水も飲まなければ、食べ物も一切口にしない、という究極の苦行。それがラマダンである。
そんな苦行にさらされた人間は、断食中何を考えているのか。
他人の頭はのぞけないので、私のケースをお話ししたいと思う。ちなみに、下記は断食中に書いたものなので、若干ネガティブ志向が入っていることを念頭においていただきたい。
なぜ断食なんかやっているんだろう
正直いうと、私はいまいちなぜムスリムたちが、ここまでラマダンに熱くなるのかが解せない。
断食は、イスラーム教徒に課せられた5つの義務の一つである。断食以外にも、1日5回の礼拝や貧しい者への施し、メッカへの巡礼がある。
「普段は礼拝なんかしねえぜ」といっているムスリムでさえも、なぜか断食だけはきっちりやる。そこには「断食をしなかったらさすがにムスリムじゃないでしょ〜」みたいな空気がある。
断食というもっとも辛い義務だからこそ、ご利益があると考えているのかもしれない。しかし、飲食しないおかげで、集中力ややる気が低下する。せっかく就業時間が短縮しても、漫然と過ごすしかない。
もはやテレビを見たり、ネットをぼーっとながめたりするだけの余力しか持てない断食は、果たして本当に必要なのだろうか、と思う。
人間としての知的行動が阻害される。断食明け前の2~4時間前はぶつぶつとそんなことを思うのだ。
頼むから太陽よ、早く沈め
太陽を早く沈め、と思うことは人生において、どれぐらいあるだろうか。いや、ほとんどの場合はないだろう。
夕日を眺めるにしても、名残惜しそうに「ああ、沈んじゃった」というか。朝日の場合は「早く、太陽昇らないかな〜」というのが、我々が一般的に太陽にかける言葉である。
しかし、断食中は、太陽さんにはなるべく遅くに出勤してもらい、早くに退勤していただきたいのである。太陽が出勤していない時間帯だけ、我々は飲み食いができる。ある意味で、夜の世界にしか生きられない夜の住民である。
誰も幸せにならないラマダン
喉も渇いて、お腹がすくと「一体何のために断食をしているんだ・・・」という自己問答タイムがやってくる。
一方で、断食中の同僚たちに気を使い、断食をしていない同僚たちは、机の上の食べ物を隠したり、断食者が見えないように飲み食いする。
断食なんて好きでやっているわけだから、別にそんな気を使わなくてもいいのにな。逆に気を使わせて申し訳ない、と私は思う。
ムスリムたちは、断食というドSのような行為に自ら走り、それを取り巻く人は、彼らに気を使い、肩身の狭い思いをして、飲食をしなければいけない。
・ ・・・
こんなことやって一体誰が幸せになるんだろう。誰も幸せにならないよな・・・じゃあ、なんでこんなことやっているんだろう、としばしば考えてしまうのだ。
マンガでゆるく読めるイスラーム
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