ヒジャーブをかぶらなくなってから、度々聞かれる。
同僚の一人が、神妙な顔つきで尋ねてくる。「ちょっと、真剣な話をしてもいいか」。
おうよ、なんでもこいや!といった矢先。彼の口から出たのは、
「おまえ、イスラム教徒やめちまったのか?」
ヒジャーブをかぶらなくなって以降、どうやら私の知らぬうちに「あいつ、イスラム教徒やめるってよ」的な見解が流布していたらしい。この手の質問を受けると、なぜそんな質問をするのか逆に聞きたくなる。
「イスラーム教は基本やめられないでしょうが」だとか「ヒジャーブをかぶるのは推奨ではあっても、義務ではない」などと、ごたくをとりあえず並べて様子を伺う。
確かにヒジャーブは、イスラーム教徒の女性のトレードマークみたいなもんである。しかし、世の中ヒジャーブをつけないイスラーム教徒もごまんといるのだ。
それにヒジャーブをつけていないからといって、不良ムスリムということでもない。現に、私の隣で働くエジプト出身のヤスミンは、ヒジャーブこそつけていないものの、仕事中もこまめに礼拝に行くなど、真面目なムスリムである。
しかし、先の答えに満足できなかったらしく、「いやそういうことじゃないんだ」と、本質にせまる質問を繰り出す。
「おまえはまだ、アッラーを信じているのか」
なるほど。彼にとっては、そこがイスラーム教徒か否かのラインらしい。実際に、彼だけでなく、私が話を聞いた他のムスリムもそのような見解をもっていた。
改宗する前から、イスラーム教徒とは結局なんなのだ?という疑問が常につきまとっていた。
コーランに書いてあることをすべてこなさなければ、イスラーム教徒じゃないのか。イスラーム教徒の5つの義務を行わずともイスラーム教徒といえるのか?
けれども目の前にある答えは、実にシンプルだった。
そう。アッラーを信じているか否か、である。
アッラーを信じていれば、酒を飲もうが、礼拝をしなかろうが、イスラーム教徒。逆に言えば、礼拝をしても、ヒジャーブをかぶっていても、アッラーを信じていなければイスラーム教徒ではない、ということだ。
もちろんイスラーム法学者やお厳しいイマームは、別の見解をもっているだろう。しかし、あんだけ義務だとか、やるべきことがあるのに、結局は「アッラーを信じてればOKよ」て。ゆるいにもほどがある。
そんなわけで、彼らの定義によればまだイスラーム教徒であるようだ。
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