「海外で働きたい」と思っていた新卒が、就活のレールからはずれ、2年かけて”中東”での海外就職を実現するまでの道のり

イスラエル・パレスチナ留学を終え、2011年に日本へ帰国。以後、「海外(第一希望はイスラエル、第二希望は中東)に戻って、働きたい」という思いが捨てきれず、常に虎視眈々と海外進出を狙い、新卒で就職し3年目にして、海外就職を実現するまでの道のりを描く。


海外にすぐ戻って働くことは可能?

海外で働きたい!留学から帰って就職活動をするまで常にそんな思いが常にあった。しかも面倒なことに”いつか”ではなく、”今すぐ”働きたいという思いがあった。

しかし!

海外就職というのは、留学と違いお金を払えばできる!というものではないし国のビザの関係もある。やりたいからすぐにできるものではない、今まで生きてきて初めての経験だ。今までは、やりたい、みたい、会いたいことがあれば、自分の行動力だけでなんとかできたのだが、海外就職に関してはそういかなかった。

また、調べていけば調べていくほど、海外就職をしている人たちは「まずは日本で2〜3年の修行を積んだ方がよい」とか「日本でのビジネス経験が重要」、しかも海外は新卒を育てるという文化がないようで、即戦力求むというような会社が大半だ。

2~3年も待ってられないよ!今やりたいんだ!という思いが強かったが、片脚を社会に入れ始めつつある状況においては、学生のようにやりたいこと=すぐ実行できるという公式が成立しないことに気づき始めていた。

あれ、これもしかして新卒で海外就職は難しい?

「新卒 海外就職」などで検索し、めぼしそうな会社を見つけようとするものの、なかなか難しい。そんな現実に気づき始めたところで、新卒で海外に就職することは諦めた。ならば、少なくとも2~3年は日本で働いてそのあとは絶対海外じゃ!と決意した。

そこで次に考え始めたのが、「海外就職するためには新卒でどのような仕事に就けばよいのか」ということだ。

就活のレールをはずれるぜ

確かに、将来海外で働けそうな会社ならいくらでもある。「グローバル」を意識してか、会社も学生も、「グローバルで働く」とか「英語を生かして働きたい」というようなフレーズはよく耳にした。

とはいえ、本当に海外に行けるとは限らないし、いつになるかもわからない、そんなこともありいわゆる、「就職活動」というものに全く熱が入らなかった。

みんなが SPI対策やES対策などに励んでいる一方で、私がやっていたのは海外の学生はどのように就職活動を行っているのか、海外の就職事情などをひたすら調べることだった。そこでいくつかわかったのが、

・日本のような新卒一括採用制度はない
・新卒を育て得る文化はない
・学生はインターンなどに参加し、そこそこの実践力を身につけて就職している
・インターンは基本長期(日本のような短期制度のものはまれ)
・基本、定年まで勤めるという概念はない
・キャリアアップと給料をあげるため転職を行う

なるほど。海外の学生はこのようにしてキャリア形成、仕事をしているのだな、と思うと将来海外に行くのなら、この海外流に合わせた方がよいのでは?ということで至ったのが、

「転職を前提とした就職活動」

である。聞こえはクレイジーだが、つまりは転職ができるレベルのスキルを身につけられるような仕事を探そう、ということである。

就職活動のレールから完全に外れ、インターンの道に。

新卒の仕事もないのに、転職することから考えるなんてなんかズレているかなと思ったが、とりあえず決めたらとりあえずやってみる。まずは実践力をつけるためのインターンシップ探しが始まった。

ちなみにインターンといっても、実践型をうたうインターンはごまんとある。その中でも、今後転職しやすそうな業界、デジタルマーケティング、という職種を狙うことにした。

ちなみにこのデジタルマーケティングというのは主にインターネット広告、ソーシャルメディア、ウェブサイト運用・構築といった分野である。なぜデジタルマーケティングが転職しやすそうかというと、

10年前には存在していなかった職種が多い

→(私の予測)30,40代ではその職種に長けている人は少ない?ため転職に有利になるのでは?

今後急成長していく分野

→(私の予測)業界のマーケットとしても増えているため、人材の需要が増加するのでは?

