旅なんてもうしたくない…デジタルノマドが燃え尽き症候群、うつ病状態から立ち直るまで

旅行をしながら、パソコン1台でどこでも仕事をする。デジタルノマドというのは、そんな”自由な”生活スタイルをうたっている。

デジタルノマドを紹介するネット記事や動画では、タイやバリなどのリゾート地で、ハンモックに揺られながら、パソコンで優雅に仕事をするデジタルノマドが紹介されている。

決して、こうした生活に憧れてデジタルノマド生活を始めたわけではない。とりあえず中東・イスラーム圏に行ければ何でもよかったので、デジタルノマドは後付けである。目的ではなく、手段であった。

そういうわけで、去年の12月から旅をしつつ、現地で生活をし、そして仕事をするという、スタイルをおっぱじめた。一見すると、自由がきく、魅力的なライフスタイルに聞こえる。当初の私もそう思っていた。

けれども、数ヶ月後にはそれが一転。気づけば、体も精神も限界を超えた模様で、「旅なんてもうしたくない・・・」。そうつぶやくようになっていた。

突然、体が動かなくなる…燃え尽き症候群の症状

それはトルコでの旅を始めて、ちょうど2ヶ月後のことであった。事が起こる1週間前には、ほぼ1日おきぐらいに、バスで3~6時間ほどの移動を繰り返し、トルコ東部を怒涛の勢いでくぐり抜けていた。その前には、1~2週間のサイクルで、トルコ西部の都市を転々としていた。

トルコ東部はあまり観光客も来ないらしく、ホテルやエアビーの物件も限られてくる。要は、仕事や生活をする上でのインフラがあまり整っていなさそうだったため、早急に切り抜ける必要があったのだ。

予定を立てた時は、ちょっと詰めすぎだなあと思った。その後は首都アンカラで、あまり移動せず、ゆっくりしようと決めていた。

しかし、アンカラに到着し、ゆっくりしようと思った矢先のことである。

体が動かない・・・

金縛りではない。

動く気力もなく、買い物に行く気力もなく、今後のことを考える余裕もなく、ただ床にひれ伏して1日が終わってしまった。はたから見れば、死体ごっこでもしているのかと思われるだろう。

まあ、先週は動きすぎたからな。1日ぐらい動けなくなることだってアルヨ。明日には元に戻っているはず☆

しかし、その期待とは裏腹に、一向に体調は良くならなかった。体のどこそこが痛い・・・というわけではないのだが、今までは何気にやっていたことや考えていたことが、できなくなってしまったのである。

新しい場所に来たのに、どこへも行く気が起きない。一方で、せっかくあれこれと事前に調べていたのに、どうにも動けないという焦り。

そして、気づけば掃除や洗濯、料理など身の回りのことをするのにもおっくうになっていた。部屋は散らかり、頭の中では「やべえ、片付けなきゃ」と思うのだが、体は動かないという状態である。

同じくして、仕事でのパフォーマンスも激下がりしており、バーチャル同僚からは「なんかミス多いけど、大丈夫?今まではそんなことなかったのに・・・」とあからさまに、他人から見るとパフォーマンスが落ちている状態だった。

そう。どうにも頭がぼーっとしている状態で、集中できず、クリアに意思決定や判断を行うことが難しくなっていたのである。

終いには、アンカラからイスタンブールへ向かうフライトに乗り遅れるというミスをやってしまった。空港到着に間に合わなかったならまだしも、空港内のゲートで1時間前から待機していたのに、ゲートを間違えて、乗り遅れるという前代未聞のミスまで犯してしまった。

過去に何十回も飛行機に乗っているが、こんなトンチンカンなミスを犯したことなど一度もない。

頭がこんな状態なので、体も動かない。もはやでくのぼうである。

仕事もまともにできない。身の回りのことでもおっくうになる。生きていてもあまり楽しくない。漠然とした不安感と虚無感に常にとりつかれ、夜も眠れない。通常の生活を営むことが、絶望的に思えた。

それは単なる暗いトンネルの始まりに過ぎなかった。

旅行先で引きこもりになる

この時点で、私は自分が燃え尽き症候群だとは思ってもみなかった。旅行しながら、仕事もやりつつ、生活する。やることはすべて自分が決め、好きにやる。いわば、自由の福袋みたいなものである。

そんな自由の福袋を手に入れて、なぜ不幸になるのだ?

