タイやカンボジアで日本人が逮捕される事件が相次いだ。カンボジアの事件に至っては、人が殺されているので、一層生々しい。
多くの人は、「純潔で高潔な日本人がなぜそんなことを・・・?」と思うかもしれない。まるで、日本人が海外で事件を起こすことなど予期していないかのような言い分である。
外国人と日本人というカテゴリで見た場合に、事件を犯すのは圧倒的に外国人というイメージがあるんじゃないだろうか。
今でこそ、テロリストといえば、イスラーム教徒の過激派というのが世界的なイメージである。日本人も例外ではなく、過激派たちのおかげでイスラーム教徒は、あなおそろしや、な存在だと思われている。
しかし、考えてみれば、イスラーム教徒というのは世界に16億人もいるのだ。16億人もが、そんなやべえやつだったら、世界はとうに崩壊しているだろう。
一方で、日本人がテロリストと呼ばれていた時代があったことは、ほぼ日本人の記憶から消え去っている。
学生運動が盛んになった60年代から70年代に現れたのが、新左翼系の過激派集団、日本赤軍である。「世界同時革命」をスローガンに、世界各地に支部を設け、武装闘争と呼ばれる過激な事件を展開した。
1972年に、日本赤軍メンバーであった岡本公三を含めた3人のメンバーが、イスラエルのテル・アビブ空港で銃を乱射し、26人を殺害するという事件を起こした。今でいえば、テロ事件である。
今でこそ、イスラエルに占領されているかわいそうなパレスチナというイメージが強いが、そこにもまた現在でいえば、過激派やテロが存在した。テロという言葉が登場する前には、そうしたパレスチナ側による一連の民族抵抗運動は、ゲリラ運動とも呼ばれた。
日本赤軍メンバーの重信房子は、そうしたパレスチナ解放人民戦線と連携し、世界各地でハイジャックや無差別殺人事件を展開した。そのうちの1つが、ドバイ日航機ハイジャック事件である。このドバイという土地にもかつて、日本人のテロリストがいたということになる。
そうした歴史を知っている人の中には、イスラエルの悪名高い厳しい出国検査の理由を、「日本人だからかなあ」とぼやく人もいる。
先ほどの話に戻れば、一部の過激派がテロリストであっても日本人全体がテロリストなわけがない、と反論したくなるだろう。
それはイスラーム教徒とて同じだ。
そして、宗教や国、経済的身分に関わらず、犯罪を犯す奴はいるし、いいやつもいる。時代が変われば、誰がテロリストなのか、という共通認識も異なってくる。
その意味で、冒頭の日本人による事件は、そうした認識の転換期にさしかかっていることを示唆しているのかもしれない。