Linkedinで検索すると求人募集がたくさんある(海外で)

→(私の予測)欧米ではすでに主流の仕事のようだ。おそらく2,3年後日本でもこういう仕事が増えるだろう。

といった理由がある。でもこれは裏向きの理由で、表向きには「進化が早い業界で新しいことが次々出てくる分野。自分は新しいことをやるのが好きなのでこの業界にした」というようなよく就活で語られる本心なのかそうでないのか、よく分からない形式的な理由づけをしていた。

その中で見つけたのがあるベンチャー企業でのデジタルマーケティングインターンだ。まさにどんぴしゃで、ここぞとばかりに通常の就活では見せたことがないぐらいの熱意で面接に挑んだ。

「なんでこのインターンに応募してきたの?しかもこの時期に。就活はしていないの?」

「とにかくデジタルマーケティングという職種でスキルを磨いていきたいので!インターンから始めようと思った次第です。」(就活についてはあまり触れないようにしていた。)

その結果めでたくその会社でインターンをさせてもらえることになった。のちにわかったことだが、面接をしてくれた当時の上司も、同じ大学で同じような境遇(すんなりと内定がきまったわけではなかったよう)にあったそうだ。

同じような境遇の捨て犬?をもらってくれたのだろうか?そんな感じがした。

インターンを始めた時、卒業まで7ヶ月を切っていた。就職先は0。

デジタルマーケティングができるぞー!ということで張り切る一方で、まだ見えないあやふやな未来という不安と戦う日々であった。

もちろんレールをはずれても、まわりには就活している仲間や内定ないのにどうするの?といった大人たちに囲まれ、全くプレッシャーを感じなかったわけではない。

むしろ、通常のレールにいないからこそ、余計にプレッシャーや不安はあった。ただ、その分本当に自分がやりたいこと、信じることに向かって努力することしかその時はできなかった。

振り返ると、本当に何も知らない学生に対して丁寧に教えてもらったなーと感謝しかない。もちろん、大学で4年間勉強したことがほぼ使えないというむなしさと、そこそこ使えていると思っていたエクセル、パワポが会社できちんと使えるというレベルにはほど遠かったこと、年下のインターンにPhotoshopやデザインの知識で負けている、といった悔しさや自分の未熟さをまざまざと感じさせられた。

この会社では約7ヶ月ほど働き、その甲斐あってか無事?新卒で「Webアナリスト」というデジタルマーケティング職につくことができた。インターンの経験があってこそ、とれたものなのでここは自分の中でも少しだけ「やったぞ!」という気持ちがあった。

もちろんインターンをして、新卒でインターンをしている会社に入社するという方法もあった。しかし、ベンチャーで海外支社もあるとはいえ、まだまだ海外との距離は大きかったし、本当に海外で就職できるかという部分に不安があったため、別の会社へ入社することにしたのだ。

新卒で入った会社は、上司や社長が外国人、英語もコミュニケーションやビジネスの場でよく使う、そんな会社だった。そんな中にいても、海外から日本で働く彼らが羨ましく、自分も海外に住んで働きたいという思いは変わらなかった。

海外就職の道、始動!

新卒として働き始めて早2年。いいかげん「海外住みたいなー働きたいなー」と思っているだけの自分に飽き飽きしてきた。きっかけはほんのささいなことで、どこかの雑誌かサイトで誰かが「本当にそれがやりたければまずは実行してみることだ」という言葉だ。

まあありきたりなきっかけなのだが、確かに「住みたいー働きたいー」と言ってる割には何にもしていないな、自分!ということで実際に行動に移してみることに。

国の選定と方向性を決める

「海外住みたいなー働きたいなー」といってもどこでもいい訳ではない。就活でいうところの軸があるのだ。その軸とは

場所:中東(第一希望はイスラエル)

職種:デジタルマーケティング

給与:現状より高い

会社規模:問わず

イスラエルは留学していたことと、やはり最近日本でも少しずつ話題になりつつあるスタートアップ文化が盛んということで、仕事でまた戻ってやるぜ!という密かな野望をいだいていた。全てはこのイスラエル就職にあったといっても過言ではない。

しかし就職マーケットを見ていく上では、やはり別の国にせざるおえないということになり今回はドバイにすることにした。

このニッチすぎる軸により、これから日本で行う海外就職活動がかなり難航することになる。

実際に行ったのは下記の5つ。

1.日本のヘッドハンティング会社を通じて海外案件を紹介してもらう

2.現地の会社直接応募/海外転職サイトを通じて応募

3.ソーシャルリクルーティングサイトなどで募集を探す

4.会社の公募制度を使い海外の募集を探す

5.海外のヘッドハンティング会社にコンタクトを取り案件を紹介してもらう

6.Linkedinで目ぼしい案件に直接応募

手持ちの玉が多いし、今回は多少なり経験があるから楽に行けるのでは?と思っていたが、世界はそんなに甘くない!!!