自由=良いもの、幸せなものと思い込んでいた。けれども、実際は違った。”自由”には、幸福保証などついてない。むしろ、不幸もはらんでいるのだと。

燃え尽き症候群真っ盛りだった頃、一番怖かったのが、この症状がいつまで続くのか、下手したら一生続くのでは、という思いだった。

苦しい状況から抜け出したい。

けれども、どうやったら治るのかがわからない。活動を最小限にして、部屋に閉じこもっていても、まったく治る気配がない。部屋でだんまりと、不安と虚無感とひざをつき合わせ、時間が過ぎるのをじっと待つ他なかった。

その後、観光ビザが切れそうなので、トルコからエジプトへ移動。国を変えても、虚無感はつきまとった。一時的に、新しい環境やモノを見てドーパミンが発生し、「あら、これなら行けるかも」と思ったのも束の間。その後は、ふたたび虚無と不安との三者面談が行われるのである。

終いには、何をしてもすぐにまたあの不安に襲われるのでは?という不安に常にかられた。

仕事があるにも関わらず、どうにも朝起きれず、ベッドで1日を過ごすこともあった。せっかくエジプトにいるのに、こんなでくのぼうの状態か・・・。やる気は停滞し、自分が何をしたいのかも分からず、自分がやっていることに意味が見出せない状態が続いた。

何もかもやめたい・・・

すべてから逃げ出したかった。

旅に出た当初は、漫画「ワンピース」のルフィが船出するときのように、未来の物語は自由と希望に満ちあふれていた。けれども、数ヶ月後には船は自由という魔物が潜む荒波に飲まれ、難破する。そして船上でぽつねんと、「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ」とつぶやくのである。

症状に関しても、燃え尽き症候群によるものなのか、うつ病的なものなのか、よく分からなかった。なぜ自分がこんな状態になったのか、自分は何を患っているのか、どうやったら治せるのか。

今までの生活とは違う未知の世界に飛び込み、そこで待っていたのは、未知の脅威であった。

未来からの使者

カイロ空港で、たまたま出会ったのが旅人のN氏である。初対面だというのに、気づけば6時間も話し込んでいた。

まともな他人との会話に、ここ数ヶ月ありつけていなかった私は、狼のように飢えていたらしい。

トルコではイスタンブール以外は、ほとんど英語が通じず、最後の方には「あー」とか「うー」など不気味なうめき声とオーバーリアクションを添えたものが、私のコミュニケーション手法になっていた。もはや、原始人である。

時々、英語が分かる人に出くわすと、「いや、そんなオーバーに言わんでも分かるて」と冷たい目で言われた。

N氏は、自国ウクライナで家業を手伝いながら、頻繁に海外へ旅する生活をかれこれ10年ほど続けている人間だった。イギリスで心理学の修士課程を取得したということで、ロシア語なまりの少ない、流暢な英語を話していた。

N氏も、旅先からオンラインでロシア語と英語を教える仕事をやっているのだという。いわば、デジタルノマドのパイセンである。同じような境遇、しかもその道をすでに10年もやっているパイセンに聞きたいことは、山ほどあった。

「そんな予定をパンパンにしてやっとたら、そんなことになるのは当たり前やさかい。俺かて、そんなん3ヶ月以上もぶっとうしで、旅するなんて無理やがな」

「こないだもパキスタン行ったんやけど、そのあとはウクライナに戻ってゆっくりしとったわ。家にいる間は、ほとんど寝とったし。そんだけ、旅っちゅーのは疲れるもんや。仮にパキスタンからエジプトに直できてみい。そんな体力もなくて、旅も楽しめなくなっとるわ」

パイセンの話を聴きながら、私はこれまで自分がやってきたことを脳裏でリスト化してみた。

・週3~5日でリモートワークの仕事
・週2でアラビア語のプライベートレッスン
・週2でアラビア語の語学学校通い
・ジム通い
・旅行の計画と実行(行く場所のチェックや行き方の確認など。時には現地ツアーのリサーチも)
・滞在場所の選定(ネット環境やセキュリティなどを細かくチェック。隔週で引っ越しするようなもん)
・旅行先の写真や動画をSNSにアップ(インスタの写真だけでなく、TikTokにも手を出し動画作成にも従事。終いには自分が本当に行きたかった場所なのか、SNSでのアップを考えての行動なのかが分からなくなってきた)
・1~2週間毎に新しい環境に適応
・日常の雑用(買い物や家事など)

キモッ。

何これ。

というか、こんなマルチタスクできるわけないじゃん。というか、自分何がしたかったん・・・?とはいえ、これという原因を断定することはできなかった。

マルチタスクだけが、燃え尽き症候群の原因とも言い難い。

なにせ、極端に人と接していなかっただとか、マイナス20度という極寒の土地(トルコ中部は平気で気温がマイナスになる)にいたとか、気づいたらSNSのやりすぎ(途中からSNSを見ると不安感にさいなまれるようになった)、自由ゆえのストレス、運動してない・・・とにかく容疑者が多すぎて断定できないのである。

逆にいえば、主犯は存在せず、すべての要因が幇助や教唆という形で加担した結果が、燃え尽き症候群やうつ病的な症状なのかもしれない。

「パイセン!でも世の中には、ずーっと旅を続けている猛者だっているじゃないですか。あの人たちは特別な人なんですか?あの人たちは、燃え尽き症候群とかにならないのでしょうか」

