20代独身女で友達が一人もいない暮らしが、幸せに満ちている理由

私には1人も友達がいない。ドバイという異国の地で暮らして、数年が経つが、それでも友達はゼロ人である。

しかし、友達がいないことを悩んではいない。むしろ、幸せな日々を送っている。強がりに聞こえるかもしれない。けれども、世の中には友達がいない方が、幸せだという体質の人もいるのだ。

自発的に友達をつくるのをやめるまで

いつの頃からか、友達を作るのをやめた。いろいろあって、人付き合いとか面倒だなと思い始めて、人付き合いをやめた。そして、今では友達が一人もいない状態である。

人付き合いが苦手な私が、いっさいの人付き合いをやめて分かったこと

通常であれば、孤独や寂しさが襲ってきて悲観すべき状態である。「友達が一人もいない」というのは、世間的にも見栄えが悪い称号である。

けれども、友達付き合いをやめて以降、逆にクオリティ・オブ・ライフがあがっているのが、事実なのだ。

こいつ正気なのか?

なにやら「世にも奇妙な世界」に入り込んでしまった、と思われた方。私は正気である。

ただ、世間にはまだ、「友達がいない方が幸せな人間もいる」、という事実が認知されていないだけなのだ。

友達はいらない派の主張。友達がいない方が幸せな人も世の中にはいる

ジェンダーの世界でいうならば、この世には男と女という性別しかないと人々が信じ込んでいる無明の時代。けれども、実際には性別を超える人や無性の人もいるのだ。

それと同じくして、世間には友達がいない方が生き生きとする人間もいる。

友達がいない方が幸せな人の条件

無名の一般人が言ったところで、説得力にかけるので、ここは権威の力をお借りしよう。

メンタリストDaigoが、自身の動画で「友達がいない方が幸せな人の条件」をあげていた。

友達がいないと不幸になってしまうという呪縛を断ち切ったのが、知性の高い人。こうした人に限っては、友達が多ければ多いほど幸せになるという法則が当てはまらない。むしろ友達が多いほど、人生の満足度が低くなる。

知性が高い人というのは、大きな目標に挑戦しているときに幸福を感じやすい。大きな目標を追求していると、友達と遊んだりすることで満足ができなくなってしまう。

私が知性が高いかどうかはともかく、海外の信ぴょう性のある研究から、友達がいない方が幸せな人もいる、ということが実証されているのだ。

友達がいない人間の週末の過ごし方

さぞかし、退屈な週末を送っているでしょう、と思われるかもしれない。けれども、友達とランチしたり、遊ぶこと自体が苦手な人間にとっては、週末の時間はまるっきり自分の思うままに過ごせるので、幸せこの上ない。

人に邪魔されることなく、自分が好きなことをできる。友達がいなくとも、できることはこの世にごまんとあるのだ。

最近はイエメンに行ってきたので、イエメンの政治事情や歴史なんかについて、ネットや本で調べまくっている。その合間にブログを書いたり、ピアノを弾いたり。

気になるスポットに行ってみたり、数ヶ月に1回のペースで国外を訪ね歩いているので、そうした国の予習などをやっている。そんなことをしていると、あっという間に1日が終わる。

もちろん人と話さない週末なんかザラである。けれども、新たな知識をたくわえたり、新たな発見ができるだけで、嬉しくなるのだ。

友達がいるのが当たり前、という人間からの余計な干渉

友達がいないので、行動は常に一人である。家族以外と旅行に行ったこともない。悲しむべきことでもなく、私にとっては当たり前なのである。

文盲の人にとって、目が見えない世界が当たり前のようなものである。他人にとっては、「欠落」に見えても当人にとっては、「欠落」ではない。

時々、家族や友達と行くのが当たり前のスポットに行くと、奇異の目でみられることがある。

ディズニーランドに準ずるようなテーマパークにいくと、チケット売り場で「え?あなた一人なの?」と聞かれたことがある。

余計なお世話である。

そこで初めて、ここは一人で来る場所ではないのか、と悟った。しかし、単独行動が常習化している人間にとっては、痛くもかゆくもない。

ぜひとも、世の中には一人の方が幸せな人間もいるんだぞお、と宣伝したい気分である。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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