教科書に載っていない歴史。ディルムン文明の地を訪ねて

教科書に載っていることがすべての事実ではない。バーレーンを訪れるようになってそれを改めて痛感するようになった。

しばしばこの湾岸諸国は、歴史がないと言われる。数年前までは私もそう思っていた。なにせ湾岸諸国の国々の歴史はどこも100年に満たない。UAEやカタールにいたっては、まだ50年も経っていない。

歴史がないと思われていた国だが・・・

現代史だけを見れば確かに歴史は浅い。というか無いに等しい。しかし、古代にまでさかのぼると、ザクザクと歴史が出てくるのがこのアラビア半島なのである。

こんな場所に歴史なんかあるのかねえ・・・という姿勢だったので、バーレーンにはメソポタミア文明と交易をしていた「ディルムン文明」とやらがあると聞いた時には、にわかには信じられなかった。

メソポタミアは知っているが、ディルムンって何!?という状態である。

メソポタミア文明に並ぶディルムン文明とは?

そんな聞きなれない文明なんかあるもんかねえ。だって教科書に載ってないし・・・とさらに疑ってみるものの、バーレーンの国立博物館やバーレーン要塞といった史跡を目の当たりにするたびに、ディルムン文明は確かに存在したのだと思うようになった。


世界遺産にも登録されているバーレーン要塞。ディルムン文明時代の交易跡とされている。


ディルムン文明時代のものと見られるアアリ古墳群。

しかもこのディルムン文明とやら。文明というだけあってかなり洗練されている。ディルムン文明は紀元前3,000~2,500年前には存在していたと言われている。

銅や錫、真珠などがディルムンを通じてメソポタミアへ運ばれ、メソポタミアを物資面から支えたともいわれている。メソポタミアの繁栄はディルムン文明に寄るところも大きいのでは・・・?といった期待感すら与える。

とりわけディルムン文明といえば、やたらと古代ハンコ(印章)が登場する。ディルムンから運び出す物資に印をつけたり、交易の契約書などに使われたらしいが、結構クオリティが高い。動物の絵なんかも書かれたものがあり、絵心もある。

ディルムン文明時代のハンコのデザインは、街でも時々見かける。


陶器になったディルムン文明のハンコデザイン

一方その頃の日本は、縄文時代である。我々の祖先が竪穴住居で暮らし、「今日もいっちょ焼くべか〜」などといって縄文土器なんか焼いている間に、ディルムンの人々はいそいそとメソポタミアと高尚な交易をしていたのである。クリエイティブにとんだハンコまで自作して。

日本は湾岸諸国よりも長い歴史があるぞお、と思っていたが、さすがに文明には勝てない。しかもあのメソポタミアと対等に交易していた文明である。イラクやインドもそうだが、文明が興った国というのは、世界的にはちょっとしたステータスなんじゃないかと私は思う。

実際バーレーンでは、これみよがしに「ディルムン」が使われている。空港のラウンジはディルムンラウンジと呼ばれているし、「ディルムン・レストラン」も国内には存在する。また「ディルムン・カップル」などと題したバーレーン人のブログなど。人々は少なからず文明を誇りを持っているようである。

しかし、そんなすごい文明があるにもかかわらずほとんど知られていないのはなぜだろう。そもそもこの地域での発掘作業が近年になって行われたということも関連しているのかもしれない。

湾岸諸国で次々と発見される”新しい歴史”

UAEでは最近になって青銅器時代の出土品が見つかった。ドバイの首長が自家用ヘリで砂漠を飛んでいたところ、たまたま見つけたという嘘のようなきっかけである。オマーンでも50年ほど前にたまたま訪れたヨーロッパ人が、紀元前の古代交易都市、「スムフラム」を発見したという例もある。

事実、さきほどのアアリ古墳群も1960年代になって発見されたものだという。そのほかにもバーレーンには15万以上の古墳があったといわれているが、ほとんどが知らずにブルドーザーなどで壊されてしまったという。

ディルムン文明は「世間が知らない」文明なので資料も少ない。日本語では、唯一「メソポタミアとインダスのあいだ: 知られざる海洋の古代文明」という本が相当するぐらいである。

しかしこの本を読むと、教え込まされた古代文明論と全然違うじゃん!と思う。しかもディルムンは何気にすごい。

しょせん教科書で学ぶことというのは、事実の一部にすぎない。だからこそ、自分の足で歩き、自分の目でより多くの事実や史実を見つけなければいけないと思う。そして、学ばされる歴史よりも、自分の足で出会う歴史は断然面白い。