切手と旅する女。謎の「アラブ土侯国」の正体を追え!【後編】

とりたてて特徴のない町だが、どこかしらホッとさせてくれる。

これがUAEを形成する7つの首長国の1つ、ウンム・アル・クワイン首長国のガイドブックでの紹介文である。

逆に言えば、観光する場所は何もねい!といっているのに、ホッとさせてくれるという前向きな言葉で、そのつまらなさをオブラートに包んでいるわけである。

しかし、空気を読む達人の日本人からすれば、その言葉の意図はバレバレなわけで、多くの人々はそんな何もない場所へ足を向けない。ゆえに情報もほとんどない。

だからいまだ、何もない場所としてひっそりと存在し続けているのがこの首長国である。

さらに、お隣のアジマン首長国も同様の被害にあっている。

「アジマンの町は小さく、見どころとなる場所も少ないため訪れる人は少ない。」

町にとってこれほど屈辱的な表現があるだろうか。

おまえの町は何にもない。

しかし、「おまえの町は何もない」こそがアラブ土侯国の謎を解くヒントでもあるのだ。

石油の栄光に隠れたボンビー首長国

いまやドバイ=石油王だとか金持ちというイメージのおかげで、UAEという国全体が、金持ちというイメージが定着している。しかし、UAEを形成する首長国は全部で7つある。

そのうち石油が出るアブダビ首長国。そして貿易や観光、建築、不動産など非石油分野で成功するドバイ首長国。これらは確かに金持ち首長国といって差し支えないだろう。

しかし、この2大首長国の陰に隠れているのが、さきほどのアジマン、ウンム・アル・クワイン首長国といった通称ボンビー首長国たちなのである。それに加え、ラス・アル・ハイマ首長国、フジャイラ首長国、シャルジャ首長国がある。

石油も大きな産業も発達していない、こうした首長国のお財布事情は、街並みを見れば明らかである。石油御殿といわんばかりのラグジュアリーな建物や高層ビルは、ほとんどない。

こうしたボンビー首長国を支えているのが、石油や天然ガスで儲けをあげているアブダビ首長国なのである。はたから見ると7つの首長国は同格のように見えるが、財政面で面倒を見てもらっているアブダビには、「何もいえねえ」というのがボンビー首長国たちの本音ではないだろうか。

ボンビー首長国の生き残り術

いまでは、アブダビのおこぼれにあずかるボンビー首長国たちだが、アブダビそして石油という救世主が現れる前、独自で生き残る術を実践していたのである。その1つが、切手で外貨を稼ぐというものであった。

石油も出ねえ!産業もねえ!何を血迷ったか、ボンビー首長国たちは、切手の発行権を欧米の広告代理店に売り飛ばし、切手の企画から発行までを彼らに任せたのである。

そうした切手の発行が始まったのが1964年。おりしも日本では1950年代後半から始まった切手ブームの最中でもあった。そもそも切手が発行された目的は、外貨獲得というよこしまな理由である。

また企画・発行が欧米の広告代理店なためか、イスラーム教やアラブの国の切手とは思えない奇妙なデザインが切手に広がる。

アラブ土侯国切手
ウンム・アル・クワイン首長国の切手。イスラーム教の国なのにバリバリのキリスト教絵画。

アラブ土侯国切手アジマン
アジマン首長国の野生動物コレクション切手。砂漠一帯の地域なのに、緑豊かな場所に住んでそうな動物ばかりである。

アラブ土侯国切手
シャルジャ首長国から発行された、バリバリのおフランス切手

違和感しかない。もはやボンビー首長国にプライドもくそもない。

忌み嫌われたアラブ土侯国切手

こうして本来の目的とは異なる理由で大量発行された切手が、切手収集家の間では「アラブ土侯国切手」として呼ばれるようになったのである。

UAEが成立する前、アジマンやドバイ、アブダビ、ウンム・アル・クワインといった首長国はまとめてアラブ土侯国と呼ばれていたのである。

郵便学者の内藤陽介氏による、「中東の誕生―切手で読み解く中東・イスラム世界」という本がある。同氏は切手で世界各国の歴史を読み解くというシリーズの本をいくつか出している。中東も例外ではない。

同書で紹介されている「アラブ土侯国」の切手発行状況を引用してみよう。

アブダビ:84
ドバイ:413
アジマン:2,873
フジャイラ:1,508
ラス・アル・ハイマ:1,036
シャルジャ:1,247
ウンム・アル・クワイン:1,507
*数値が切手の発行数

ドバイやアブダビといった勝ち組首長国の発行数に対し、ボンビー首長国たちの発行数がとびぬけて多いかがわかるだろう。

本来の切手の意味を失った単なる紙切れは、収集家の間では、「何あの切手、いやあねえ」と煙たがられていたという。

切手は歴史を語る

切手が語るのはそれだけではない。かつてはバーレーンやカタールとも親密な交流があったということを如実に語る。

とりわけカタールは、いまやUAEと断交の最中にあるが、かつては肩を並べて切手になるほど親密だったことがわかる。実際に、UAEが独立するにあたって、カタールやマナーマも一緒にUAEとして独立をする、という話もあったらしい。


今や断交中のカタールのエミールとウンム・アル・クワイン(UAE)の首長


アブダビとウンム・アル・クワインの首長が並んだ切手。各首長国で独自の旗を持っていることがわかる

切手の通貨は「リヤル」。1966年まではインド・ルピーをもとにした「ガルフ・ルピー」がこの地域一帯で使われていた。しかし、ルピーの暴落を機に、カタールとドバイが共同で発行していた「リヤル」という通貨が使われるようになった。

一方でアブダビはバーレーンと結託し、「バーレーン・ディナール」を使用するようになっていた。この時代からドバイとアブダビはライバル関係にあったらしい。こうした事実を見ても、現在では1つの国としてまとまっている首長国たちの、それぞれの思惑がみえてくる。

ベイルートで出会った切手から、歴史の一端を垣間見ることなど予想だにもしていなかった。

ドバイに住む人々はよく言う。「この国には歴史はない」と。確かに1972年に成立した国の歴史は浅い。しかし、それ以前に目を向けてみると、意外な「歴史」の宝庫なのではないか、と思う。

切手で各国の歴史を読み解くシリーズは面白い。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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