トルコ滞在1ヶ月目。ケバブと伸びるアイスだけじゃなかったトルコ

トルコに滞在して1ヶ月。色々印象に残ったことを書き連ねてみようと思う。

店員のリーチが恐ろしく速い

トルコでとにかくビビったのが、店員のリーチの速さである。高水準の接客術を誇る(と私は思っている)日本国からやってきた私でも、その客への声がけの速さにおののいた。

日本であれば、入店から5~20秒ぐらいで、「いらっしゃいませ〜」と声がけが始まるが、トルコは違う。もっと速い。店の前に一瞬でも立ち止まると「いらっしゃいませ〜」なのである。

客の呼び込みスキルがハンパなく高いのか、ヒマなだけなのかはわからない。特定の店だけかと思いきや、ほとんどの店で同様のことが発生するのである。

これはトルコ人の特殊能力なのだろうか・・・

生類憐れみの令発令中

トルコといえば、伸びるアイスだとか、ケバブとか、親日だとかいうイメージがあるが、この1ヶ月の滞在で、最も印象強かったのが「犬猫パラダイス」としてのトルコである。

トルコには、犬や猫がそこら中にうろついている。イスタンブールは猫の街というぐらい、猫が異常に多い。いや、その数だけではない。もはや猫に支配されている街なんじゃないかと思うぐらい、猫の意のままに操られた街なのである。

人々は、見も知らない野良猫を非常に気にかけている。この辺は猫の街イスタンブールで受けた猫による洗礼。どうしても猫は好きになれないを参照。

一度、この街に足を踏み入れれば、知らず知らずのうちに猫に何かしてやらなきゃ、と思うようになるのである。恐ろしい町だ。

そして犬もたくさんいる。不思議なことにイスタンブールやイズミルなど海沿いの大都市で見かける犬は、狼のごとくでかいが、内陸部に行くと途端に犬が小型化するのである。犬種も雑種から、ペットとして飼われているようなシーズーとか、ブルドッグみたいな犬種である。

野良犬や猫が路上でたむろしている街は、他にもある。しかし、トルコが違うのはそのほとんどが管理されているという点である。犬の耳には、タグのようなものが付いている。なるほど。公認で野良犬をやっているらしい。

トルコの猫
トルコにいると猫の写真がひたすら増えていくという現象に見舞われる

これは、トルコで特に感心した点でもある。日本であれば、犬や猫は路上にいたらあかん!という人間の都合により、保健所などに連行。そして”飼い主”が見つからなければ、お前を生かしておくことはできない、と言って死に至るのである。

書いていて思ったが、なんと人間中心の残酷なストーリーだろうか。

ここトルコでは、犬猫は特定の”飼い主”を持たずに、好きな場所で眠り、好きな場所へと移動する。人間も気が向いたら、犬猫を可愛がる。人間だろうが犬猫だろうが、お互いが自然体で生活しているのである。

英語が通じない

思ったより、というかほとんど英語が通じない。そしてトルコ語を覚えようという気力もない。その結果、理解できない、誰にも理解されないという孤立を味わうことになった。

トルコ語はローマ字を使っているので、おぼろげには読めるということが、唯一の救いである。と言ってもトルコ語独自のアルファベットもあるのだが。

トルコローマ字といえば、トルコ建国の父ケマル・パシャが、2晩徹夜で考えたという伝説がある。と言いっても、英語のローマ字に点々を足したり、ちょこっと線を足したものだったりする。数時間で思いつきそうなものだが、それを言うとトルコ人からシバかれるかもしれない。

とはいえ、ケマル・パシャの業績は偉大なものである。それまでのオスマン帝国では、アラビア文字が使われていた。しかし、トルコは宗教とは一線を画した世俗国家になるんや!と言うことで、イスラーム教の言葉であるアラビア文字の廃止が決まった。代わってローマ字が導入される文字革命により、識字率が向上していったのである。

アラビア語はとにかく難しい。アラブ人キッズでも難しすぎて「こんなんムリ!」と根をあげてしまう、と言う話もしばしば聞く。一方で、ローマ字の読み書きは、他の言語に比べれれば恐ろしく容易である。

トルコは宗教とは一線を画した世俗国家という看板と掲げているが、人々の言葉にはやはりアラビア語も出てくる。「アッサラーム・アレイコム」とあいさつする人もいるし、「マーッシャアッラー」だとか「インシャアッラー」も、時々聞く。世俗国家といえども、人々の言葉の端々にはイスラーム教を感じさせるものがある。

自給率100%の威力

トルコは自給率100%以上を誇る国である。自給率100%と聞いてもピンとこないが、トルコの道端を歩いていると、それがよくわかる。

野菜、果物、魚、肉、ナッツ類などなんでも豊富にあるのだ。しかも、どれもみずみずしくて新鮮。真冬であっても道端には、色とりどりの果物が並んでいる。


路上やトラックなどで野菜を販売する農家の人々をよく見かける。

しかし遊牧民気質なのか、品ぞろえや料理にはやや偏りがある。スーパーではチーズなど乳製品が圧倒的に多いし、主食であるパンはどこでも売っている。

トルコにやって来て以来、レストランはコロナの影響ですべてクローズしているので、この辺はよくわからないのだが、トルコ料理というのは、素材を使ってじっくり調理するというよりは、素材そのものを活かした料理が多いような気がする。サラダとか。

自給率のすごさは、何気ない場所でも発揮されている。街路樹には、ぶどうやレモン、オレンジなど果実が実りまくった木が、そこかしこにあるのだ。


自宅の庭にでみかんやぶどう、レモン、ざくろなどのフルーツのなる木を見かけるのがトルコ。

ここは楽園か!?

日本の路上でせいぜい、食料にできそうなのは、つくしだとかツツジぐらいである。みかんなんかは、どこへ行っても腐るほどある。そこら中にみかんの木が生えているので、本当にたくさんのみかんが落ちて腐っている。

移動が楽しいトルコ

トルコでありがたいのは、とにかく公共交通機関が発達していることである。人口がそこそこ多く、中流階級が多いのだろう。

4年半ほどドバイにいたためか、それが新鮮だ。ドバイを含めた湾岸諸国は、オイルマネーで潤った国ばかりである。自国民の人口が少ない上に、金はじゃんじゃん入ってくる。

というわけで、おおよその人が車(しかも高級車)を持っていて、車で移動をするのが当たり前だ。公共の交通機関を使うのは、金を持ってない労働者という空気すら漂っている。実際にジモティーが公共の交通機関を使っているのを見たことはない。

トルコで山の中にある村へ行こうとした時にも、当然タクシーを利用するしかないと思っていた。しかし、聞けば乗合バスが出ているという。ほとんど人がいない村にすら、安い交通機関があるとは!


長距離バスのターミナルで待つジモティーたち。トルコは喫煙率が高いようで、休憩の度にスパスパやっている人を見かける


大都市のバスターミナルは、いろんなバス会社のネオンがひしめく。夜の東京みたいである。

都市間をつなぐバスも頻繁に出ている。トルコの国土は日本の2倍。平日であっても、大きな荷物を抱えたトルコ人たちが、乗り込んでいる。バス会社にもよるが、グレードが高いバス会社だと飲み物やスナックも出る。テレビや映画も見れるモニター付きで、飛行機のようなサービスである。

ただこうした交通機関の充実も、東へいくにつれてだんだん薄れていく。アナトリア東部。同じトルコにあっても東部は、観光客からは、ほぼスルーされる土地だ。それもあって、快適さや便利さが東へいくにつれ失われていく。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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