マレーシア最高峰のキナバル登山体験記

ええい、こうなったらもう山にでも登ってやる!
仕事でストレスフルな毎日を送り続けた私は、決意した。

ストレスの捌け口として登られる山としては、たまったものではないだろう。しかし、2週間後に予約が取れたので、登ることにした。

キナバルに登る動機

もちろん、ノートレーニングでマレーシア最高峰に挑むほど、アホではない。マレーシアに来てから、筋トレ、ジャングルトレッキング、ランニングなどを結構している。無駄に体力がついてきたものの、この体力を活かす場はない。

役に立たない筋肉をせっせとこしらえるだけでは、機能性に欠けるブランド服と同じである。

ということで、せっかくの体力を活用しようということで、思いついたのがキナバル登山である。

コタキナバルに到着

マレーシアの首都、クアラルンプールよりエアアジアで、キナバル山の最寄り都市、ボルネオ島のコタキナバルへ向かう。マレーシアの首都から、コタキナバルまでは2時間40分。ジャカルタやバンコクへは2時間程度で行けるので、同じ国内でありながら、その距離は国外よりも遠いのである。

コタキナバルがあるサバ州は独自の自治権を持っている。マレーシアの一部でありながら、空港ではマレー人も含め、パスポートチェックを受ける。

驚いたのは、コタキナバルの繁栄ぶりである。島の町だから、しょぼいっしょとみくびっていたのだが、なんとまあ立派なこと。夜の町は、ネオンと人々で溢れている。その中でも、目を引いたのが、中国語と韓国語の多さだ。

韓国からは、エアソウルとジンエアの直行便が出ている。韓国人のお目当ては、お手頃価格で楽しめるリゾートビーチとゴルフだろう。男女問わず、韓国ではゴルフ人気が高い。

キナバル山の最寄りの町、ということで立派なショッピングモールには、登山グッズを扱うショップがそこかしこに並んでいる。

いよいよ出発

朝5時半に、予約したツアー会社の車が迎えにやってきた。他のツアー客と車に揺られること2時間。キナバル公園管理事務所についた。事務所で登録を済ませて、その辺で待機してと言われる。


キナバル公園管理事務所

5分ほどぶらぶらしていると、「こちらが本日のガイドです」とガイドを当てがわれる。てっきりツアー会社のガイドかと思ったがそうではないらしい。挨拶もそこそこにしていると、出発ゲートに向かうバンがやってきた。

はい、ここに乗っちゃって〜

その辺にいた登山者達と共に、日雇い労働者のごとく、バンの中へ追いやられる。簡単なルート説明を受けた後、早速登山が始まった。


出発地点であるティンポホンゲート

日本人も多く登る山らしく、そこかしこに日本人もいた。日本人登山者を発見する度に、ガイドのジヌスは「ほら、日本人だよお」と、スマホの通知のごとく、毎回お知らせしてくる。

こちらとしては、「はあ・・・」としか言いようがないのだが、おばちゃんたちの団体に出会した時は、

「登頂できましたかー?」

「雨で大変だったわよお。でも頑張って!」

などと、励ましをいただいた。

もう下山したい・・・

そんなわけで、3,200メートル付近にあるロッジに到着。

いやあ、大変だった。何が大変って、雨である。私が登った10月は雨季なので、雨が降ることは当然予測していた。しかし、ジャングルで雨が降るとどうなるか、については予想が及ばなかった。雨が土と混じり、午後の紅茶みたいな色になる。午後の紅茶が流れてくる滝をひたすら、登らなきゃならんのだ。


4キロ地点にあるシェルターでランチをとる。しかし人が多いため立ち食いする人が続出


傘をさしてジャングルを進むガイドの背を追いかける

宿泊するペンダントハットロッジに着くと、ロッジのスタッフが「もう1人、日本人が後から来るからな☆」という。

このレコメンド機能どうにかならんのかね。

雨に濡れたことと、高山の寒さゆえか、私は弱気になっていた。それにロッジの他の客は、みな台湾人である。団体客かと思いきや、そうではないという。小屋でWi-Fiは使えるが、英語というグローバル言語は使えなかったため、私は自分のベッドで、暇つぶしに「イーロン・マスク(上)」を読んでいた。

うう。もう寒いし、登頂なんかどうでもいいから、下山したい。

本気でそう思っていた。

台湾人たちが盛り上がりを見せるダイニングへお茶を飲みに行った。そこで目にした光景がこれである。

は?

なんで山にきて、カオナシのコスプレ?

