前回の記事を読むとよりわかりやすいので、おすすめ。
セックスクラブ「キットカット」への道。狂った衣装を買いに行く
「キットカット」に入る2時間前
———ベルリンに来たことを心からよかったと思えた。
キットカットクラブの反対側の歩道でタクシーを降りる。同時に標的を目視で確認。黒服をまとった恰幅のいい男が2名、まるで阿吽像のように立ちはだかっている。あれがバウンサーか。静かな緊張が走ると共に、次に目視でとらえたのは、噂で聞いていた、行列がないという想定外の現実。そして3人組の男たちが、キットカットに入れない人間になった瞬間の映像。
頭の中では、動揺と緊張が走ったが、足は歩みを止めない。
歩道からバウンサーまでの距離は数メートル。
「キットカットに入るために大事なのは、態度とファッション」。キットカットに入れた人間からの助言を思い出し、「私はこの世界に入るべき人間」と頭の中でつぶやいた。不安と緊張を即席の自信で押し倒す。どこからこんな自信が溢れてきたのか自分でもわからない。自信の毛皮をまとった見知らぬ自分に驚く。
売人もどきが、すでにバウンサーに近寄り、話しかけようとしている。やばい。売人もどきだけでは、弱い。弾かれる。数秒遅れて、私はバウンサーの目の前に。口を開きかけた次の瞬間、バウンサーはすでに私の背後にいた。
タクシーを降りてから40秒後のことである。
・・・・
ひえっ
あっけなくね・・・・!?
というかめちゃくちゃ簡単に入れたぞ。全身から力が抜けた瞬間だった。
しかし、ここからが未知との遭遇である。
秘密クラブの全容がついに明らかに
中からドアを開けるまで入るなと指示されたので、待つこと数分。ようやく中のスタッフがドアを開けたので入場。入ってすぐの右手のカウンターで、入場料の20ユーロを現金で支払う。その横には、コンサート会場のようなクロークがあり、客たちはその前でコートやらズボンを脱ぎ捨て、荷物を預ける。客たちは、雪だるまのようなもっさりとした冬服(この時は2月)から、ほぼ裸みたいなコスチュームへと着替えていく。見栄えは過激だが、その雑多さは部活の更衣室である。
異世界の入り口というのは、まぬけらしい。
ベルリンのその他のクラブと同様、キットカットでは、スマホの持ち込みが禁止されている。そう、この先の世界は実際に来た人間しか見れない。あらゆる場所がネット上でさらされている現代だというのに、キットカットはそうした世界といまだに無縁である。つまりここは、ある意味の秘境であり、未確認生命体なのである。
ドイツサウナでもそうだが、スマホ禁止ポリシーというのは、ある意味で人々に大いなる安心感を与える。自分のさらけ出した姿を誰にも撮られないという絶対的安心。ゆえに、誰もが思いのままに、己を表現できる場所となる。そして、体型や性別、性的な嗜好など、あらゆるものに対するジャッジや差別を禁ずるポリシーが掲げられている。
ダンスフロア入り口で再びスマホチェックを受け、ようやくメインの会場へと入れる。広々としたソファがいくつも置かれている休憩部屋?を通り過ぎると、メインのダンスフロアがある。そのダンスフロアを見下ろすように、二階部分がある。エロティックな家具が各所に備えつけられており、本当にここはセックスクラブなんだと思い知らされる。
高級秘密クラブみたいなものをイメージしていたが、小汚いライブ会場・・・というのが正直なところである。老舗クラブを老舗たらしめるものは、会場の雰囲気ではなく、主にそこに集う人々が担っていた。客は皆ほぼ裸みたいな格好で、わかりやすく言えばレイザーラモンHGのようなテイストである。
うお・・・
見たこともない光景に圧倒される。しかし来てしまった以上、溶け込む他ない。というわけで、ダンシングスタート。
初めてのテクノ音楽に多少違和感があったが、ダンスに正解もクソもないだろう。というわけで、周りに合わせてとりあえず踊ってみる。するとどうだろう・・・慣れてくると、まるでみんなでソーラン節を踊っているかのような一体感がそこにはあった。
客層は若すぎることはない。どちらかというと成熟した大人たちもいる。常連客と思われるおじいちゃんもいた。カップルや友達グループが大半であった。
