観光はできるのか?コロナ禍でのトルコ観光

トルコは、観光客に開かれている数少ない国である。そんなトルコに12月中旬にやってきた。フリーランスかつリモートで働いているため、どこにいても同じじゃね?ということで、トルコにのこのこやってきた次第である。

観光がメインでやってきたわけではないとはいえ、観光はどれぐらいできるのだろうか。

レストランはすべてクローズ

一言でいえば、観光はできるがフルで観光ができるわけではないという状態である。主要な観光スポットはオープンしているし、人々はマスクをつけているが、いたって日常の光景が広がっている。イスタンブールあたりだと、そこそこ観光客(主にロシア人)がいたし、観光ツアーも行われていた。

しかし、11月下旬から感染者数が急増。その数、1日に3万人である。渡航を決めた当初は1日3,000人程度だったのだが、気づけばトルコは感染者数が多い国ランキングトップ5に入っていた。

そんな状態を受けて11月下旬からは、レストランはすべてクローズ。お持ち帰りのみの営業になっている。それに加え、土日の週末には日中の外出制限がある。しかし、なぜか観光客だけには適用されない。観光客だけが、街中をうろつく特権を与えられているのである。

観光客だけずるい!とジモティーに路上で襲撃されるのではと思ったが、そんなことはなかった。


平日は人でごった返すイスタンブール広場も週末は、外出制限のためひっそりとしている


平日の街並み。トルコの主食はパンであり、いつも大きなバゲットを持ち歩いているジモティーを見かける

週末でも観光スポットはかろうじて空いているが、そのほかのショップなどはすべて閉まっているし、公共の交通機関も動いていない。どこかへ行こうとする場合タクシーを利用する他ないので、移動費が高くつく。それに外に出てみたところで、それほど楽しいアトラクションがあるわけではないのである。

食なしのトルコ観光はわびしい

トルコにおいて、レストランで食事ができないというのはかなり厳しい。なにせトルコといえば食。トルコ料理は世界三大料理にも数えられており、その豊かな食は市場や街中を見れば一目瞭然である。


オリエント急行の終着駅となったシルケジ駅近くにあるスイーツショップ。赤いトルコ帽をかぶった店員が出迎えてくれる


トルコ第3の都市イズミルの街中で売られていたサンドウィッチ

オスマン帝国のメイン舞台となったトルコでは、宮廷料理も発達した。「トルコ料理は、毎夕食に40もの料理を並べさせ、皇帝が気に入ったものしか食べなかったという、王朝料理の伝統を受け継いでいる」とも言われる。

普段は食にそんなに興味がなく、日本で生活していてもほぼ自炊で済ませる人間にとっても、トルコ料理が堪能できないという事実は、ショッキングな事件である。

いや、ショッキングなのは飲食店の人々だろう。イスタンブールの市内ツアーで、とあるカフェに立ち寄った。すべてのレストランがもぬけの殻となっている中、なぜかその小さなカフェだけには客がいた。

もちろん規制の中において、店を営業することは許されない。見つかれば多額の罰金を払う羽目になる。けれども、その店のオーナーは娘が私立大学に通っているため、なんとか学費を稼がないといけないのだという。娘のために、違法と知りながら細々と営業する店主の背中は、たくましくもあり、かぼそくもあった。


イスタンブールの”違法カフェ”。店主は客のチャイを入れており、店内の客は静かにシーシャを吸っていた

ゴーストタウンと化した観光地

イスタンブールはそこそこ観光客がいたが、それ以外になると観光地はもはやゴーストタウンだった。例えば、地中海地域ではもっとも保存状態がいいと言われる世界遺産のエフェソス遺跡。私が行った時には、3~4組の観光客がいるだけだった。

夏のオンシーズンには、クルーズ船観光客でにぎわい、チケットを買うのにも1時間ぐらいかかると言われているらしい。そんなガイドの言葉がまぼろしのように思えるぐらい、人気の古代遺跡はひっそりとしていた。