自分の基準がニッチすぎることもあってか、なかなかうまくいかない。手持ちの玉も下記のような散々な結果に終わった。

1.日本のヘッドハンティング会社を通じて海外案件を紹介してもらう

→海外案件がほとんどない。ヘッドハンティング会社は各国に支社を持っているため、東京支社は日本案件しか扱っていないことがほとんど。

一方でごくまれに海外案件も扱っている場合があるが、シンガポールなどアジアが中心。中東の案件なんてまずない。

2.現地の会社直接応募/海外転職サイトを通じて応募

→大量にレジュメなどを送ったが、全く返信なし!

3.ソーシャルリクルーティングサイトなどで募集を探す

→中東案件、デジタルマーケティングに関する職種がほぼ皆無。

4.会社の公募制度を使い海外の募集を探す

→アジア案件は多いが、中東のデジタルマーケティング案件はほぼ皆無。

5.海外のヘッドハンティング会社にコンタクトを取り案件を紹介してもらう

→何社かのヘッドハンターに連絡をしたが、こちらも返信なし!

6.Linkedinで目ぼしい案件に直接応募

→後述。

日本にいれば、何もいわなくてもヘッドハンティング会社から毎日のようにLinkedinを通じて案件紹介があるのに、海外のヘッドハンティング会社はこちらからアプローチをかけても全く連絡がない!

それほど自分が紹介するほどの人材ではないということなのか・・・ぐぬぬぬ。

それもそのはず。Linkedinを見れば、1案件に対しなんと100人から多いところでは1,000人も応募しているのだ。要は世界中から応募が来ていることになる。一方で日本は多くて50-70人という案件が多い。マネージャーレベル以上でなければなかなか相手にしてもらえないのだろうか・・・

競争倍率ハンパねい!そしてアラビア語ができないということで、応募できる案件も限られていた。また同じ経験値であれば、やはり英語しかできない日本人よりかはアラビア語もできる現地人を採用するのが筋であろう。

巷では「海外就職を実現した話」や「海外で働く人特集」などで溢れかえっている。なんでみんな最もこう簡単に海外で働けるんだ!一方の私はこんなにいろいろやっているのに上手くいかない。

「私ができたんだから、みんなにも(海外就職)できますよ」(←海外で働く人のインタビュー記事より)なんて嘘じゃないか!

などとひねくれ始めていたが、そんなこんなを繰り返すこと2ヶ月、Linkedinで応募した1社から連絡があった。しかも応募してから30分後にである。

「今回の募集している人材に近い経験をお持ちのようなので、ぜひ一度お話をしましょう。今週中にインタビューしたいのですが、お時間ありますか」

つ、ついにキターーーーーーーーーーーー!!!

いかんいかん、まだ浮かれてはいけない。まだ始まったばかりなのだから。

即レスには即レスを、ということで

「今週の金曜日時間あります!」と返信。

そしてあらよあらよと1次面接へ進むことになったのだ。

果てしないゴール

即レスということで幸先のよいスタートを切ったと思われがちだが、まさかあれが悲劇の始まりだとは思いませんでした(ホラー話風に)。

第一次面接。といっても相手はドバイにいるので、スカイプで面接。面接内容は基本的な内容だったが、向こうが気になったのは

「アンタ、本当にドバイに来る気あるの?」

ということである。ドバイにすでにいる相手ならまだしも、アジアの日本にいる人間が1ヶ月後、2ヶ月後に、「はい、ドバイにいけます」というのなかなか信じがたいことなのかもしれない。

その一方で、

「いや1ヶ月後でも全然いけまっすよ〜」

と自分の本気度を念押し。その証拠として

「イスラエル、パレスチナに留学してたんで、中東地域とは少なからず関わりがあるんで」

ともいっておいた。手応えとしてはかなりあったため、次の2次面接でパスしたら内定だな、と軽く見ていた。

インタビュー終了前に、

「次は2次面接だけど、もう一度僕になるか別の人になるかもしれない」

「・・・?また同じ人と面接?」と思ったがその場では軽く受け流した。

そして2次面接の連絡をするといって、3週間が経過した。

「あれ・・・?あの流れだとすぐに連絡くれる感じだったんじゃ・・・?」。せっかくここまできたのに、ここにきて音信不通かよ!っていうかこういうことってあるの?なんの連絡もないし、こっちから連絡とってもいいものだろうか・・・などとあれこれと考えるようになった。

何せ面接しておいて、しかもかなりいい感じだったのに全く連絡が来ないのは自分の経験上極めて異例だからである。

すっかりもう見放されたものだと、勝手に自己嫌悪に陥りこのまま放置してもよいが、せっかくここまでつかんだチャンスなので手放してなるものか!チャチャチャラーとロッキーのテーマミュージックが頭で流れ始め、もう一度立ち上がることに。

ということで、思い切ってリマインドメールを送信!

