バンクシーホテルが再開。現在のパレスチナを見つめる

念願かなって、ようやくここに来ることができた。パレスチナ西岸地区、ベツレヘムにある「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」。バンクシーがプロデュースしたホテルである。分離壁に隣接していることから「世界一眺めの悪いホテル」としても知られている。

戦争で観光客が激減したパレスチナ

ホテル自体は2017年にオープンしたが、2023年に始まった戦争により約2年間閉業していた。しかし、2025年11月より再びオープンしたという朗報。ちなみにこちらのホテル、ブッキングドットコムでの評価が「9.9」と、見たことのない高評価を叩き出していた。

それほどまでにすごいホテルなのか・・・期待は高まる。

「まだ再オープンしたてだから、フル営業じゃないんだ・・・」と受付のスタッフ。今晩の宿泊客は、我々だけだった。たった1組で占領するにはもったいない空間である。


ホテルのロビー。コロニアル調な様式に、現代のパレスチナ問題が折り重なっている


 ヤマハの自動演奏ピアノだが、バンクシーがスプレーでヤマハの文字を消したとのこと。1日決まった時間にピアノの演奏がある

パレスチナにあるホテルなので、パレスチナの伝統工芸品やアートを全面に出してくるかと思いきや、全面に出ていたのはイギリスだった。現在のイスラエル・パレスチナ問題がイギリスのバルフォア宣言に起点があること、またイギリスとの繋がりが深いバンクシーだからこそ、なのだろうか。いずれにしても、パレスチナにいるのだが、ヨーロッパのおしゃれなホテルに迷い込んでしまったという感覚に陥る。


暖炉の前はクリスマス仕様にデコレーションされていた。箱は鉄条網で作られており、中身は空っぽ。壁には実際に分離壁で使われていたイスラエルの監視カメラが上部に展示され、パレスチナ人の闘争の象徴であるゴムパチンコが下部に。さらにその下にはイギリス王室のアンティーク皿。イスラエルという権力が壁の下にいるパレスチナの人々を見下ろすかのような図式、そしてその根本にはイギリスがいる、といった問題の構造を暗示しているように見える。個人的にはこの展示がお気に入り

閑散とした有名ホテルは、イスラエルよりもパレスチナ側への観光業への打撃が大きいことを示していた。イスラエル側でも観光客が少なかったが、アメリカ系ユダヤ人グループなどちらほら観光客はいた。しかし、ここベツレヘムには全くと言っていいほど観光客の姿がなかった。

それはホテルだけでなく、ベツレヘム中心地も同じだった。クリスマス時期だというのに、ジーザスが生まれた降誕教会はひっそりとしていた。例年だと世界中のクリスチャンたちでひしめき合う場所なのだが。


降誕教会の前に飾られていたクリスマスツリー。サンタも暇そうである


降誕教会前の広場。全ての屋台がなぜかコーン一択


人気のない教会。まるでコロナ禍を彷彿とさせる

教会にいた暇そうな司教に話を聞くと、昨今の物価高と戦争で観光客が激減しているのだという。ちなみに、司教はギリシャ人でかつて船乗りをしており、日本に2度訪れたことがあるという。船乗りから司教。そんな転職もありなのか。

話をホテルに戻そう。

ホテルには、壁の歴史を紹介する博物館や地元アーティストのギャラリーなども併設されており、パレスチナの現状をよく知ることができる。通常、この手の博物館というのはつまらないことが多いのだが、この博物館は複雑な政治状況をわかりやすく伝えており、意外な仕掛けもあり面白い。博物館だけでも訪れる価値はある。ホテルロビーや博物館は宿泊客以外にも開放されている。

バンクシーアートと向き合う1日

バンクシーについて気になるのが、顔はおろか素性がよくわからないと言うこと。ホテルのスタッフや地元民にも聞いたが、誰一人バンクシーを実際に見たことはないという。その顔を知るのは、ホテルのオーナーだけらしい。

バンクシーファンというわけでもないが、ミーハー精神に溢れる我々はバンクシールームを予約。それは単にバンクシーの絵が描かれた部屋ではなく、バンクシーのメッセージとパレスチナの現状に、長時間向き合うという稀有な体験だった。

これがバンクシーの狙いだったのかもしれない。ベツレヘムはエルサレムから日帰りで来れるため、泊まりの観光客はあまりいなかったはずだ。しかし、我々のようにこのホテル狙いで、ベツレヘムに1泊しようという人が増えているのは間違いないだろう。