DJブースの目の前で一心不乱に踊り続ける半裸男子。まるでオタ芸のようにキレッキレである。しかも自分のダンス領域を犯してくれるな、と言わんばかりに隣の人に、スペースをちゃんと開けて!とジェスチャーを送っているではないか。そのダンスのキレ具合とテクノ愛から、テクノ貴公子と私はあだ名をつけた。
素人感覚だが、ベルリンのテクノは、地下からズムズムと湧き起こるような振動系ミュージックである。その地上から湧き上がるような低くて暗い音色は、ベルリンの壁が崩壊した当時を思い起こさせる。そう、ベルリンのテクノ文化は、壁崩壊と共に発展してきたのだ。ベルリンテクノは、あの当時と現代をつなぐタイムスリップ的な要素を含んでいるように思えた。
ダンスフロアで一心不乱に踊っていると、海の漂流物のごとく、いろんな人間が漂流してくる。
「ヤッホー」と、とりあえずその辺にいる人に片っ端から、絡む人。
バブル世代か!と思うような巨大センスで風を仰いでくる人。
「あんたのおケツいいわね〜」と、無許可で私の臀部を叩いてくる人。
そして黒い妖精。キラキラのドレスを着た小さな黒人女子が、私の目の前で体にあたるか当たらないかの距離で体をうねらせてきた。
ひい・・・
これは、レズビアンのお方・・・?
と思いきや、後で見かけると黒い妖精は男女関係なく、誰にでも体をくねらせていた。パンセクシュアルなのか、バイなのか。そんなことを考えるのはもう野暮だ。
DJの演奏が終わると、フロアからは拍手が湧き起こった。音楽への賞賛。それは、ドイツサウナでみた熱波師への拍手の光景を思い出させた。単に聞き流して消費する音楽ではなく、賞賛に値する神聖なものらしい。
ドレスコードの重要性
あれだけ私の頭を悩ませていたドレスコードだが、現場にやってきてその重要性に気づいた。
明らかにドレスコードとは違う格好をしている人がいると、全体のまとまりがなくなる。そう、みんなが文化祭Tシャツを着ているのに一人だけ私服といった感じだ。
ドレスコードがフェティッシュなのに、ポップなパンダの被り物や、シンプルな木綿の白下着をつけていると、明らかに浮いてしまう。そしてみんなで作り上げようとしているクラブの雰囲気が台無しになってしまうのである。どの口が言うか、と思うのだが、実際にグーグルレビューでも、そうした点を指摘している人がいた。
突然の事件、そして強制退場
このまま何事もなく一夜を楽しむのだろう、と思っていた。しかし、現実は甘くなかった。連れのブラジル人が突然、調子が悪いと言い出した。見ると酔っぱらいのように、足元がふらついている。その時、売人もどきが私に耳うちした。
「あいつ、ドラッグを使うのが今夜初めてなのに、短時間で何粒も摂取してたんだ」
ベルリンのクラブとドラッグは切っても切れない関係にある。むしろ避けて通る方が難しい。「基本的にクラブの人はみんなフレンドリー。なぜならみんなハイになってるから」という人もいる。というぐらい、違法でありながら、ベルリンのクラブではドラッグ各種がそこかしこに蔓延している。粗悪なドラッグを売りつける売人がたむろする公園もベルリン市内にある。
ヨーロッパに来てからやたらとドラッグ体験を聞くようになったが、私は摂取の必要性はないと感じ、距離を置いている。天然由来のアドレナリンとドーパミンだけで十分である。
私と売人もどきで休憩フロアに連れて行こうとしたが、その瞬間。
ブラジル人が足から崩れ落ちた・・・
その1分後。我々は強制退場を命ぜられ、ダンスフロアから追い出されてしまったのである。
ええと。何が起こったのか。
ブラジル人が倒れた瞬間、確か数人のスタッフ(クラブ内では”意識向上委員会”と呼ばれるスタッフが見回っている)が、秒で駆けつけた。彼らによれば、「こんな状態ではダンスフロアに入れられない」とのこと。
そう。自分のことをまともにコントロールできない奴は、他人に危害を加える可能性がある。よって、クラブに入る資格なし、というルールが適用されたのだった。キットカットは一見すると狂ったコンセプトのクラブだが、こうした安全ルールは徹底している。いや、こうした安全ルールがあるからこそ、クラブは老舗として長年運営を続けられるのだろう。
