、モスクへ向かう人々

せっかくの祝日なのだから、遅くまで寝ておきたいのが人間の常だが、イスラーム教徒たちは、祝日にこそ早起きをして、モスクへ祈りに行くのである。

このお祈りが終わると、人々は新しい洋服や、晴れ着に身を包み、イードを祝いに外へでかけていく。

アンマンで屠畜(とちく)場探し

さて、多くの人が気になるであろうこのポイント。家畜は一体、どこでどのようにして、ほふられるのだろうか。

それを知るべくドバイから、ヨルダンの首都アンマンを訪れた。

人々は市場で羊を買い、各々の家庭で男たちが羊をさばいて肉にする、というのが私の当初のイメージである。

犠牲祭1日目。

てっきり、その辺の家や公共の場でやっているのかと思いきや、街中を歩き回ってもそれらしい光景は見当たらない。

街中の成人男性たちに、「羊のほふり方を知っているか」とか「どこで家畜がほふられるのか」と聞いても「さあ・・・?」という答えばかりである。

はて・・・これは一体どういうことか。

ネットで検索してみると、アンマン地方自治体が、犠牲祭1日目に発表したという屠畜場一覧のページを発見した。説明によると、衛生面を考慮した上で、なるべく住宅街から離れた12箇所を選定したという。

場所といっても、具体的な場所があるわけではなく、おおまかな地区と通り名、もしくは目印になる建物しか書かれていない。東京でいうならば、”渋谷区明治通り沿い”といった感じである。

こんなんで分かるか。

アンマンには土地勘がない。2日前に着いたばかりである。

しょうながいので、ホテルの従業員に、一番近そうな場所を教えてもらい、あとはタクシーの運ちゃんに、地名を伝えて、まかせるのみである。

60歳近くと見えたる運ちゃんは、わかった、と静かにうなずいた。おおまかな地区は伝えたが、具体的に自分がどこへ向かっているのかは、わからない。

本当に屠畜場があるのかもわからないし、別の場所へ連れて行かれるのかもしれない。これが本当の意味でのミステリーツアーである。

ハラハラドキドキしながら、タクシーで中心地から移動すること30分。目的の通りへ着いたのだが、それらしき場所は見つからない・・・と思いきや、あった!

目的地を無事に発見できたことを、運ちゃんと共に喜ぶ。「少佐、ごくろうであった!」と、チップまで渡してしまった。

家畜はいかにしてお肉になるのか

いるいる。羊がてんこ盛りである。少数派だが、ラクダや牛もちらほら。


あたりは山に囲まれ、近くに人家などはなく、飲食店が数店並ぶぐらいである。


囲いの中で待機する羊たち

ここでのシステムは、海鮮居酒屋に似ている。

まず客が、生けすならぬ、羊の群れからめぼしい羊をチョイス。そして、店員が指名された羊を囲いから連れ出したと思ったら、数十秒後には、解体が始まる、といった流れである。

鮮度を大事にするのは、日本でもここでも同じらしい。


指名された羊を囲いから取り出す


羊の購入者は、羊から肉になるまでのプロセスをそばで見守る。購入する人々の多くは、家族でやってきていた。

家畜は、イスラーム教のルールにのっとってほふられる。ほふる前に、羊を横向きに倒し、「ビスミッラー(神の名の下に)」といってから、20センチほどの細長いナイフで、首を一気にかっきる。

羊が指名されてから、ここに至るまでに5分ともかからない。ほふる人間は、もちろんイスラーム教徒でなければならない。

こうすることで、イスラーム教徒たちが、安心して食べられる「ハラール」なお肉になるわけである。

とあるイスラーム教徒いわく、この方法は、家畜にとっても、人間にとっても良いことなのだ、という。

「首を一思いに切ってやることで、家畜はあっという間に絶命する。家畜が苦しむ時間が少なくて済むんだ。

それに、なるべく他の家畜に見えないところで、個別にやる。他の羊が見ていると、彼らが、俺たちもああなる運命なのか!と体を萎縮させる。すると、肉が硬くなって、美味しくなくなるんだ」

という理論らしい。そして、ほふられるのは、もっぱらオスである。

「メスだったらさあ、乳が出るからチーズとかミルクになるだろ」ということだそうだ。

目の前で羊が屠られるのを見るのは、はじめてであった。最初こそ、恐る恐る遠巻きに見つめていた。

羊の首から血が1メートル近くも噴き出したり、首を切ったのに胴体があばれまくっている現象を見た時は、「うわあ」と思ったものである。

この現象は、他の家畜でもしばしば見られる現象である。

アメリカでは首をはねられた後、18ヶ月間も首なしで生きた鶏がいた。

鶏は「首なし鶏マイク」と名付けられ、首がないままで、もっとも長生きした動物として、ギネス記録にもなっている。ちなみにマイクの死因は窒息死である。

人間は慣れる生き物である。

3頭ばかしの羊が屠られるのを見た後は、もはや無心でその作業を眺めていた。

ほふる側の人間もそうなのだろう。まるで日曜大工をしているような、さわやかさと軽やかさで、羊を肉にしていく。


羊屋の店主とその子ども。もっぱら大人が担当する屠畜の仕事だが、ちょいちょい手伝う小学生ぐらいの子どもいた。


息絶えた羊をしばし見つめるちびっ子。奥では大人たちが肉を切っている。

中には、まるでクラブのごとく拡声器とBGMの音楽を流しながら、場を盛り上げる人々もいた。まるで「おさかな天国」が流れる、スーパーの鮮魚売り場さながらのポップ感が辺りに漂う。