「以前に面接させていただいたものですが、その後いかがでしょうか。ポジションはすでに埋まってしまったのでしょうか?」

数日後、お詫びのメールとともに2回目のインタビューを実施することになった。どうやら先方も忙しく連絡ができなかったとのこと。まあ忙しくても3週間放置はないだろうと思ったが、まあこの先海外に出ればこんなことはたくさんあるんだろうなと思っていちいち怒っていられない。ひとまず切り替えることにした。

そして2回目の面接もなんと同じ人が担当。前代未聞だYo。しまいには

「こちらからもう質問ないんだけど」

などと言われる。

そりゃそうだよね。1回目も話してるんだからと思ったが、一応こちらからは細かく条件やどんな仕事をしているのかを詳しく質問をした。

最後に「では最終的に社長と相談をして、結果をお伝えします」といわれたが、

音信不通再びである。2週間経っても連絡がこない放置プレイである。またかよーと思いつつ、リマインドメールを出すと次は社長自らがお出ましになり、面接をするという。この面接のアポ、実施、音信不通という連鎖が以降繰り返されるため途中は省略する。

内定に至るまで実に5回ぐらいの面接を約3ヶ月ぐらいかけて行った。うち2回はなぜか同じ人、3回目は社長面接、4,5回目は会社の共同創業者と社長を含めたプレゼン面接だった。

特にプレゼン面接はきつかった。3回目までは意外と楽だったのだが、4回目以降は実力を見るということで、あるお題に対して実戦形式で提案書を作りプレゼンをせよ、という問題だった。

くそう、いい問題だ。いっぺんに相手の実力がわかるし(ハンターハンター風に)、いくら口でうまくやったとしても、この手の課題ならいっぺんに実践力と実力を判断できる、いい課題だ。

まさにこんな心境である。

ところがどっこいこの課題に苦しめることになる。自分がやったことのある分野であればいいのだが、自分が提案もしたこともよくわかってもいない分野についてプレゼンせよというのだ。しかも期限は3日。

さてどうする?

まるで、卓球したやったことがないのに、いきなりテニスの実力みるからね、といわれているような、全く自分が強みとする土俵以外でいきなり戦えといわれているようなものだった。

しかも3日という中途半端な期間で、プレゼンせい!といわれても・・・戸惑うことばかりだった。本当に大丈夫なのかこの会社?なんかおかしい・・・本当に私の経験とかわかっていてこんなことをいっているんだろうか・・・こんな思いばかりが脳をめぐった。

しかしここまできたら何がなんでもやるしかない。とにかく資料を集めるだけ集め、脳に汗をかきなんとか仕上げプレゼンまでこぎつけた。どうやら人間は、多少おかしいと思う状況でも、精神が極めてせっぱつまっている場合には、何も考えずに受け入れてしまうようだ。まさにそんな状況にあったと思う。極め付けはプレゼン前に社長は、

「共同創業者のTimも来るから準備よろしくねw 彼はもとマッキンゼーだから、数値や根拠に対してはすごく厳しい見方をするから、当日のプレゼンもその辺を考えておくといいよ」

などと脅しなのかアドバイスなのかよくわらかない余計な情報を得てしまった。

もとマッキン?この一言にビビりまくりだった。英語でちゃんと説明できるか、数値の細かい部分聞かれたらどうしよう、などなど。心配はつきず、プレゼン終了まで常に脳が汗をかきまくる感覚を味わい、心身ともに緊張しっぱなしだった。

そしてその中で見つけたのは、新しいことに取り組むことにどことなく不快感を感じていた自分である。やはり自分が知っている分野で、挑戦する方が人間にとっては心地よい。逆に知らない、新しい分野へいくことはどことなく不安が入り混じった不快感を感じるのである。まさにこれが英語でいうComfort Zoneなのだなと。

長年同じことしかやっていなかった自分にとって、新しいことに挑戦する、ということがこれほどに腰が重く、なんとなく不愉快さを感じるものになっていたとは。そんな自分がいたことにびっくりだ。

そんな新たな自分を発見しつつも、挑んだ最終プレゼン面接。面接は3人のグループスカイプ面接だ。1時間の面接なのに30分で退出するという共同創業者のTimの行動に、やや動揺するも、なんとかやり終えた。

海外就職、決まる

このような面接を数回繰り返したのち、ようやく正式なオファーをもらうことができた。デジタルマーケティング職で、中東勤務である。ちなみに給料もあげることができた。

オファーをもらった時に感じたのは、自分が予想していた感情とは全く別のものだった。留学から帰国して早4年、常に「海外(中東)で働いてやる!」という意思を持ってやってきて、それをついに実現したのだ。普通なら喜びや嬉しさ一色になるのが普通かもしれない。というかそうなるものだと思っていた。