そんな・・・まだクラブに来てから数時間しか経ってないぜ・・・
ブラジル人の心配をもっとすべきだったが、正直いうと、アドレナリンのせいでもっとダンスを楽しみたい、という欲の方が強かった。それに、ブラジル人とは、そんなに関係が深いわけではない。我ながら、薄情な人間である。
ブラジル人は、「俺の何が悪いんだあ〜」などと、ぶつぶつ言っており、まともに話が通じる状態ではない。
ブラジル人がこのままの状態では、我々もダンスフロアに戻ることはできない。ブラジル人を家に送り届けたら再入場して良い、という条件をスタッフに突きつけられ、我々はいったんクラブを離れることにした。ブラジル人の荷物からスマホを探り当て(彼の住所を知らなかったし、また自分の住所を言える状態でもなかった)、Uberを呼び出し家に送り届けることにした。
外観は閑静な住宅街にあるきれいなアパート。しかし彼の家の中に入り、私は驚愕の光景を目にする。
何これ・・・
普通の家だと思っていたのに、まさかのゴミ屋敷。モノが散乱しまくっている。何をどうしたらこうなるのか。キッチンにはチキンの骨が大量に積み上げられている。もはやアメリカの殺人鬼の家である。
ブラジル人の意識が復活したのを確認し、売人もどきと私は、再びUberでキットカットへ。
「なあ、あの家みたか?」
「うん。あれは相当病んでるよな」
「あいつ、ベルリンに4年住んでるって言ったけど、今日初めてクラブデビューしたって言ってたもんな」
などと話していたところで、私は自分の手が流血しているのに気づいた。ブラジル人が倒れた時にとっさに出した手が、壁の間にはさまり、皮膚がえぐられていたのである。傷が痛み出したのはそこからだった。それまではアドレナリンとドーパミンで麻痺していたらしい。
———自分をコントロールできない奴は、他人に危害を加える
そういうことか。
セックスクラブの光景
キットカットに戻ったのは、深夜1時過ぎだった。ベルリンのクラブはこの時間帯が盛り上がりの絶頂だそうで、このあたりから、ポツリポツリと、セックスクラブと呼ばれるに相応しい光景が出現し始めた。セックスクラブといえども、常にコトが起こっているわけではなく、夜更けの時間帯になると現れるものらしい。
他人のコトを見るのは、初めてである。その時の瞬間は、サファリで野生動物に遭遇したときのような、「これが野生のキリンか・・・」といった感じである。近くにいた生物学的男性2人も、「あ、あそこにキリンがいる・・・!」などと、興奮気味に話している。
しかしここはベルリン。コトとはいえ、モノガミーヘテロによるごく普通のコトであった。加えていうなら、そのスタイルもまた古代からありそうなオーソドックスな体位である。もっと多様な風景を期待していたのか、なぜかがっかりしている自分がいた。とはいえ異様なことには間違いない。コトに興じる人。それをじっと観察する人。不思議な世界観がキットカットの片隅で展開されていた。
夜更けのトイレもまたカオスを極めていた。「トイレに入るのは一人だけ」とわざわざ張り紙をしているのだが、それに反して、複数人でトイレにしけこむ人々。中で何が行われているのかは、想像にお任せする。トイレに並んでいたりすると、「どう?興味ある?」と誘われたりもするが、申し訳ないがこちとら踊るのに忙しいので、そんな暇はない。というかそんな趣味はない。こういう場でも明確な線引きが重要だ。そして、しつこく誘うと、これまたクラブから出禁を食らうというルールである。
そう。一口にセックスクラブといっても、みな目的は様々なのだ。大半の人々は、ただ話したり、踊ったりするだけ。コトに興じている、もしくはそれを眺めている人は全体の5%にも満たないレベルである。クラブ的にも、セックスがメインではなく、セックスをしても問題ない、というのがカラクリである。
スタッフからの呼び出される
踊っていると、見知らぬ男性が声をかけてきた。もちろん爆音テクノにかき消されて、何も聞き取れない。とにかくしつこく話をしたがっているので、ダンスフロアを抜けて声が聞き取れる場所へ移動する。男性は、クラブのスタッフだった。
「君の友達が、外にいるんだけど」
は?