山小屋のカオナシはひどく人気のようで、台湾人登山客は記念にとパシャパシャやっている。

よし、やっぱり登頂を目指そう。

人のモチベの出どころというのはよくわからない。しかし、山小屋でカオナシのコスプレをするという狂気じみた娯楽に興じる人間を見て、やる気を取り戻したのは確かである。

思いがけない人物に遭遇

食事を終えたところで、日本人登山客に話しかけてみた。港区在住の美容ドクターだという。自己紹介代わりにインスタを見せてもらった。世間がイメージする港区生活をお手本通りに送っているという感じの写真で、フィードは溢れていた。

「あれ、これってあの有名なYouTuberの動画ですよね?私もこの動画見ましたよ〜」

「あ、僕それに出てたんだよ」

これだから山というのは面白い。地上で彼と巡り会うことはまずないだろう。しかし、そうしたあり得ない人間との出会いがあるのが、山である。

トレラン、マラソン、登山を月1でこなすというドクターだが、そのお顔は、まるで卵のように白くてツルツル。この顔を見て、登山に毎月行っていると思う人はいないだろう。医療の力というのはすごい。

ひとしきり、美容業界の闇を聞いたところで、

「僕ちょっと、頭痛がひどくて・・・高山病になったかも」

「ダイアモックス持ってきました?」

「いや〜忘れてきちゃった☆」

というわけで、素人が医者にダイアモックスを処方するという怪奇現象が起きた。ちなみに、行動食も持っていないというので、クッキーとチョコを渡した。地上であれば、名声もお金も圧倒的に上のドクターに対して、私が分けられるものはないだろう。しかし、山ではみなただの人間なのだ。

登頂の先に待っていた恐怖体験

夜2時半に出発して、登頂したのは5時。真っ暗闇をずんずんと登っていくと、

「ほら、山頂だよ」

その声で顔を上げると、目の前には山頂があった。こんな具合で、登頂というのはあっけないものだった。太陽が出ているうちだと、山頂までの道のりがはっきりわかるので、「あとちょっとだあ!頑張ろう!」という気分になるが、真っ暗闇ではそうもいかない。突然、山頂がやってくるのである。


辺りが暗いせいでブレている

山頂からやや降りたところで、ここで待機ねと言われる。ここでご来光を拝めよう、という目的らしい。しかし、私はご来光よりも、体力があるうちにさっさと下山したかったので、誰よりも早く山を下っていった。

ここからがキナバル登山の本当のクライマックスである。ヴィアフェラータと言うオプションのアクティビティに参加するのだが、その詳細はこちらの記事を参照。

東南アジア最恐!?キナバル山のヴィアフェラータで死の恐怖を味わう

スパルタ下山

ロッジに無事に辿り着いたのは、朝の10時。この時点で、8時間はノンストップで動いている。死の恐怖と、登頂よりもしんどいヴィアフェラータにより、疲弊していた。もはや、下山のための体力はない。

しかし、それでも下山しなければならないのが、登山なのだ。他の台湾人登山客の中には、延泊するものもいた。今思えば、それが正解だったと思う。体力的にも、キナバル山を楽しむためにも。

私はどうも下山が苦手である。しかし、それに追い打ちをかける事件が起こった。ロッジから4キロ地点の場所に、シェルターがあるのだが、ガイドは皆そこでゴミを持って下山することになっている(キナバル山では各所にゴミ箱が設置されている)。

ゴミを持ち出してからと言うものの、やたらとガイドの進むスピードが速い。

絶対ゴミを早く捨てたいからじゃん。

と思うぐらいに、ゴミの量が半端ない。45リットルの袋にパンパンに詰まっている。さらに、悲しいことに、大雨である。

こちらのスピードを合わせてくれよ、というのは叶いそうにないので、これは一種の軍事訓練だと思って、突き進むことにした。最後の2キロは、下半身に力が入らず、気力のみで歩いていた。そして、登頂と同じく、あっけなく1泊2日の登山が終わった。

1万円で泊まれる5つ星ホテル

無事に下山したものの、気がかりなことがあった。このドロドロの格好で、5つ星ホテルに足を踏み入れていいのか、問題である。

登山帰りだし、ちょっと贅沢しちゃおうということと、5つ星ホテルなのに1万円という、驚愕の値段設定(おそらくオフシーズンのため)だったため、コタキナバルのハイアットリージェンシーを予約した。

学生時代に、友達と高尾山に登り、新宿の伊勢丹へ我々は直行した。なぜそのような行動を取ったのかは分からない。その時は気づかなかったが、「美容部員の人引いてたよ・・・」と友達が指摘したことで、ドロドロの格好で、綺麗な場所へ踏み入れるのは良くない、と言うことを学んだ。

そうだよな。綺麗なホテルのエントランスに、ジャングルからの帰還兵みたいなのがいたら、掃除も大変だし、ホテルの格も下げちゃうかもしれないしな。

と言うわけで、できるだけ綺麗な格好に着替えたものの、それでも帰還兵から、銭湯帰りの人間に格上げした程度である。

まあ、1万円のホテルだし、マレーシアだから(?)大丈夫っしょ、と最後は自分で自分を励ました。

結局、心配は杞憂に終わる。さすがマレーシア。銭湯帰りスタイルでも、誰も気にしない。他の国のハイアットにいるようなシャレオツ人間は、むしろ少数派であった。

どこかへ食べに行く気力もないので、ホテル内のビュッフェで食事をいただく。美味しい食事と清潔なベッドにくるまり、こうして静かにキナバル登山を終えたのだった。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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