人類最古の神殿、トルコのギョベクリテペ遺跡に行ってみた

特に考古学に興味があると言うわけでもないが、それでも世界最古だとか古代だとか言われると、妙に気になってしまう。

トルコで訪れたギョベクリテペ遺跡もその1つである。

ギョベクリテペ遺跡とは?

何とも言いにくいこの名前。ギョベクリテペ(Göbekli Tepe)は、トルコ語で「ギョベ(Göbekli )」が太鼓腹、「テペ(Tepe)」が丘を意味する。「太鼓腹の丘」の遺跡というわけだが、もう少しカッコいい名前をつけてもよかったのではないかと思う。

名前の通り、この遺跡は丘の上にひっそりと存在する。トルコ南東部にあるシャンルウルファという町からは約10キロ。市内から車で30分ほど行った場所にある。あたりに村や町はない。ただ、のどかな田園風景が広がっているだけである。

トルコギョベクリテペ遺跡の場所
ギョベクリテペ遺跡の位置。シリア国境に近いトルコ南東部に位置する。

ギョベクリテペ遺跡観光
世界最古の神殿「ギョベクリテペ遺跡」。敷地内にはこうした遺跡がいくつかあるが、訪問時に公開されていたのはここだけだった。近くには博物館とお土産ショップがある。

ギョベクリテペ地図
ギョベクリテペとその周辺にある遺跡マップ。遺跡は各所に点在していることがわかる。

ギョベクリテペ遺跡行き方
ギョベクリテペからの風景

この遺跡、すごさの割には全然知名度がない。知名度が低いので、情報もそんなにない。ナショジオは、ひっそりと「2020年に行くべき25の場所」の1つにギョベクリテペを選出していたが、コロナの影響で誰にも注目されることなく、ここまでやってきてしまったらしい。

世界遺産に登録されたのは2018年。トルコには、他にもエフェソス遺跡やカッパドキア、トロイ遺跡など有名な遺跡が目白押しである。こうした強豪ひしめくトルコの遺跡事情を考えれば、ギョベクリテペが観光客の間であまり知られていないのも、不思議ではない。

正直いうと、ギョベクリテペ遺跡は、ピラミッドやジッグラトのようにヴィジュアルがすごいわけではない。写真を撮っても、映えないし、見た目もパッとしない。

けれども、そこには静かなる威厳がある。

1万2,000年前に作られた人類最古の神殿

一体、ギョベクリテペ遺跡の何がすごいのか。

現時点で、ギョベクリテペ遺跡は、「人類最古の神殿」だとか「人類最古の聖地」だと言われている。紀元前8,000~9,000年前に建てられたと推定され、つまりは約1万2,000年前に作られた神殿である。

約1万2,000年前。

想像できようか。

この歴史の悠久の流れを。

人類最古の文明と言われるのが、メソポタミアでおこったシュメール文明である。このシュメール文明がおこったのが約6,500年前。ピラミッドを作ったエジプト文明でさえ、約4,500年前の話である。

他の古代遺跡と比べても、その差は歴然だ。

<世界の古代遺跡番付>
ウルのジッグラト(イラク):約6,100年前
ニューグレンジ(アイルランド):約5,100年前
三内丸山遺跡(青森県):約5,000年前
ストーンヘンジ(イングランド):約5,000年前

モヘンジョダロ(パキスタン:約4,600年前
ギザのピラミッド(エジプト):約4,560年前

そう。1万2,000年前のギョベクリテペはぶっちぎりで古いのだ。

歴史の定説をくつがえす発見

ギョベクリテペが騒がれているのは、「人類最古」だからと言う理由だけではない。これまでの歴史の定説をくつがえしたと言う点において、世界の人々をざわつかせているのである。

1万2,000年前といえば、ようやく氷河期時代が終わりを迎え、日本では縄文時代に突入する頃である。これまでの歴史での定説では、人類が農耕を始め定住をし、その後に文明や国家、宗教などが発達したと考えられていた。

その典型的なのが、メソポタミア文明である。ユーフラテス、チグリス川が生み出した肥沃な土地で人類は農業を始め、そこからウルクやウルと言った古代都市が次々と生まれた。

ギョベクリテペ遺跡を見てみよう。遺跡には、T型のトンカチのような巨大な石柱が円形状に並んでいる。その高さは6メートル以上。石の重さは20トン近くある。こうした巨大なブツを動かすには、人手がいる。

けれども、その時代に農耕はまだ始まっていない。狩猟時代でありながら、でっかいブツを作ってまで人々は何かを信仰し、それを動かすだけの人間が大勢いたということがうかがえる。

つまり、農耕→定住→宗教という説、違ったんじゃね?ということである。

ギョベクリテペ遺跡_2
動物の絵が彫られた巨大な石柱が意味ありげに並んでいる。なぜ円形状なのか、この物体が何を意味するのかについてはまだ明らかになっていない点が多くある。

ギョベクリテペ遺跡_1
T字型の石柱にはツルや狐、イノシシ、トカゲなど様々な動物が生き生きと描かれている。

ギョベクリテペ遺跡_3
トカゲやイノシシに見える動物の彫刻。

個人的に衝撃的だったのは、1万年以上前から人間は、目に見えないものを崇めている、信仰しているということである。それは、今の時代も変わらない。

ここでいう信仰とは、何も宗教のことではない。日本人は、「神なんて信じてませんよ」だとか「宗教なんて怖い」というが、お盆には祖先の霊が帰ってくるだとか、お墓参りをサボるとバチがあたるだとか、自然や祖先の魂といった多様なものを信じている。

