「イランの京都」、イスファハンのイマーム広場は「裏」を攻略せよ

「イランの京都」とも呼ばれるイスファハンには、それはもう美しい歴史的建造物が並んでいる。その中で知名度No.1なのが、世界遺産にも登録されたイマーム広場。イスラーム建築の最高傑作の1つとも言われている。

16世紀末のサファヴィー朝当時のイスファハンは、一大国際都市でもあり、人口は50万から60万人だったといわれている。そのすさまじい繁栄ぶりが、「イスファハンは世界の半分」とも言われた所以だ。

その荘厳な美しさに、世界中の観光客たちが見とれる。5月は気候がよく、観光シーズンともあってか、ヨーロッパのクラブツーリズムのような団体客がわんさか押し寄せていた。

しかし、そうした観光客たちが群がっているのは主に「表」の部分で、裏に行くと先ほどの喧騒が嘘のようにひっそりとしている。

伝統工芸が息づくペルシャ更紗の工房

イマーム広場のバザールから少し離れた場所を歩いていると、「お茶でも飲んでいきなはれ」と、人の良さそうなおっちゃんから誘いがかかる。

誘いを断るのは野暮だと思ったので、「そうでっか。じゃあ、ちょっといただきますわ」と中へ入るとそこはペルシャ更紗(さらさ)の工房だった。ペルシャ更紗というのはイランの民芸品の一つで、ペルシャ語ではガラム・カールと呼ばれている。


お茶とともに付け合せのべっこう飴のような平たい砂糖菓子が差し出される。砂糖菓子をまず口に含み、熱いお茶で溶かしていくのだ。

ペルシャ更紗はすべて手作業によって作られる。柄が彫られたゴム板に天然染料をつけ、木綿の布に色をつけていく。1色ではなく、複数の色を押し重ねていく根気のいる作業だ。

祖父の代から引き継いで、現在は兄弟2人で工房を営んでいるのだという。せっかくなので、お土産に1つテーブルクロスサイズのペルシャ更紗を購入。

「ちょっとまけておくれよ」というと、2ドルだけ下がる。いや、むしろこんな手作業で時間をかけて作ったものを安くしてもらうのは気がひける。と直後に思い直して、「逆に値引きしないでください」と伝える。

その時、アメリカのイラン核合意離脱を受けてイラン貨幣は暴落していた。たった2ドルでもイランで暮らす人々にとっては大きな差なのかもしれない。店主はそれなら、ということで小さめのペルシャ更紗をもう1つおまけしてくれた。

店主はそっと自分たちの作品を薄い紙に包み、袋に入れてくれた。何気ない所作が印象に残った。大量生産商品に溢れ、がさつな人々が多いドバイにはない丁寧さに、はっとさせられる。モノを丁寧に大切に扱う、という久しい感覚がなぜか蘇った。

この名もなきペルシャ更紗の工房は、イマーム広場のケイサリエ門近くの小さな中庭にある。

アンティークに囲まれた隠れ家的ティー・ハウス

イマーム広場は広い。じっくり見て回るだけでも数時間は過ぎてしまう。イマーム広場歩きに疲れたら、ぜひとも立ち寄りたいのが、この「アザデガン・ティー・ハウス」だ。

人気のお茶屋ということだが、その入り口は地味。かろうじて看板が出ているが、我々が一般にイメージする飲食店の門構えとはまったく違う。うっかりすれば、そのまま素通りしてしまいそう。

そんな謎の入り口をくぐり抜けると、左手に細い通路がある。雰囲気としては、神保町にありそうな骨董品店。アンティーク品が上下左右に置かれている。人1人がやっと通れるほどの狭い通路で、こんな場所にまさか人気のお茶屋があるとは誰も思わないだろう。

なぜこんなにもお茶屋までのルートをわかりにくくするのか。いや、むしろそれによって「隠れ家的感」が一層増すのだろう。


骨董品や古い写真に囲まれ独特の雰囲気を醸し出す店内

午後過ぎということもあってか、イラン人観光客であふれていた。英語もちらほら聞こえる。事前にはシーシャ(水タバコ)が吸えると聞いていたので、楽しみにしていたのだが実際には「シーシャ?うちはやってないよ」と言われてしまう始末である。残念。

気を取り直して、お茶をいただく。イランといえばお茶文化だ。ティーの付け合せとして出てきたのは砂糖菓子。甘いがアラブスイーツよりも品がある甘さで、クセになる。


ティーセットは100,000リヤルから。その他にも朝食やランチメニューも充実

アザデガン・ティー・ハウス(Azadegan Tea House)
営業時間:午前7時から深夜12時まで
地図:https://goo.gl/maps/oTbvUbxNVY82

イラン旅行のおともに

イラン出身の吉本芸人が書いた本。イランについてこれほど面白く、軽やかにかいた本を他に知らない。イラン人が面白すぎるというより、この本が面白すぎる。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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