ことの始まりは、今から5ヶ月ほど前。2018年の6月にさかのぼる。
ラマダン中に訪れたレバノンのベイルート。週末にだけひらかれるという、「スーク・アル・アハッド」に何気なく立ち寄った時のこと。
スークといっても、衣類や動物、ガラクタ、骨董品などとにかくありとあらゆるものを扱う、フリマのような蓑市のようである。
歴史を物語る切手
その中でいくつか並んでいた骨董品屋をのぞいてみると、古切手が売られていた。断食中でぐったりしている店主を横に古切手をあさっていくと、結構面白いものがある。
骨董品店が並ぶ通り
とくに目を引いたのが、UAEを形成する首長国の切手。しかも、圧倒的な存在感を誇るドバイやアブダビではなく、アジマンやシャルジャといったUAEに住んでいる人でもどこそれ?といいそうなマイナー首長国の切手ばかりである。
その他にもイエメンやレバノン、さらにはダイアナ妃の結婚や出産を祝う北朝鮮の記念切手も出てきた。深く考えず、それらを購入してみたわけである。
イラン、イエメン、レバノン、シャルジャ、ウンム・アル・クワイン首長国の切手など
“DPR Korea”ということで北朝鮮だと思うのだが、北朝鮮が本当にこんな切手を出したのだろうか?
砂漠の遊牧民が手紙を出すのか?
しかし、ドバイに戻ってからもあの切手のことが気になっていた。なぜあんなマイナー首長国が切手なんぞ出していたのだろう。手紙を出すがらでもないだろうに・・・これは決して悪口ではない。
はじめてドバイにやってきたときに驚いたのは、住所がないということ。
いや、あるといえばあるのだが、おおよその場所と建物名ぐらいなのである。日本でいうならば、「日本 東京 六本木ヒルズ」といった感じである。
これがUAEにおける住所である。
郵便番号は存在しないし、何丁目の何番地とやらがざっくりと抜け落ちているのである。
さらに、アラブは口語文化が強い。書面で契約書をやりとりし、マイハンコで捺印・・・なんてことはしない。口約束が幅を利かせているのである。
これは正式な契約だけに関わらず日常でも同じで、人々はいつどこでも電話やボイスメッセージを頻繁に交わす。日本のようにLINEでせこせこ文字でメッセージを打ったりはしない。
きわめつけは、多くの人々はメールというものを活用していないということ。いや、メールという概念はあるのだが、機能していない。
お問い合わせでEメールアドレスも書かれているのだが、80%の確率で返信が返ってこない。しかし、電話やワッツアップ(日本でいうLINE)で問い合わせると、必ずレスがある。
なのでメールは単なる飾りにしかすぎない。化石化した通信手段と考えたほうがよいだろう。
切手から浮かび上がる、謎の「アラブ土侯国」
住所がそもそもない。おそらく都市が発展する前は、辺り一帯は砂漠であっただろうからなおさらである。口語文化が強い。そして機能しないメール。
これらを考えてみると、かつての砂漠の遊牧民たちがわざわざ紙とペンを使って、せこせこ文字を書くなんてことをするだろうか。
否である。
何やらきな臭い、この切手ども。ネットで調べてみると、「アラブ土侯国の切手」という言葉にたどり着いた。
アラブ土侯国・・・?
聞きなれない国である。しかもアラブ土侯国は、このUAEに存在していたという。一体この謎の国の正体は何なのか。
その正体を追って、ドバイから北東へ向かった。