解体中の羊の近くに、小さな子どもたちがいたので、彼らを楽しませよう、という気遣いなのか、単に自分たちが盛り上がりたかっただけなのかはわからない。

一方で、狩られる運命の羊たちの反応は、当然ながら冷ややかである。

羊から肉になるまでには、おおよそ20分から30分。お肉はビニール袋やバケツに入れて、客が各々持ち帰る。


ビニール袋に包んだ肉をバケツにいれて持ち帰る家族

犠牲祭のお肉はごちそう

誰もがこうしてごちそうを買えるわけではない。

ざっと聞いたところ、市場で売られていた羊は、ヨルダン国内産の羊が1頭250ディナール(約3万7,000円)。オマーンとルーマニア産の羊は1頭150ディナール(約2万2,000円)であった。

もちろん羊の重さによっても、多少は異なる。

犠牲祭のようなピークシーズンには、価格が値上がりするため、通常よりも高くなっている。

ヨルダンでの平均月給が約6万5,000円だというので、給料のほぼ半分ということになる。

大金をはたいて買ったごちそうだが、独り占めしたりはしない。

3分の1は、自分たち家族用に。そしてもう3分の1は、ご近所さんに。残りの3分の1は、貧しい人々に配るのが、良しとされている。

持ち帰られた羊肉は、ヨルダンでは主に「マンサフ」と呼ばれる料理に使われる。犠牲祭では定番のヨルダンの伝統的な料理だ。

マンサフ_ヨルダン伝統料理
ご飯の上にお肉がのっかった「マンサフ」。羊のヨーグルトソースをかけて食べる羊づくしの料理。

マームール_アラブスイーツ
「マームール」と呼ばれるクッキーはイードの定番スイーツ。中にはアーモンドやデーツ、ピスタチオなどが入っている。

自国の事情を知らずして他国は語れない

他の国で実際に犠牲祭を体験した、日本人のブログを読んでいると、その多くは、屠畜が衝撃的な光景として、とらえられている。中にはかわいそう、という人もいる。

それもそうだ。考えてみれば、日本で屠畜を実際に目にすることなどまずない。というか、家畜がどのような過程を経て、スーパーに並ぶお肉になるのか、を知る人はそういないだろう。

「日本ではどうやって家畜をほふるんだ?」

アンマンの市場で男に聞かれた。

「そうだなあ。牛の場合はエアガンで額を打って・・・」といったところで、答えに詰まってしまった。

それならググって、YouTubeの動画でも見せようとしたが、でてくるのは日本の屠畜行為がいかに悲惨なものであるか、を糾弾する動画ばかりだった。

自分の国で、屠畜がどのように行われているのか、知りもしない。そのことが私にとって一番の衝撃であった。

同時に、日本では家畜がお肉になるプロセスは、目の前で目撃した屠畜方法よりも、さらに残酷なのではないか、という考えがよぎった。

そんな疑問から、内澤旬子氏の「世界屠畜紀行」という本を読み始めた。日本やイスラーム圏、犬肉を食べる韓国などを含めた世界中の屠畜現場を訪ねた筆者のルポである。

テーマは屠畜だが、筆者のポップなイラストと軽快な語り口で、すらすらと読めてしまう。

公の場から人々から見えない場所へ

国によって異なるものの、どうやら公共の場で屠畜が行われる機会は、減っているように思えた。

例えばアラブ首長国連邦(UAE)。衛生面の理由と各家庭で行うのは危険とし、自治体は決められた屠畜場以外で、家畜をほふることを禁止した。

自宅や認可されていない場所で行った場合は、5,000ディルハム(約15万円)の罰金ということである。

エジプトでも同様に個人が公共の場で屠殺を行った場合は、5,000エジプト・ポンド(約3万円)の罰金がかせられることになった。

私が訪れたアンマンでも、人々が暮らす街中ではなく、市外から離れた空き地で行われていた。

自治体は「衛生面の理由により」と説明するが、「残酷だ」とか「穢れ」という意識も一部の人々の間では、芽生えてきているように思う。

実際にアンマンで出会ったシリア人は、「街中でやると、血だらけになるでしょう。後始末が大変なのよ」と言っていた。

どうやら、国や人々が成熟するにつれ、こうした営みが生活者の前から、消えていくらしい。

もしかしたら100年後は、イスラーム圏でも、オープンな屠畜が完全に人々の前から消え失せ、工場でロボットがお肉にしていく、というものになるのかもしれない。

追記)イード中にモロッコへ里帰りしたという知人に聞くと、人々はまだ道端で屠畜をするのが一般的らしい。

道端で素人のおっさんにより、首をさかれ、そのまま全速力で逃走する羊を撮影した動画をみせられた。羊としても、そこはぜひともプロにやっていただきたいものである。

おそらくチュニジアやモロッコといったマグレブ地域では、まだ道端での屠畜が一般的なのかもしれない。

マンガでゆるく読むイスラーム

普通の日本人がムスリム女性と暮らしてみたらどうなる?「次にくるマンガ大賞」や「このマンガがすごい!」などでも取り上げられた話題のフィクション漫画「サトコとナダ」。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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