中東といえば、テロや紛争が絶えない・・・すなわち危険な場所と思われている。
これは別に日本人に限ったことではなく、中東以外に住む人々はたいてい、中東に対してそのようなイメージを抱いているらしい。
一方で、日本にいると「日本ほど安全な国はないさ〜中東なんて死にに行くようなもんじゃん?」とさえぶちかましてくる人もいる。
確かにドバイに住むまでは、日本は超安全国家説を信じていた。しかしである。ドバイに住むようになって思うのは、実はドバイの方が治安いいんじゃね?ということである。
同時に日本はドバイにはない意外な「危険」が満ち溢れている国なんじゃないかと。
テロだけが生活を脅かす危険ではない
日本人がとある地域が危険だという時、そこにはたいていテロや紛争をイメージしている。ニュースでは毎日のように取り上げられているが、テロで死ぬ確率は交通事故で死ぬ確率よりも低い。東京で猿やタヌキに遭遇するぐらい珍しい、非日常的なことなのだ。
ソマリアに知人がいるが、大規模テロが時々起こりつつも、やつらはちゃんと生きている。当人たちもソマリアを出るわけでなく、その土地に住み続けている。
とにかくテロや紛争は、インパクトがでかい。無作為に市民を恐怖に陥れる、それこそがテロリズムの定義でもある。ゆえに、特定の地域で起きたテロはすぐさま中東全域と結びつけられ、中東=怖い場所というイメージを人々は抱くのだろう。
日本にとっては中東はいまだ遠いどこぞの話・・・という事実を考えると仕方がない。原発事故が起こった日本は危険、そう考える海外の人々と同じようなものである。
なぜドバイは日本よりも安全なのか?
日本人の我が国安全自慢!としてよく言われるのが、「カバンや財布を置いていても取られないもんね!すごいだろ!」というものである。
確かに世界的に見れば、これは奇跡である。しかし、残念ながらこれはドバイも同じである。カフェにブランド物の財布やカバンを置いて、席をはずす人は日常茶飯事である。
次によく言われるのが、「落し物が戻ってきちゃったもんね!」自慢である。特に、落とした財布が現金もカードも使われずそのまま戻ってきた時には、その自慢もひとしおである。
経験した限りではドバイも落し物は戻ってくる。残念ながらこれも同じである。
ここまでくると、ドバイと日本の安全度はほぼ拮抗しているといえよう。
日本にはないドバイの「安全」
逆に日本にはなく、ドバイにはある「安全」とはなんなのか。
ドバイでは痴漢やひったくりといった日本ではよく見聞きする軽犯罪をほとんど聞かない。電車は、つねに女性専用車両がある。日本のように通勤時間だけ女性専用車両!といったケチくさいことはしない。電車が動いている限り、そこは男性禁制なのである。
他にも女性専用タクシー、女性だけのビューティー・サロンなどがある。イスラム教の国ゆえに、男女はなるべく接触しないことが好まれる。学校にしても、男は男、女は女と別である。
特に厳格な人だと、見知らぬ男女が2人きりになるのは好ましくないと考える。ムスリム書生と話していると、近所のイマーム(モスクで祈りを先導する人)がやってきて、「異性と二人っきりで話すなら、ドアを開けっ放しにしておかないと。密室はあかんぜよ」と言われたことがある。
密室とはいえ、モスクに併設する広い図書館である。男女関係などというものはまったく意識していなかったが、いかなる状況であれ男女がそうした空間にいると、そういう方向に転じる可能性がある、と考えているのだろう。
しばらくドバイで、男性と電車に乗るという経験をしていなかったので、東京で電車に乗った時は、少々窮屈な思いをした。
日本にいたらまったく気にならないが、満員電車で見知らぬ男性と肩を並べなければいけないのは、女性にとってかなりの負担じゃないだろうか。逆に男性にとっても痴漢呼ばわりされないか、ヒヤヒヤもんだろう。男女が別々に移動すればお互いにハッピーなはずである。
そのほかにも、お年寄りを狙った詐欺やひったくり、飲酒暴行事件など。軽犯罪だけど、こうした身近な危険は日本で生活していると結構ある。それでも日本人は、そうした状況を決して「危険」とは言わない。もはや身近すぎてそれが当たり前になっているのか。
そうした犯罪とはほぼ無縁のドバイからすれば、日本って結構やべえ国だな・・・と思う。やはり何事も外へ出てみて客観的にみないと、己の感覚のズレがわからないものである。