「アホか。しょせん、みんな自分の良いところしか出さんのや。インスタとか見てみい。あんなん、キラキラを見せつけるキキララショーや。あんなとこで、リアルな苦しみだとか病気になったかっこ悪い自分なんか出すわけないやろ」

自分が体験したことや苦しみをすでに経験し、すでに一歩先を行っているパイセン。パイセンだから当たり前なのかもしれないが、そのときの私にとっては、未来から使者にも見えた。

旅に出たからには、旅をしなければならない。せっかく新しい場所に来ているのに、旅行しないなんてもったいない。時間とお金を無駄にしているんじゃないか。

旅がすでに義務に転じてから、物事がうまくいかなくなった。

日常生活と仕事と旅をうまくやりこなすのは、至難の技だ。というか、無理。そして私は暴発した。けれども、ありとあらゆることをやった先に、何が待っているのか。当初の私には、想像力がなさすぎたのだ。

けれども、それはうつ病の人に、うつ病になる前になんとかできなかったの?と言うのと同じだと思う。燃え尽き症候群も、回避法はたくさん紹介されているが、誰だって自分が燃え尽き症候群になるとは思ってもいないだろう。そうなって初めて気づかされるのだ。

旅行は非日常だから楽しいのであって、旅行が日常化するとさして面白みもなくなる。じゃあ、旅を乗り越えて、現地人と同じような”暮らし”ができるか、というとそうでもない。

”暮らし”をするのには、1~3ヶ月の短期滞在なんて短かすぎるのだ。そして、現地を知るにしても、短すぎる。

よって、現地での”暮らし”が営めるわけでもなく、フルで旅を楽しめるわけでもなく、仕事もフルでこなせるわけでもなく。現地に溶け込んで友達や知人を作り、その社会とつながりを持てるわけでもなく。

最終的に、何を軸としているのかよくわからない生活形態が出来上がるのである。「風の谷のナウシカ」に出てくるような、覚醒が早すぎた巨神兵の状態である。

燃え尽き症候群から回復するまで

どうやったらこの状況から回復できるのか。いつ、この状況から解放されるのか。この状態から解放されるなら、100万円ぐらい出しても良い。それぐらい必死だった。迷える羊のように、何をしたらよいのか分からず、右往左往していた。

結果的に、精神や体調が元に戻るまでに私の場合は発症から4~5週間ぐらいかかった。苦しかったが、色々なことを考える期間にもなった。

もしも同じような境遇の人がいるならば、私から言えるのは1つしかない。ただ、時間が過ぎるのをじっと待つしかない。

”治し方”と紹介されているものは、一通りやった。

ジム通いをはじめて定期的に運動し、体を疲れさせ早く眠れるようにしたり、SNSから距離をおいたり、生活にリズムをつけてまったく働かない日を決めたり、予定を詰め込みすぎたりしないようにしたり、生活を作るために完全に旅行を排除してみたり。時にはお酒を飲んで、不安を忘れ、寝つきが良くなるようにした時もあった。

けれども、それらをやったところで、一時的に虚無感や不安感から解放されることはあっても、効果テキメンですぐに治るというわけではなかった。結局は、時間の問題なのである。

不安と虚無との三者面談は、今思い出しても嫌なものである。

こんな目にあったので、デジタルノマド生活は自分には向いていない。やっぱり元の会社員生活に戻った方がいいんじゃないか・・・とは思わない。

なぜか。

そもそも新しい生活を始めるにあたって、こうした困難はつきものなのだ。ドバイ生活もそうだった。初めの数ヶ月は新しい生活に浮かれていたが、それ以降は暗黒のドバイ生活が待っていた。それでも、続けていれば事態は好転する。そしてそれは、何もしないで傷つくことも失敗もしない時よりも、喜びは大きい。

谷底に落ちて多くの学びを得たからこそ、次回への改善へとつながる。次も谷底に落ちるかもしれないが、それでも今回よりは綱渡りがずいぶんと上手くなっているはずだ。何事も経験を経て、ブラッシュアップされていく。

それでも、まだ見ぬ中東・イスラーム圏を自分の目で、つぶさに見ていきたい。そのためには、旅をしながら仕事をするというスタイルを続ける必要がある。

ただ今回、”定住地を持つ”ことの意義も考えさせられた。燃え尽き症候群うんぬんというよりも、事務的に住所や電話番号を持たないと、やはり色々と困ることもあるのである。

やめるか、やり続けるか、昔の生活に戻るか、というよりも、今回の経験と学びをもとにさらにベターな生活スタイルを追求していきたいと思う。次は、腐っていない、まともな巨神兵に生まれることを願いたい。