何のことを言っているのだろう。
百聞は一見にしかずということで、監視カメラの映像を見せられた。そこにはクラブの入り口の映像が映っていた。
「君の友達がずっと入り口で待ってたの。1時間ぐらいいるんだよ。だけど一度強制退場になった人間は入れられないルールだから、見に行ってあげてくんない?」
まさか。さっきのブラジル人がまたクラブに戻ってきたのか・・・!?
どういう精神の持ち主なのか、と同時にうっすらと恐怖を感じた。
実際にクラブの外へ出てみると、すでに彼の姿はなかった。
自分らしくあれ
———ずいぶんと遠くまでやってきたもんだな。
思えば4ヶ月前に初めてベルリンにやってきた時、私は女性のトップレス姿にすら引いていた。そして公園でテクノライブを目撃した時も、「こんな人前で踊るなんて恥ずかしい」と、苦笑いしていた。
ところがどっこい。今では人前で裸同様の狂った格好をして、踊りに邁進している自分がいる。同一人物であるはずがない。しかし場所が変われば人も変わる。人間というのは、とりあえずやってみると、意外と何でもできてしまう。自分はこういう人間だから、と決めつけさえしなければ、その可能性は無限である。自分が考える自分というのは、案外狭義の自分なのかもしれない。私は私のことをよく知らなかった、というのがキットカットでの気づきである。
キットカットは不思議な空間だった。裸みたいな狂った格好をしていても、誰も見ないし、気にしない。そして人種も年齢も気にしない。ただ人間がそこに存在している、ただそれだけだ。誰も自分をジャッジしないという前提が生み出す、圧倒的な安心感。それは私の今までの人生の対極であった。私は人にどう見られているか、どう見られたいかを気にしていた。
ただ自分らしくあればいい
キットカットというアンダーグラウンドには、地上で私が抱える不安もコンプレックスもなかった
私はそこでかつて味わったことのない、心地よさを感じた。決まった美の基準や、見た目でジャッジされるというプレッシャーからの解放。
お腹空いてきたなあ・・・
クラブ内に時計はない。スマホもなく、ひたすら踊り続けていると、ただ時が過ぎていく。ドイツサウナと同様、スマホから離れることで、”今”に集中できる。そしてその今は、平時よりもずっと濃厚である。
今、何時だろう・・・
腹時計という古来の時計で計算すると、おそらく午前4時過ぎだろうか。キットカットでは、ドリンクは頼めるがフードはない。よって、お腹が減ったら自動的に外に出るしかない。しかしまったく眠くはない。
というわけで我々はようやくキットカットを後にした。タクシーを待っていると、先ほどのテクノ貴公子もいた。
ひえっ
一人で来てたの!?
あんなハードコアなクラブに一人で行くという概念がなかった私は、衝撃を受けた。しかし、一人でやってきて、あんなダンスを披露するということは、相当なテクノ好きと見えたる。
かっこいい・・・あんな風に自分もなりたい
帰ってスマホを確認すると、ブラジル人からメッセージが入っていた。キットカットに戻ってきたものの、再入場を断られたため、別のクラブへ行ったのだという。
どんだけクラブに行きたかったんだ・・・!
もはやそれが彼の意思なのか、ドラッグの力なのかはわからない。ただキットカットの光景以上に、ブラジル人の家に衝撃を受けたことは否めない。深夜という時間帯に活動したために、睡眠サイクルがその後数日間、おかしくなったこともつけ加えておく。
そして、あの夜負った手の傷は、完治するのに2週間もかかり、今もくっきりとその跡を残している。この傷跡を見る度に、私はあの夜のことを思い出すのだろう。それはいい思い出だけでない、戒めや恐怖も含んだ、一夜で体験するには十分すぎた、奇抜な体験である。