しばしの間、日本に滞在していた。が、生まれ育った日本の生活もムスリムになった今では、違って見えてくることがある。それは時に驚嘆に値するものでもあり、脅威でもある。
問わずにはいられない。なぜ、日本人はそんなに豚が好きなのか、と。
迫り来る豚の脅威
豚が禁忌とされているイスラム教徒だからこそ、どうしても豚にフォーカスしてしまう。無宗教で、食事規定のない日本人からすれば、豚は多々ある食材の一つである。
しかし、豚を避けなければいけない人間にとっては、大きな障害となる。
「豚問題」の勃発である。
ドバイであれば日々の生活で、そうした豚問題に直面することは少ない。スーパーの一角には、非イスラム教徒のためにポークコーナーがあり、豚肉や豚エキスが入った商品が売られている。
豚は隔離されており、普通に生活していれば豚と関わらず安穏とした生活を送れるのだ。そこで豚を避けようと、躍起になってストレスを感じることもない。
日本に滞在することはすなわち、イスラム教徒にとっては豚と酒との戦いなのである。
この2大勢力は、あらゆるところで脅威を振るっている。
代官山を歩けば、豚の可愛らしいオブジェが道端に置かれている。おしゃれな町ならば何をやっても許されると思っているのか。自由が丘駅の古本屋には、豚をフューチャーした豚本。
刺青をした豚を紹介するシュールな古本
六本木駅の地下街を歩けば、「豚組食堂」という名のレストラン前に大行列。他にも美味しそうなレストランはあるのに、人々はどうしても豚を堪能したいらしい。
無邪気な豚好きの人々とその豚にかける熱意に、ただただおののく。
豚をかわいいオブジェとして愛でながらも、無邪気に豚に食らいつく。日本人の豚に対する思いというのは、解せない。
かつては自分とてあの集団の一員だったとは言え、「なぜそんなに豚が好きなのか」という問いに、「うまいからじゃん?」という以外の答えが思いつかない。
迫り来る豚の脅威は、実家の食卓でも同じだ。
「これ、ちょっと切ってくれる?」と無造作に棒状のサラミを差し出す父。
父よ、一応私はイスラム教徒だという事は知っているかね?と言いそうになったものの、次の瞬間、イスラム教では親孝行が励行されることを思い出す。これも親孝行の一つだと自分を言い聞かせ、私は無言でサラミに手を添えた。
さらには、こんなこともある。
「久しぶりに餃子が食べたいな〜」と言うと、母に「餃子って、豚肉使ってるわよ」と言われた時の衝撃。母親は母親なりに、「アンタがいるから、豚肉を買っていいもんかどうか悩んじゃって。アンタに聞いてから、買おうと思っていたの」などと、健気な気遣いを見せる。
そうか。イスラム教徒であることは、その家族の食卓にも影響を及ぼすものなのか・・・
酒の味を知るイスラム教徒の辛さ
酒に関しても同じだ。突然、「美味しいビール飲んでますかー!?」と猪木の「元気ですかー?」調で問われる。
ひえっ!?と思い、振り返るとテレビから流れているビールのコマーシャルだった。改めてみると、ビールのコマーシャルのなんと多いことか。しかも、コマーシャルに出てくる演者たちは、これ見よがしにうまそうにビールを飲む。
これほど辛い拷問はない。
とくに私は、豚の味も酒の味も知っているイスラム教徒だ。生まれながらにイスラム教徒である、いわゆるボーン・ムスリム(Born Muslim)とは少々事情が異なる。
彼らは、そのうまさを知らない。これだけ豚攻め、酒攻めにあっても、知らん顔できるだろう。
けれども私は知っている。生まれた時から、豚や酒と距離を置いてきた人間とは、試される力量が異なるのである。
街中の至る所で、酒への誘いが
昨年、会社のクリスマスパーティが開かれた時のこと。「おめえ、なんで欠席なんだよ」とムスリムの同僚に聞かれ、「パーテイに行くと、酒を飲んじゃいそうな自分がいて怖いんだよね。ほら、もともと酒飲んでたし」と答えたことがある。ボーン・ムスリムは、妙に納得した顔をしていた。
ついに豚と酒に手を出してしまった・・・
しかし、私のそうしたささやかな努力も虚しく、日本で猛威を振るう豚と酒の脅威についに負けてしまった。ついに、酒も豚もやっちまったのである。
親に気を遣ってもらっているという事実。アレルギーで食べられるものがない、好き嫌いもない丈夫な体を持っている。
出されたものは何でも食べていた過去の自分を、「昔は、あんなにいろいろと食べていたのにねえ」と親に思わせてしまうことが申し訳ない。という建前の理由はありながらも、結局のところは、「めんどくせ」と思ったからである。
「やっぱり、親子でお酒が飲めるのはいいねえ。娘が酒を飲めないのはつまらんもんな」
食卓を囲む父に言われた。
ちなみに酒を飲み出したのには、もう一つ理由がある。それは、イスラム教の中には、酩酊しない程度であれば飲酒をしてもよいと解釈する学派があるのだ。
それを目ざとく見つけた私は、高らかにその解釈を家族の前に掲げ、酒を飲み始めたのである。ご都合主義な自分であることは、百も承知である。
けれども、そんな自分の過ちをどうにか揉み消したい一心で、私は在日トルコ人、ユヌスに尋ねた。彼は慶応大学に留学中で、日本に滞在して8ヶ月である。
「酒も豚もある。そんな日本でやっていくのは大変じゃありませんかね、旦那?」
共犯者を探し出そうとしていた私の意図とは裏腹に、ユヌスはきっぱりと答えた。
「日本に仕事でやってきているムスリムの中には、そういった戒律を気にしない人も多いよ。けれども俺は豚も酒もやんねえな」
ボーン・ムスリムに聞くのは間違いだった。と思いながらも、あるべきムスリムの姿を見せつけられては、自分の意思の弱さと信仰への脆弱さを思い知らずにはいられない。
豚攻め、酒攻めに完敗してしまった私。それと同時に、その味を知っているイスラム教徒として日本で生活していくのは、こりゃあ大変だと思い知らされたのである。
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