夜に見ると、この絵は怖いんです・・・


バンクシー部屋の窓からは分離壁が見える。部屋の中にはテレビはなく、さまざまなジャンルの英語の古本が並べられている。これもバンクシーの意図


バンクシーが2017年に手がけた、2人の天使が壁をこじ開けようとするアートも部屋から見える

通常のアートであれば、美術館などで眺め、長くて数十分鑑賞して終わりだろう。しかし、この部屋では寝る前から起きた直後まで、バンクシーのアートが常にそこにあるという状態。初めこそ、「これがバンクシーのアートか」などと興奮気味に見ていた。けれども長時間いることで、次第にそのアートが発するメッセージが重く感じられる。美しい目覚めでも、窓から外を見れば、ブサイクな分離壁。これをパレスチナ住民は延々と味わっている。

ホテルの受付で渡されたバンクシーからの手紙には、最後にこう締めくくられていた。

the role of art is to comfort the disturbed – and disturb the comfortable
アートの目的は、不安な者を慰め、快適な者を不安にさせることだ

バンクシーのアートで不安を感じた私は、快適な者だったのだと、思い知らされた。そして、地元のパレスチナ人は慰められているのだろう。自分たちの苦しみを理解する者がいるのだと。


このホテルは通常のホテルとは全く違うものだった。人目につかない場所にも小さなアンティーク品、共有スペースのドリンクエリアには、アンティークなティーカップ。そこまでする必要があるのか?と思うほど、細部にまで徹底したこだわりがあった。アンティークとアートに囲まれた空間により、滞在は特別なものに昇華する

状態は悪化するばかり

ホテルでは分離壁や地元の人々の暮らしを紹介するツアーも開催している。ガイドのマルワンは「2人での参加は再オープン以来、君たちが初めてだ」と興奮気味に語った。

私が初めてパレスチナを訪れた15年前には、壁はすでにあった。そして分離壁の一部は今も建設途中である。壁があるという事実は今も変わっていない。しかし、壁には、当時なかったトランプ大統領やジョージ・フロイドなどが描かれ、時の流れを物語っていた。ただ最近では海外からのアーティストの往来もすっかりなくなったようで、壁上の時は止まっているように見えた。

世界では多くの人々がパレスチナ救済を叫んでいるのに、実際にこの地を訪れる人々はごくわずかということか。


「壁ではなくフムス(ひよこまめペーストの中東の食べ物)を作れ」というスローガン。右側には鏡が埋め込まれている。壁で遠くを見通せないため、鏡で奥行きを見せるという発想


壁は単純な直線として作られているのではない。宗教的に重要な土地をイスラエル側に取り込んだり、セキュリティ目的などで複雑な線をなしている。検問所近くには3方を壁で囲まれた民家があり、「昔からこの土地にすむ人々が、なぜこんな思いをしなければならないのだ」と壁による不条理さをマルワンは伝える


バンクシー作品、狙われたハト。グラフィティアートは、上から次々と塗り替えられていくのが常だ。しかしこの作品は、20年以上経ってもそこに存在し続けている。一過性のグラフィティというよりも長年受け継がれるアートになっている


「ベルリンよりご挨拶。我々も壁というものに縁がありまして」と書かれている。ベルリンの壁はすっかり過去の産物になっているが、パレスチナの壁もそうなる日が来るのだろうか。現在進行形の壁を見ると、そんな将来を見通すことが難しい。壁は物理的な視覚だけでなく精神にも影響を与える

この地からしばらく離れていた間、私の生活にパレスチナはなかった。だからこそ、状況は良くなっているのだろうか、などと楽観的に考えていた。しかし、マルワン曰く「2023年の10月7日以来、状況は悪くなるばかりだ」と嘆いていた。確かに状況は何も変わっていないように見えた。

かつてよく耳にしたワードは、「インティファーダー」であった。それが今では「10月7日」に置き換わっていた。パレスチナだけでなくイスラエルでも。この地には、常に戦争に関するワードが飛び交っている。それは日々の生活に紛争がいつも入り込んでいることを意味する。


パレスチナの民家には貯水タンクが設置されている。水を含めインフラ管理は実質的にイスラエルが行なっており、断水や水不足が大きな問題になっているためだ。一方で近くにあるユダヤ人入植地にはそんなものはなく、イスラエル管理下のもとで不自由な暮らしを送るパレスチナと入植者の豊かな生活の対比が浮き彫りになる


