うつ病をわずらわっていた映画監督、ラース・フォントリアが、この世に送り出した「鬱の三部作」と呼ばれるものがある。
それは見るものを体感したしたことのないような暗い意識のどん底へ陥れもするし、一方でうつ病を患っていた人間が描き出した世界を垣間見ることでもある。うつ状態の映画監督が描き出す世界というのは一体どのようなものなのか。
結婚式の常識を覆す!こじらせ花嫁の「メランコリア」
映画における結婚式のシーンといえば、幸せ爛漫な空気に包まれ人々に祝福されるというのが相場だが、ラース・フォントリアにかかればそんな幸せシーンもまさかの鬱々とした結婚式になるのである。こんな楽しくない結婚式は、世界中を探してもラース・フォントリアの世界以外にないだろう。
リムジンに乗った花嫁と花婿が結婚式場に向かうのだが、すでに様子がおかしい。普通ならばカットしてもいいぐらいの移動シーンなのに、山道でリムジンがうまく通れないというアクシデントに遭遇する。
花婿が運転手に代わり、なんとかその場を切り抜けるものの、どこか普通の結婚式とは具合が異なる。違和感を感じ始めるのだ。
物語が進むにつれその違和感は大きくなる。今頃ならみんなで楽しく結婚パーティーだというのに、大幅に遅れて会場に到着した主役の花嫁と花婿。
待ちぼうけを食らい、フラストレーションがたまった招待客の表情をわざわざ映し出す。それにつれて、見ている側もなぜかヒヤヒヤしてしまう。
まあなにやらともあれ、主役が揃ったところで結婚式パーティーだい!と安心したのもつかの間、次は花嫁がこじらせ始めるのである。「別に・・・」発言で話題となった沢尻エリカばりの態度を取るのである。
どうやら精神状態がすぐれないようで、自分の結婚式だというのに自ら場の空気を破壊していくのである。とんでもな破壊花嫁だ。
ラース・フォントリアが描き出すこの作品においては、通常の結婚式に差し込まれる定番のシーンなんてものはない。すべては、予想だにしないシーンや言葉で構成されているのである。
性欲で人生が崩壊していく「ニンフォマニアック」
メインの登場人物がほぼ2人という少数精鋭で構成されているのが、この「ニンフォマニアック」。傷だらけで道端に倒れていた女を老人が介抱し、女の身の上話を聞くという設定ではあるが、この女只者ではない。タイトルの通り、女は色情症である。わかりやすくいえば、性欲が異常なまでに高い人間である。
あまりにも過激な性的シーンが多いため、セックスシーンやエロスだけが取り沙汰されることもあるが、むしろ注目すべきは一人の人間が落ちていく様をえぐいほど辛辣に描いていることである。
よくある、普通の人間が社会の道を踏み外して、惨めな姿になりました、という単純なプロットとは一線を画す。そこかしこに、伏線があり知的さをもって出来事をつなげていくのである。知的好奇心をくすぐる映画だ。
そして私が特に関心したのは、こんな面白い手法で映画を作ることができるのか、という斬新な映画構成である。本のように話が章ごとに区切られ、まるで本を読んでいるような気分になるのだ。
本作は第一部、第二部となり、すべてを見るには約4時間も要するという忍耐がいる。また最後になると目を覆いたくなるほど痛ましいシーンも含まれているため、精神的にも忍耐力が問われる映画である。そうした忍耐力を試されても、最後が気になって一気に見てしまう映画なのだ。
ちなみに予告編は「ソフト」版と「ハード版」(18禁)バージョンがある。予告編は過激な部分を切り取っているが、本編はそれがメインではない。
妻が豹変する日「アンチクライスト」
名目上の映画のカテゴリはドラマのはずだが、時にはなぜかホラーに分類されている「鬱の三部作」の初期作品、「アンチクライスト」。
それもそのはず、初めはドラマなのだけれども次第に様子がおかしくなりホラーまがいになる。完全にドラマともいえないし、完全にホラーともいえない。ドラマとホラーの境界線をまたがった作品だ。
夫婦の営みをこれでもか!といわんばかりに接写し、「私を泣かせてください」というオペラのBGMとともにスローで再生。その横で子どもが誤って部屋の窓から飛び出し、帰らぬ人となる。初っ端から見るものをひどい背徳感と罪悪感へと突き落とすのである。
妻は子ども失ったことでひどく悩み塞ぎがちになる。こんなに情緒不安定な人間はみたことがないと思うぐらい、突飛な行動をする妻。
それを夫が必死に支えるのだが、ついには妄想に取り憑かれた妻が夫を殺そうとする。文章で書けばそれほど突出した作品には聞こえないが、見てみないとこの作品の強烈さというのはわからないだ。それほどまでに、言語化するのが難しい、感情のもつれやコンテキストがつまっている。