他人の裸。
それは、通常生活を営んでいれば、なかなか目にしないものである。
ましてや、UAEは男女が手をつないだり、路上でキッスなどをしようものならば、ハレンチ行為として、逮捕される国である。ついでに、過度な露出もNGである。
だから、UAE市民にとって、他人の過度な露出はおろか、裸体は、何より遠い存在である。
しかし、そんな裸体が突如として、日常生活に現れたら人々はどんな反応をするのだろう。
いつもと変わらない朝の職場。
大型連休を前に、人の数はまばらになっているが、それでも同僚たちは、いつものように真面目に仕事に勤しんでいた。
「やっぱり、今年もクリスマスパーティーはやるべきでしょ」
「でも予算的になあ。時期をずらして、11月とか早めにやるのはどう?」
「それじゃあ何のパーティーになるのさ。クリスマスパーティーなら、クリスマスを祝うという大義名分があるし、シークレットサンタだとか、催しものもいろいろとできるでしょう」
私は、先月の数値処理に追われながら、別チームの会議を背後に聞き流していた。
もうそんな時期か・・・
その時である。
「ぎゃっ!」
「何アレ!?何アレ!?ちょー意味わかんないんですけど」
ただならぬ空気を背後で感じ、振り返る。
「裸の男がいる!!!!」
どよめく同僚たちの視線の先を見やると、そこには裸体の男がいた。一糸まとうなく、生まれた状態の成人男性の姿が、そこにはあった。
私が働く職場は、高層ホテルに隣接している。その距離は、10メートルほどである。我々があっけにとられている裸体の正体は、ホテルの宿泊客であった。
我々が仕事に勤しんでいる最中、男は客室のカーテンを全開に開け、目覚めの喜びを体全体で享受しているのであった。
それと同時に、我々一同は裸体の衝撃を享受するのであった。
リアル・ダビデ像
男の体は、まさしく西洋美術史の最高傑作を想起させる、美術作品であった。
実際に、こうして多くの聴衆に鑑賞されているではないか。
ざわつかないものなどいない。
皆、イロモノに色めきたっている。
ヤングガール:「暗くてよく見えないわよお。あっちから向こうは見えているのかしら」
ブランド統括チーフ:「みんなあ、いいかあ。もし男が変な行動に出たら、一斉に目を伏せるように」
ピラミッドの国の人:「もうすぐイードだからなあ。彼なりのイードの祝い方なんじゃない?」
イードとは、イスラーム暦の祭日で、ここではメッカへの大巡礼の終わりを祝う犠牲祭のことをさす。
海外では、ツッコミという文化はない。よって、このように各々がボケて、そのボケが垂れ流しになっていゆくのである。
リアル・ダビデは、芸術的肉体をおしげもなく、我々に披露した。
一度ならぬ、何度も。
そして様々なシチュエーションで。
まずは、目覚めの裸体。そして、スマホでSNSチェックをする裸体。シャワーをあびてから一息つく裸体。
なんでいちいち、裸で窓の前にたつんだよ、と下世話な私は思った。
しかし、彼はもはや芸術作品なのだ。コンサートのごとく、観衆の要望により、何度もアンコールに応えるのだ。
そう考えれば、納得である。
そして我々が感謝すべきは、この芸術鑑賞をタダで堪能しているということである。
ドバイではあらゆるものが商業化している。金を使い、金を生み出すこと。まさしく拝金至上主義である。
よって、あらゆることは、お金なくしてはできない。タダで楽しめることなんか、ほとんどないのだ。
我々が楽しんでいるのは、裸体そのものというよりも、裸体ショーを合法的に、タダで、仲間たちと楽しんでいる、時間なのだ。
そして、芸術鑑賞は、予想外の結末を迎える。
「ちょっとお、ダビデがスーツケースから服を取り出してるわよお」
「あれって、白シャツかしら」
「ダビデはビジネスマンなのお!?」
ヒートアップする観衆。
「いや、違う・・・あれはディシュダシャだ・・・」
「ディシュダシャ」とは、アラブ人男性がきている民族衣装である。日本では石油王が着ている服、といえば通じるだろう。カンドゥーラやトーブなどとも言われ、地域によって呼び方が異なる。
主がアラブの民族衣装を着ていることにより、ダビデの正体は、この地域のアラブ人だということが確定した。多くのドバイ市民にとって、普段お近づきになることがない、民族衣装を着た土着のアラブ人。
まさか、こんな形でお近づきになるとは。
その場の誰もが予想だにしなかったことだろう。