「監視塔にいるイスラエル兵がトイレに行くのが面倒だからと言って、ペットボトルに用を足して、こっち側に捨てたんだ」と、落ちているペットボトルを差しながらマルワンは忌々しそうに言った

「ヨーロッパに何度か招待されて旅行したことがあるんだ(マルワンはイスラエルに入れないためヨルダンに陸路で行き、ヨルダンから飛行機を使う)。ヨーロッパの自由な生活を目にして思ったのは、俺らは動物ぐらいの権利しかない、ということなんだ」

確かに、ヨーロッパではワンコが電車に乗ったり、ZARAにも「人間ですよ」という顔して入れたりするもんな・・・おまけにペット用パスポートで大概の場所にも行けるし・・・

などと頷いていたが、マルワンの語りぶりには、若干誇張しすぎじゃないか、と思う部分があった。ただパレスチナ人の心情は、よそで楽な生活をしている私のような人間には決して分からないというのも事実だ。だからこの問題についてどう見るべきか、いつも自問自答してしまう。

「誰もパレスチナを助けることはできない」

マルワンはそうつぶやいた。これだけ世界的に親パレスチナの動きが出ているのに、壁の中にいる当人たちは絶望を感じているようである。

どこかで聞いたセリフだ。そうだ。かつて世界中に離散していたユダヤ人たちが訴えてたことじゃないか。ホロコーストや虐殺が起こった時、誰もユダヤ人たちを助けることはなかった・・・

悲しいかな。この地では、延々と嫌な負の連鎖が続いているのである。この地において、ホロコーストは決して切り離された過去の出来事ではなく、現在も別の事象として続いているのである。

ツアー後、ホテルのスタッフに聞いた。

「我々がパレスチナのためにできることはあるのでしょうか?」

平和というイージーな言葉では片付けられないこのテーマ。いつも何が正しいのか分からなくなる。だからこそ、どちら側であれ、現地の人々の話には耳を傾けたい。

「みんなそれぞれの生活で忙しいことはわかっている。このホテルの宿泊客も観光を終えて自分の生活に戻れば、パレスチナどころではなくなるだろう。それは我々も同じだ。ただできることとしては、現地で聞いたストーリーを1人でも多くの人に伝えてもらえれば何よりだ」

パレスチナで生きるということ

とまあ感動の話を聞いて終われば、美しい訪問記だっただろう。話にはまだ続きがある。ホテルに別れを告げ、検問所を通り抜けイスラエル側に戻った時のこと。

まぬけなことに、ホテルに忘れ物をしたことに気づいた。急いでホテルのスタッフに電話すると、検問所まで届けてくれるという。私はたったさっき通過した検問所を戻り、再びパレスチナ側へ。無事に受け取ることができたのだが、ここからが問題。

検問所が閉まっている・・・!

イスラエル側に戻れない・・・!

時刻は午後1時過ぎだが、ホリデーとかなんとかで検問所も、私が一度目に通過した後にクローズしてしまったのである。たった数メートルの距離なのに、検問所と壁のせいで、別のルートで戻る羽目になってしまった。大回りの結果、だいぶ時間を食われてしまった。


検問所。イスラエル側から行く時は上の写真のようにノーチェックだが、パレスチナ側からイスラエル側に行くには、パスポートコントロールのようなチェックがある。外国人も対象。宗教や仕事、教育など特別な事情で発行された許可証を持つパレスチナ人だけがイスラエル側に行ける。しかし2023年以降、許可証の発行は厳しくなっているという

これが自由な移動を制限されるということか。自分が痛い目をみてようやく、壁の中で生きる人々の不自由さを少し理解できたような気がした。

加えて、パレスチナ側では、イスラエルのSIMカードのネットが使いづらくなったり、エルアル航空のサイトにアクセスできないなど、ネット上の制限も感じた。またホテルでもインフラが弱いため、トイレのティッシュは流さないでなど、小さなことだが至る所で、この地はイスラエルによって管理されている、ということを味わうことになった。それは決して気分の良いものではない。

バンクシーのホテル滞在も同様だった。ホテル自体は快適だが、人々を不安に陥れるメッセージやコンセプトにあふれ、精神的に動揺させられる。パレスチナの人々が置かれた生活を擬似体験するということか。バンクシーはとんだ策士である、と感じずにはいられない。