しかし現実に自分の感情に舞い降りたのは、不安ととまどいだった。あれだけやりたい!といっていたのに、いざそれが叶ってしまうとどうやら人間どう対処したらよいかわからなくなるようだ。もしくは、単純に自分がひねくれているだけなのかもしれないが・・・

オファーをもらって数日はやはりいろんな不安やとまどいがあって誰にも言い出せなかった。事実、意味不明になぜか心臓がバクバクするという現象にも襲われた。意外とチキンだな自分と思った瞬間である。そしてそんなもやっとした感情に襲われた末に、やめることも考え始めた。

本当にこの時期でいいのか?

まだ先にも今回みたいにやればチャンスは巡ってくるんじゃないか?

そもそもこの会社でいいのか?

などなど後ろ向きな意見も。そんな考えと折り合いをつけて、ドバイ進出を決意できたのはそれから2週間後だった。不安がつきまとう決断である。ただ、もう25歳。いいかげん外の世界に出て、もっといろんなことを学んだ方がよいのではないか。せっかくつかんだチャンスなんだから、とりあえずやってみよう!ということで、行く決意をした。

不安がつきまとう決断は、過去にも何回してきた。むしろ自信を持ってこれでいい、と思える決断の方が少なかったように思う。1度自分で決めたことなのだから。その自分の信念に基づいてとにかく行動し、突き進む。こうやって今までやってきて後悔はない。

周りにポツポツと報告し始めると、こちらも意外な反応が。

「おめでとう!よかったじゃん」

「ドバイ!?石油王と結婚するの?」

「ドバイに行くなんてクレイジーな考えだね。でもよかった!」(日本で働くインド人。日本で働く自分もクレイジーだとのたまわる)

中でも印象深かったのが、

「ドバイは日本ほど安全じゃないし、特に女性一人となるといろんな大変なこともあるけど大丈夫なの?」

と弟がドバイで働くインド人(部署のトップの人)に心配され、そんなに海外に行きたいなら別のところを探してあげるよ、と言われたことである。

え?いずれにしてもこの会社やめるんですが・・・退職したい社員の転職先を探してくれる会社なんてきいたことないぜ!

このありがたすぎるオファーと優しさに、本当に頭が上がらないほど感謝しかない。事実、

「1週間、時間をくれ。とりあえず海外の知り合いに空きがないか聞いてみるよ」

「ちなみに国の希望は?」

と探してくれること自体ありがたいのだが、国の希望まで聞いてくださるというファーストクラスレベルのお気遣いである。

お気遣いには遠慮なしに応えよ!というポリシーのもと、「第一希望はイスラエル。その次は中東。第三希望はアフリカです。あ、北米とアジアは希望度低いです。」となんとも図々しい発言をしていた。

すでにドバイからはオファーをもらっていたが、図々しい精神のせいでひょっとしたらもっと良いところがあるかも?と思い、一体どうなることやらと半ば好奇心だけでことの成り行きを見守っていた。

1週間後、そのインド人からのメールに、

「ブラジルはどう?興味ある?」

ぶ、ブラジルでっか!?サンバの国!ポルトガル語!陽気だけど犯罪率高い!(←ブラジルと聞いて思い浮かんだワード)。思いもよらぬ超変化球に思わず笑ってしまった。

意外なダークホース出現に、一瞬どうしようかと迷ったが、ブラジルに単独でいくということと、職種がなんなのか不明だったということもあり、感謝を述べつつも丁重にそのオファーはお断りした。

海外就職にかけた2年を振り返って

「海外(中東)に戻って働いてやる!」と宣言し、はや4年。そして実行に移して約2年たち叶えた1つの夢。2年前に思い描いて進んできたことが実現したという達成感(なん年ぶりに”達成感”という言葉を使っただろうか)と同時に次なる新たな野望がすでに頭には浮かんでいる。また数年後、数十年後の自分に向かって走りだしていくのだ。

それと同時に今振り返ってわかるのは、あの時「日本で2~3年間働いたほうがよい」というのは意外と的を得ているなと思った。仕事をきっちりと真面目にこなす日本で身についたビジネス作法ややり方というのが意外と海外で働く上でも重要になるのだなと。また同時に、そんなビジネスをしっかりやる国で働いていたという不思議な自信も湧いてきたのだ。

さて、ドバイでの海外就職はいったいどうなることやら。夢がかなって、また先が見えない不安に歩み出していくのだ。