コロナウイルスの影響で、中東・東アフリカの旅を中断し、日本へ帰国することになった。
私がザンジバル島を去って数日後、2人目の感染者がザンジバルで確認された。これにより、ザンジバル島における外国人の入国・出国禁止が決まった。事実上の島の封鎖である。
日本への帰国までに少し時間があったので、タンザニア南部のキルワ・マソコという町やダル・エス・サラームの町を急ピッチでまわった。
アフリカで衛生意識が向上
この時期、タンザニア国内ではどこへ行っても、「手を洗いなはれ」と言われた。バスで移動するにも、係員がハンドウォッシュを乗客の手に施しているし、レストラン、ホテル、ショップに入る前には必ず手を除菌しなければならない。
とにかく、除菌、除菌、除菌なのである。
タンザニア人が率先して、こまめに手を除菌しているのを見ると、こちらとしても、除菌をしなければという気になる。かれこれ、タンザニアでは1日あたり、通算8回以上も手を除菌していたような気がする。
普段でさえトイレに行っても手を洗わない(公共の場では人の目を気にしてパフォーマンスで洗うことにしている)人間が、である。まさかタンザニアで、己の衛生意識が向上するとは。
飛行機に乗るハードルの高さ
いよいよ、明日がフライトという日。航空券が取れたとはいえ、一抹の不安はあった。
一番安い航空券をとったためか、フライトの乗り継ぎが多い。エチオピア航空で、ダル・エス・サラームからエチオピアのアディス・アベバ。そこからバンコクを経由して、ANAで東京へ戻る。時間にして30時間ほどだ。
経由地のバンコクで問題なくトランジットできるのか、飛行機がキャンセルにならないか、フライトがなくなって空港に閉じ込められたら・・・心配は尽きない。
とにかく不安で、スマホにかじりつき情報をチェックしていく。
すると、経由地バンコクでは、コロナウイルスに感染してないことを示す健康証明書と、コロナウイルス治療をカバーする10万ドル以上の保険に入っている必要があるという、情報を目にしてしまった。
これら2点がなければ、搭乗を拒否される。
バンコクでトランジットできないじゃん・・・
この情報を目にして1分後。私はホテルの部屋を飛び出した。とにかく診断書をゲットせねば。時刻は午後5時。グーグルマップで、近くの病院もしくはクリニックを探す。
正直言って、ダル・エス・サラームはあまり歩きたくない町だ。昼間でも強盗やひったくりが発生しているし、ジモティーですら治安がよくないというのだ。
ホテルの注意書きにも、クレジットカードや貴重品などは持って歩くな!などと書かれている。
しかし、診断書をゲットするためには、ピラニアがいるアマゾン川もといダル・エス・サラームの町に泳ぎ出さねばならない。
とにかく町で一番大きそうな病院に、電話で問い合わせてみる。すでに時間が遅く医者がいない上、診断書の発行は明後日になるという。間に合わん!
とにかく近い病院をまわるローラー作戦に出ることにした。何とか小さなクリニックにたどり着くことができたのだが、30分以上待った上に「コロナの検査は政府系の病院じゃないとやってないよ。うちじゃ無理だ」とインド人医師に冷たく断れられる。
そこを何とか!と、何度も頼み混むが「無理!」の一点張りである。こちとら、診断書がなければ帰れないのだ。必死である。
それでも断られ、政府系の病院に行くしか選択肢がなくなってしまった。結局、その場を立ち去りホテルに戻る。時間も遅い。政府系の病院でも、もうやっていないだろう。
アフリカの凶悪都市を全力疾走
半ばあきらめながらも、現状を打破せねばという思いで、再びネットで検索する。すると、どうだろうか。「27日からは飛行機に乗れる健康状態であることを示す”Fit to Fly”という証明書だけで、トランジットができる」という情報にヒットした。
タイ政府がこの方針転換を発表したのは、26日であった。流石に、前回の条件だとハードルが高すぎたのであろう。
これを見て、ホテルを飛び出し、再びあのインド人医師がいる病院へ、猛ダッシュする。もうすぐ日没だ。暗くなったダル・エス・サラームは特に歩きたくない。この時ばかりは、走る体力をつけててよかったなあ、と思うのであった。
ある意味、ソマリアを走るよりも、夜のダル・エス・サラームを一人で走る方が恐ろしい。
「また来たの?」と言わんばかりのインド人医師に事情を説明する。それでも、「そんなん無理よ」と、冷たくあしらわれる。10分ほどの説得の末に、しぶしぶ何とか「こいつはフライトに乗れるだけの健康状態にあります」というレターを書いてもらう事に成功した。
医師のレターさえあれば、こっちのもんである。とにかく帰れるのだ。ユダヤ人が杉原千畝にビザを発行してもらった時のような、安堵の気分である。
再び、日が暮れたダル・エス・サラームの町をレターを握りしめて、全力で疾走する。止まれば、何が起こるか分からない。とにかく必死である。これで、搭乗拒否は何とか免れるはずだ。
飛行機に乗れるのか?運命の瞬間
フライト当日。ダル・エル・サラームの空港へ向かう。出発の3時間前だというのに、カウンターには長蛇の列。日本人や中国人もちらほらいる。
持ち込み荷物の制限を7キロオーバーしていたが、「トランジットが多い上に、フライト時間も長いんですわ。ロストバゲージの可能性が高い状況で、この荷物と離れ離れになったら困るんですYO」という厚かましさを発揮することで、多めに見てもらえた。
自分でも厚かましいと思ったが、隣のカウンターで、預け荷物の制限を大幅に超え、超過料金を請求されているが「もうこれ以上お金がないんやて。そんなん払えんわ。」とゴネる2児の父親よりはマシだと思った。
ペットボトルの水は持ち込めないと言われたが、「フライトが30時間もあるんですよ。これは単なる水ではなく、命の水なんです」と押し切った。通常時ならば出さない図々しさを、発揮せざるを得ないほど、今回は異例なのである。
これらを除けば、東京までの航空チケットはスムーズに発行された。タンザニアを脱出し、エチオピアのアディス・アベバへ。空港で待つ半数の乗客は、中国人だった。
その多くが、カッパや防護服などをまとって完全防備をしていた。ある意味で、中国人というのはウイルス対策ファッションの最先端を行く人々だと思う。
アディス・アベバ空港で並ぶ中国人の行列。防護服姿の人が多い。欧米系の人はマスクをしていない人も目立った。
バンコク行きのフライト前には、やはり医師からの診断書をチェックされた。が、何事もなく飛行機に乗ることができた。機内には、クルーとほぼ同数の乗客しかおらず、ジャンボジェットの半分を一人で独占していた。
乗客がいないバンコク便の機内
どう見てもエチオピア航空は赤字である。けれども、エチオピア航空はアフリカでは最大の航空会社で、国営である。営業成績もそこまで悪くない。いまだに、日本や中国へ運行している世界でも数少ない航空会社なのだ。
アフリカから日本へ行く場合には、エミレーツ航空やカタール航空が、基本的な足となる。しかし、この2大航空会社がほとんど運行をやめてしまった結果(エミレーツは全便運行停止)、頼りになるのはエチオピア航空だけなのだ。
もしもエチオピア航空のフライトがなかったら。帰国日が数日ずれていたら。タイ政府が数日前に方針を転換していなかったら(ちなみに4月1日からはバンコクでトランジットもできなくなる)。1つ違っただけで、帰国は困難になっていただろう。