1万年前の人間というと、ちょっと想像がつかない。けれども、ギョベクリテペ遺跡を見ていると、1万年前の人間も、現代の我々も何かを信じながら生きているのだ、ということがわかる。

現代の人間は、テクノロジーを駆使して何やら進化しているように見えるが、「スマホ脳」という本によれば、人間の脳は1万年前から進化していないという説もある。だから時々、テクノロジーの進化についていけず、疲れてしまうこともある。

人間という生命体で考えた時に、1万年前の人間と現代の我々との間に、違いはあるのだろうか。

といったように、普段は1万年前の人間のことなどこれっぽちも考えないが、ギョベクリテペ遺跡を訪れたことで、こうした時空の旅に思いをはせることができる。

考古学者たちが注目する黄金の三角地帯

ギョベクリテペ遺跡の驚きは、それだけではない。遺跡がある場所にも注目されたい。遺跡発掘の中心的存在がドイツの考古学者クラウス・シュミット氏である。

彼は、TEDトークでこんなワードを持ち出していた。

「黄金の三角地帯」

黄金の三角地帯、もしくはゴールデントライアングルといえば、一般的にタイ、ミャンマー、ラオス周辺の麻薬製造地帯のことを指す。しかし、ここではトルコ、シリア、イラクなどにまたがる地域のことを指している。クラウス氏いわく、考古学者たちの間では非常にアツい地域なのだという。

考古学者たちがいう「黄金の三角地帯」は、肥沃な三日月地帯の上部に位置する。肥沃な三日月地帯というのは、古来から土地が肥沃で、農業も栄え、いろんな文明が発達した地域のことである。

ギョベクリテペ遺跡_黄金の三角地帯
三日月状になっているのが「肥沃な三日月地帯」。その中心部に位置するのが、「黄金の三角地帯」。What is Goebekli Tepe | Klaus Schmidt | TEDxPragueより参照

肥沃な三日月地帯は、イスラエル、レバノン、シリア、イラクに広がっている。今では、物騒な地域というレッテルを貼られているが、その下には実に豊かな土地が広がっている。

イスラエル、レバノン、シリアは、地中海に面しているし、イラクは中東=砂漠地帯というイメージに反して、湿地帯や田園風景が広がっている場所もある。この地帯は、天候も穏やかで、彩り豊かな果物や野菜が市場にこんもりと並んでいる。

メソポタミア文明が生まれた土地
沼地地帯が広がるイラク南部の様子。かつてマーシャ・アラブと呼ばれる人々が沼地に家を作って住んでいた。

メソポタミア文明を作り上げたユーフラテス、チグリス川はイラクの川というイメージが強いが、その源流はトルコにある。シャンルウルファの町から80キロほど言った場所には、ユーフラテス川が流れている。

トルコの国土は広い。日本の2倍の面積はある。よって地中海側、黒海側、内陸部などで天候もずいぶんと違う。

トルコ南東部は、冬であっても気温はそこまで低くならず、晴れの日が多い。オフシーズンの冬にトルコを旅していて、一番過ごしやすかったのもここである。

肥沃の三日月地帯の恩恵を少なからず受けているであろうこの場所。ギョベクリテペ遺跡が、ここに存在した理由もうなずける。

ここからは素人の勝手な妄想に過ぎない。

紀元前8~9世紀のギョベクリテペから、シュメールまでは、3,000年ほどの開きがある。

もしかしたら、その間にも別の文明や国家が存在したのではないか。考古学者たちのいう「黄金の三角地帯」は、これからも人類の歴史を変えるような、新しい発見が出てくることを予感させる。

妄想と歴史ロマンはつきない。

歴史的な遺跡は、こうしたワクワク感を与えてくれる。それは宇宙や太陽系惑星など、果てしないスケールのものを考えるときの、ワクワク感に似ている。

ギョベクリテペ遺跡への行き方

このように歴史的にはめちゃくちゃすごい場所なのだが、ギョベクリテペ遺跡は観光地としては、それほど整備されていない。

観光客からスルーされがちなトルコ東部にあるためか、ツアーもほとんどなく、町からかなり離れた場所にあるので、公共の交通機関もない。よって、タクシーで行く方法が一般的だろう。

遺跡付近には、待っているタクシーもないので、基本的には見学中は待機してもらうことになる。待機時間も含めると、1時間半ほどで行ける。シャンルウルファの町(もしくはバス停)からは往復で170TLほどであった。

シャンルウルファの町も観光が楽しい町である。ギョベクリテペ遺跡を訪れたら、シャンルウルファの考古博物館も訪れたい。ギョベクリテペ遺跡のレプリカや人類最古の人間の形をした石像「ウルファマン」が展示されている。日本語の音声ガイドもある。

ウルフマン
シャンウルファの考古博物館にあるウルファマン

シャンウルファ
預言者アブラハムの町としても知られるシャンルウルファ。

町は多くのシリア難民であふれているためか、なんとなくアラブの町に近いものがある。シリア国境からは50キロメートルしか離れていないが、町を歩く限りではそうした治安の悪さを感じさせない。むしろ、トルコ西部の町よりも活気に満ちた町である。

そして、イスラーム教徒にとってはカリスマ的存在であるアブラハム生誕の地でもある。アブラハムゆかりのスポットがいくつかあり、イスラーム教徒たちにとっては、アツいスポットが目白押しな場所である。

人口200万人ほどの町でこじんまりとしているが、日帰り旅行先としては十分楽しめる場所である。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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