イスタンブールは猫の街だという。ガイドブックを見ても、こんなに猫がいるんだよおと言わんばかりに、街中を動き回る猫がフューチャーされていた。
まあ、言うても猫が多い街というのは、世界にはたくさんある。だから、イスタンブールの現状を目の当たりにするには、猫好きによる誇張表現だと思っていた。
が!
イスタンブールは、確かに世界でも比類のない猫の街だったのである。まずはその実態を知っていただこう。
地下鉄の駅構内に設置された猫のイートインスペース
道端の猫ホテル(1泊3食付き)
ホテル前に設置された無料のイートインスペース
お分かりいただけただろうか。
町中をあげて野良猫をサポートしているのである。何気なしに道ゆく人々を見ていても、キャットフードだったり、フードを入れるおわんを持ち歩いている人がいる。街中の人間が、猫の保護団体関係者に見えてくる。
ちなみに猫だけでなく、犬も野放しになっている。オオカミばりにでかいワンコが、人間ヅラしてその辺を闊歩していたり、草っ原で寝ていたりする。犬の耳には、タグみたいなものが付いており、彼らは保護団体公認で野良犬をやっているのだろう。
死んでるのかと思いきや、単にヘソ天スタイルで寝ていた犬。犬というのはのん気なものである。
道端にたたずむワンコ。街の人もまったく気にする様子はない。
それにしても、おそるべしイスタンブール。
この街では、生類憐れみの令でも発令しているのだろうか。
日本であれば、路上で発見され次第、保健所に連行されるのがオチである。だが、イスタンブールではそんなことはない。
いや、むしろこれこそが徳川綱吉が目指した理想郷なのではないだろうか。動物と人間による共存。ワンコも猫も人間の都合で、無下に命を奪われることなどない。動物も人間と同じように、気ままに暮らしている。
野良であっても、メシには困らない。よって、安定した生活を保証されたイスタンブールの猫たちは、そのほとんどが肥満体型であり、さらにはこんな行動にまで出る。
客が試し履きするイスを占領するヤクザ猫
自動改札機のタッチポイントをふさぐ猫
土産物をベッド代わりに使用する猫
人が食べているサバサンドをよこせと圧力をかける猫。通りすがりのジモティーが「猫がいるんだから、あげたらどうなの?」などと横やりを入れてくる。
なんたる惨状だろうか。
人間がやれば、業務執行妨害や恐喝罪などに値するが、この街において、猫は何をしても許される存在なのである。猫にとっては治外法権な場所がイスタンブールである。
通常であれば、「あれまあ、可愛い猫だなあ」で話は終わるが、猫の街の恐怖はこれからである。とある日、街散策を終えて滞在先のアパートに戻った時のこと。アパートのドアを開けると、「ミャー」と車の陰から出てきた猫が、アパートの中に入り込んできたのだ。
ひえっ!?
猫は前足を負傷しており、足を引きずるように歩いていた。そして、私が滞在している2階の部屋までついてきた。あわよくば部屋に入れてもらおうという魂胆が見えたので、「その考えは、流石に甘いんじゃないの?」と、とりあえず廊下に放置することにした。
しかし、相手は負傷した猫。「なんとかしなきゃ」という動揺が走る。
廊下で猫がミャーミャー鳴くので、同じ階の隣人まで「どうしたん?」と様子を見にきた。隣人もAirbnbを利用している人だった。「どこ出身?」と何気なく聞いたら、女性は「韓国で生まれたけど、養子に出されて今コロラドに住んでるのー♪」と言う。
げげっ。
初対面で「自分は養子だ」などと言うパワーワードを平気で繰り出すとは。
負傷した猫よりも、威力は強くおののいた。まあ、日本人ならば5世代ぐらい前までさかのぼっても、先祖はだいたい日本人なのであえて言う必要はないが、移民の国アメリカだと、国籍と出自をセットで答えるのが、パターン化しているのだろう。
1週間しかイスタンブールに滞在しないと言う彼女が部屋から持ってきたのは、袋に入ったキャットフードであった。短期滞在者にすら、キャットフードを買わせると言う、イスタンブールの街。
何か不気味な空気を感じてならなかった。
この街には何か・・・ある
終いには、先の女性の彼氏も出てきて、なんとか猫の傷を手当てすることになった。キッチンペーパーをちぎって、フロス糸でとめてみたり、絆創膏をはってみたり。大の大人が30分ほどかけて、猫を手当てする。
何、コレ・・・
「猫ちゃん、大丈夫よ〜痛くないよ〜」などと励ましていた先の彼女は、その態度とは裏腹に頑なに猫を部屋に入れることはしなかった。まあ、賃貸なので当たり前なのだが。
猫がどこかへ行く様子もない。そして暗黙のうちに、狭い2階の廊下で猫をとりあえず泳がすことになった。
その後再び、私は外出。数時間ほどして戻ってくると、まだ猫はいた。
大人3人がかりで手当てした猫
「まるで忠犬ハチ公じゃないか」と浅ましい私は思った。そして、猫をそっと賃貸の部屋に入れてやり、すぐさま近くのショップにキャットフードを買いに走った。
気づけば私の手には、人生で買ったことなどない、キャットフードがあった。
すでに私はこの街の呪いにかかっていたらしい。
当初は怪我をしているから数日ぐらいは家においてやろう、と思った。しかし、すぐにその考えを捨て、翌日には猫を追い出すのである。
猫というのは、犬みたいなもんだと思っていた。犬ならほぼ人生と同じ年数、飼ってきたという自負があった。しかし、猫は犬と全然違った。
というかこの一件により、犬と猫を「犬派か猫派か」という同列で比べること自体が、おかしいのではと思うようになった。
転がり込んできた猫。お構いなくずんずんと部屋を動き回る
猫は鋭い爪と歯という武器を持っている。しかも、よく動き回る。犬というのは、だいたい同じポジションで長時間寝ていたりするもんだが、それに反して猫(少なくとも転がり込んできた猫)は、短時間のうちに場所を変えてうろうろする。
私が寝ようとするとベッドに登り、私の目の前で、グーグーというような室外機のような音を出しながら、その場で足踏みを繰り返すのである。
ひえええええ
楳図かずおの漫画ばりのホラーがそこには広がっていた。
これは何とかせねば!ということで、YouTubeで猫が嫌いな音などと検索して、不快音で追い出そうとするにも、この図々しい猫には効かない。よって最終的には、布団にくるみ外に追い出したのである。
それ以後、その猫が姿を見せることはなかった。
部屋には猫のくさいウンチが残されただけだった。
人間の下痢ぐらいの臭気である。
何これ・・・
猫に遊ばれただけじゃあん・・・
猫の恩返しなんて幻なのだ。
猫にもてあそばれたのは、これが初めてではない。ドバイに移り住んだ1ヶ月後にも同様の事件が起こった。
なぜこんなにも猫が大事にされているのか。
トルコ人に聞いても、「イスラーム教ではね、猫を大事にするからだよ」などというおきまりのアンサーを持ち出してくる。しかし、他のイスラーム圏と比べても、イスタンブールのそれは度を超えている。
猫の街イスタンブール。そこには、目に見えない何かがある。
この街は、猫の息がかかった街なのだ。いや、むしろ猫によって支配されているのでは、とすら思ってしまう。
ということで、イスタンブールを訪れる際には、どうか猫にお気をつけあそばせ。