ベルリンは孤独にあふれた町らしい。しかしベルリンに限ったことではない。都会では孤独はつきものだ。それでも、日々ベルリンで「孤独だ・・・」と漏らす人々の多さには、驚いてしまう。
彼らいわく、「ベルリンは数年でいなくなる人が多いので、長期的な関係を築きにくい」だとか「浅い関係の友達はたくさんいても、心の底から信頼できる友達がいない」などという。ドバイでも同じような話をよく聞いた。しかし、それゆえに孤独だという人は、あまりいなかったように思う。
何が違うのか。
ベルリンはとにかく誘惑が多い。日本のように、たいていの人が休日である週末に、イベントや趣味を消化するというスタイルではない。平日でも平気でいろんなイベントやコンサートがわんさか開催されているので、平日であっても仕事終わり(大体17時過ぎには帰宅し始める)には、自由な時間を楽しむ人が多い。よって、「あれまだ木曜日か?」というようにしばしば曜日感覚を失いがちである。
そして多様な人が集まるベルリンには、あらゆるニーズに対応したコミュニティがある。恋愛カテゴリーでいえば、マッチングアプリにせいせいした人の会だとか、失恋で傷ついた人の会、自分の異性友達を恋人として紹介する会、など。もちろんLGBTQの集まりも充実。リアルだったり、SNSだったり、チャットグループだったり、とにかく自分が関心のあるコミュニティに飛び込めば、同志に会えるという状態。まあ、マンモス大学のサークル活動みたいなものである。
しかし、これがトリッキーなのである。このように浅い出会いや一期一会は数多あるが、深い関係になると話が別。なぜなら、みな忙しいからである。大学生であれば、生活サイクルが同じなので仲良くなりやすいが、社会人ともなると、みんなバラバラ。いくら良い出会いがあっても、次の週にはもっと面白いイベントや人に会ったりする。すべてが速攻で過去になり、走馬灯のように走り去っていく。だから、良さげな人に会っても、よほどのことがない限り、深い関係を築くのが難しいらしい。
さらに”ドイツ人の友人”を作るに至っては、さらにハードルが高くなる。
「ドイツ語を話せたとて、ドイツ人はドイツ人同士でつるみがちだから・・・」
だとか、
「ドイツで友達を作るのは難しいと思う。ドイツでは家族の絆が強いし、知人はたくさんいても、本当に親しい友人はそんなにいない。その点スペイン語圏は、みんなフレンドリーだから友達作りは簡単」
などという。
ドイツ語を話せても、ドイツ人の友人は作れない・・・とんだ悲報である。
友人関係でさえこんな感じなのだから、恋人探しはいっそう難しくなる・・・とベルリンの人々は漏らす。彼らの言葉を借りれば、「自分勝手なエゴ人間が多すぎる(怒)」とのことである。
さらに、「ベルリンで恋人を探すのは絶対やめとけ!」などと忠告する、ベルリン出身のドイツ人もいる。
悪く言えば、ベルリンでは価値観が多様すぎて、自分と同じ価値観を持つ人間を探すのが難しい。一般的な価値観に加え、性的嗜好も様々なので、異性愛者でもモノガミーなのか、ノンモノガミーなのか、その他などに枝分かれする。
実際に私も興味本位で、マッチングアプリで何人かと会ってみたが、皆が言う意味がよくわかった。
マジで、やべえやつしかいねえ・・・
人に住んでいる場所を聞いておきながら、結局自分の近場でデートを設定する輩。これはまだ軽めなやつ。
連絡が途絶えたので、これ以上会うことはないと思ったら、1ヶ月後に連絡してくるやつ(基本的に自分のペースでしか返信しない)。
ヘテロセクシュアルと見せかけて、バイセクシュアルと突然告白してくるやつ(初めから申告しましょう)。
ベルリンのマッチングアプリは、化け物しかいないパンドラの箱であった。
同じアプリを別の国で使ったことがあるが、ここまで様子のおかしい人間にあったことはない。よってアプリではなく、ベルリンの磁場が悪いような気がする。こうしたエゴ人間の蔓延と、無限の出会いにより、1対1の真剣な関係を築くのは、相当ハードルが高いと見えたる。
しかし逆に言えば、それがベルリンの個性でもあり、これがベルリンの良いところでもある。そう、ベルリンでは誰もが安心して自分を表現できる。「あなたはあなた。それが尊い」と言ったところか。ただ、こうした”個性を伸ばす”方針と、ベルリンに漂う退廃的なモラルが相まった結果、エゴ人間が次々と生成され、収集がつかなくなっているようにも思う。
みんなが同じじゃないとだめ、という日本とは反対である。ただこちらは、同じような価値観を持つ、人間と出会いやすいというメリットがある。
というわけでベルリンは、友達や恋人といったステディな関係を作るにはハードな環境である。