つい数ヶ月前にもフランス人のスタイリストに、パーソナルショッピングをしてもらったのに、どうも納得していない自分がいた。いや、フレンチスタイルとしては完璧なのだ。
しかし、ベルリンでフレンチスタイルは、正統すぎる、綺麗すぎる、つまらない。そう、ベルリンの人々のオシャレは、どこか小汚くて、言葉では説明し難い、謎の理論を武装したファッションに身を包んでいる。
何かが足りない・・・
そこで、私は生粋のベルリナーであるスタイリストを召喚し、スタイリングを依頼した。私の要求はただ1つ。
私をベルリンにしてください
翻訳すると「テクノファッションスタイルにしてください」である。ファッション素人の私が見てわかるのは、黒で全身をコーディネートする彼らのファッションは、いわゆるテクノスタイルということだけだった。マーレンのファッションは、まさしくベルリンを体現したもので、ベルリンになるには、マーレンしかいない、というのが私の考えであった。
ベルリンになりたい
ベルリンと友達になりたい
何もベルリンに迎合して、ベルリンファッションを身につける必要などどこにもない。そうは分かっていても、私は何か焦りと期待に大きく突き動かされていた。ベルリンファッションをまとうことによる、新たな自分の発見、そしてベルリンと距離を縮めるためのツールとしてのファッション。
マーレンとの買い物の当日。
マーレンの愛犬であるフレンチブルのピギーも帯同。もちろんリードなどついていない(ドイツではリードなしで散歩しているフリースタイルのワンコが多い)。レストランやショッピングモール、電車などでも犬は見かけるが、犬とショッピングする体験は初めてである。本当に洋服の店とか試着室まで、ワンコが入ってもOKなのだな、と感心する。トイレはどうしているのか?と聞いたら、最大5時間までなら我慢できるとのことだった。途中、店員のワンコが脱走するという珍事件も発生。
ただの服のスタイリングなのに、マーレンとのパーソナルショッピングは、服を着るという概念を覆すものだった。
今までの私にとって、服を着ることが、1+1=2といった単純な四則演算であるとすれば、この日私が見たものは、サイン・コサイン・タンジェントといった三角関数並みに複雑な概念からなるファッション道であった。
そう、四則演算では、単純に服は着るだけのもの。そこには、仕事だからスーツ、デートだからモテファッション、年齢に見合った格好といった社会や他人の目を意識した上での”正解ファッション”をまとうこと、骨格診断やパーソナルカラー診断に基づき”自分に似合う”ものだけを身につける、といったことも含まれる。
かつての私は、それだけで満足していた。それがファッションであり、それでおしゃれになるのだと思っていた。自分に似合うものを着て、自分がよりよく見えれば万々歳。しかし、ベルリンはそうでなかった。
マーレンが教えてくれたのは、ファッションは自己表現であるということ。時には、ファッションは政治的主張になるということ。ひいてはファッションが、個人にポジティブな力をもたらすということ。
私がベルリンの人々のファッションを理解できなかったのも、それが理由だ。ベルリンの人は、場所に応じて適切な格好をしようとか、他人からおしゃれに思われたい、モテたいと言った気持ちを持ち合わせていない。何せ、おしゃれという感覚は非常に曖昧で、人の数だけ”おしゃれ”の概念はある。それに擦り寄っても意味がない。
ベルリンでスーツ姿の人を見かけたのは、数ヶ月で1、2回である。ホームレスとの遭遇率の方が、圧倒的に高い。何せ政府機関で働く人ですら、ベルリンではパーカー&ジーパンで出勤するのだから。格式高いクラシックコンサートでも、平気でジーパンOK。
そう、他人や社会に一切媚びないのだ。自分をどう表現したいか、自分が何がやりたいか、その集大成が彼らのファッションなのである。
私に欠けていたものは、自己表現とクリエイティビティだったのだ。一見すると、おしゃれだけどつまらない。それは、そこに何も創作活動をしていないからだ。つまり私はいなくて、ただ服だけが存在する状態。
「おしゃれな服があなたを引き立たせるわけじゃないの。あなたが服を引き立たせるの」
これが、ベルリンの人々が高級ブランドになびかない理由なのかもしれない。EUを牽引する国の首都であるというのに、ベルリンで高級ブランドを身に付けてる人は、数回しか見たことがない。
日本では、高級ブランドを身に付けている自分にステータスを感じる人もいるが、ベルリンの人からすれば単なる虎の威を借る狐である。そして、高級ブランドを身に付けている=すごい、という思考は特にない。なぜならそこに、自己表現やクリエイティビティがないからだ。あくまで、主役は自分で、服は主役を引き立てる脇役にしかならない。その配役決めは、己のクリエイティビティにかかっている。
これはとんでもない挑戦状だ。
これまで足し算引き算のファッションしか知らない人間が、いきなり自己表現を求められるのだから。しかし、これを持ってしてベルリンファッションへの理解が進んだことは、喜ばしい。
ヴィーガンレザーという概念を初めて知った。ドイツでは、やたらとヴィーガンだとかBIO(ビオ)などとつけたがる。逆にヴィーガンやBIOと言っておけば、とりあえず許されるといった雰囲気である。
中でもドイツでは、プラスチックはめちゃくちゃ嫌われている模様。買い物袋といえば、紙袋一択。一見プラスチックに見えるような袋でも、「I’m not plastic(私はプラスチックではありません)」と表記している。プラスチックであることは、ある意味で罪。そして、魔女狩りの標的になるようなもの、という末恐ろしさすら感じる。プラスチックが生きにくい世の中になっている。
別れ際に、プレゼントをあげると言って、オリジナルステッカーと弁当箱をもらった。この間、アパレルショップのおねえにもらったステッカーといい、ベルリンでは己の主張をステッカーで、発信することが1つの表現法になっているらしい。