エフェソス遺跡

白い棚田で有名なパムッカレも同様である。旅行者のブログや写真を見る限りでは、とにかく人が多いということらしい。けれども、実際に現地に行ってみると、パムッカレの村は、廃村なのか?と思うぐらい人気がない。遠目に白い棚田をみても、人らしきものは全く見えないのである。

そうしたわびしい光景とともに聞こえるのが、観光業の人々の切実な声である。

「去年は年間で200ツアーをやったけど、今年は60しかやってないんだよ。どうせツアーが終わってもやることはないし、ツアー時間が延長してもいいから、心ゆくまで楽しんでいってよ」とのたまうエフェソス遺跡のガイド。

「去年の12月にホテルをオープンしたんだけど、その直後にコロナが来ちゃったんだよね」とこぼすパムッカレ村のホテルオーナー。

しかし、こんだけ収入源が激減したら人々はどうやって生活するのだろう?

「毎年冬場は仕事が少なくなるから、それに備えて貯金をするようにしているんだ。10年以上もこの仕事をやっているから、どうやって貯金をしていくかということも身についたんだよね」

やはりいざとなったら貯金である。日本人にとって、貯金はさほど意外なことではないことかもしれない。

けれども、世界には貯金をするという概念を持ち合わせている人は、それほど多くない。生活がカツカツな場合もあれば、そもそも未来よりお金を使って今を楽しむという価値観の違いなどによる。

年末年始はロックダウン

感染者が減らないせいか、年末年始は4日間のロックダウンとなった。ロックダウンのせいか、年末のせいか市場はアメ横のごとくにぎわい、スーパーに入るのにも順番待ちの列ができていた。


年末に見られたとんがりハットの路上販売。誰が買うのかと思ってたら、大の大人たちが次々と買っていった。

このロックダウンが外国人にも適用されるのか分からなかったが、こちらとしても出ても何もないのはわかっているので、とりあえず家の中にずっと引っ込んでいた。

普段から出不精のせいか、数日間家から出ないというのは、それほど辛いものでもなかった。1回だけ外に出てみたが、小さな店はポツポツとやっており、人もちらほら歩いていた。必要最低限の買い物などはOKだったらしい。

引きこもりながらの観光

観光の醍醐味といえば、現地の人や他の旅行者とのふれあいもあるだろう。トルコの街中では、規制により全員がマスクを着用しなければならない。

またトルコ国内で外国人は、個人をトラッキングするためのHESコードなるものも取得しなければならない。大きなモールに入る場合や長距離バスに乗るにも、このHESコードを提示することが求められる。

マスクをつけている分に話すのは問題ないが、それでもお茶を飲んだり、ちょっとした際にマスクを外さなければいけない場面もある。1日3万人以上の感染者が出ている中で、これをやるのは正直怖い。

リモートワークでリアルでの人との交流がない上、トルコは英語があまり通じないので、時々無性に誰かと話したくなる時がある。そんな時にふと、Airbnbで他人の家に宿泊してみようか、などと考える。

しかし、マスクをしていない状態で家で話し込んだりするのは、やはり怖い。そういうわけで、やはり1人でいるしかない。孤独なのは平気だが、現地のことを知る機会が減るのは痛い。

そもそも冬はトルコの観光オフシーズンなのだと、しみじみ感じる。イスタンブールでは2日1回雨がふり、滞在中もほぼ曇天の毎日である。外が明るくなるのは、午前9時以降。朝の8時でも真っ暗でヨーロッパ的な冬を感じる。

初めからわかっていたことだが、それほど落胆はしていない。いや、むしろコロナだからこそ「観光なんてできないでしょ」という期待ゼロなのだ。むしろ、何かを観れたり、やりたいことが出来たらラッキーというレベルである。

コロナ禍の観光は、「どうせ無理っしょ」という期待値を低くした分、やり遂げた時の感動を大きくしている。さらに、近い将来でもどうなるか分からない、という不確定要素をまんえんさせることで、今日できることをやろう、今日を楽しもうという近視眼的な視点も与えてくれたのである。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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