事の発端は1年前。イランから「アーシューラー」連休でドバイにやってきた知人と話していたときのこと。
「アーシューラー」は聞いた事があるが、当時その内容はよく知らなかった。知人に聞いたり、その後調べてみると何やらかなり「自虐性」の高い祭りであることが見えてきた。
シーア派の最大宗教行事、「アーシューラー」とは
そもそもアーシューラ―とはなんぞや。アーシューラ―とは、イスラーム暦の最初の月、ムハッラムの10日目にあたる日である。
そして、3代目イマーム、フサインの命日にあたる日でもある。「アーシューラー」は10を意味するアラビア語に由来している。
イラクのカルバラーにて殉教したフサインを悼むのがこの行事の目的である。
この祭りはシーア派特有のものであり、イスラーム教の多数派を占めるスンニ派にはない。逆にいえば、このアーシューラーこそが、シーア派を理解するのに重要な祭りだったりするのだ。
一方で、ネットなんかを見ていると「アーシューラー」を紹介している記事にはたいてい、血まみれになった人々の写真が掲載されている。フセインの死を痛み、己を鎖や刀で痛めつけてフセインの痛みを共に分かち合おうというコンセプトらしい。
なんだ、これは。
その時点で「アーシューラー」だとかいう名前はどうでもよくなっていた。これは「自虐祭り」だ。
人々はなぜ己を傷つけてまでこのフサインとやらを悼むのか。本当にそんなことがあり得るのか。単なる野次馬根性だけで、アーシューラーを見ることを計画した1年前。
そしてそれから1年後。私はバーレーンに向かった。
なぜバーレーン?と思う人もいるかもしれない。けれども、バーレーンはイラン、イラクに続きシーア派が多数派を占める国なのである。
シーア派が多数を占めるバーレーンへ
祭りの本場といえば、フセインが殉教したカルバラーがあるイラク。カルバラーはシーア派の聖地でもある。
しかし、イラクに行くのは金がかかる。イランもそれなりに盛り上がりそうだ。ビザ代もかかるし、有給も長めに取る必要がある。
ということで選ばれたのがドバイから飛行機で1時間ほどでいけるバーレーン。
しかし、ここがいつもイスラーム教の祝日に泣かされるところである。
なにせイスラーム暦は月の満ち欠けによって決まるので、カレンダー上では日にちが決まっていても、前後することがある。1か月前に休暇を申請しなければいけないリーマンにとっては非常にやっかいである。
そしてカレンダーではなく、ニュースサイトをいまかいまかとチェックしておかねばならないのだ。
イスラームの祝日はたいていニュースで発表される。そんなわけでバーレーン渡航が決まったのは1週間前。
文化祭のようなポップな感じかと思いきや・・・
しかし本当にそんな自虐的な光景が街中で繰り広げられるのだろうか、と私はにわかには信じがたかった。
スンニ派が多いUAEではアーシューラーなんて知りませんよ、というような空気。同じイスラーム教なのにこの温度差である。
しかし、その心配は杞憂に終わる。バーレーンの首都、マナーマにつくと何やら黒い服をきた人々がちらほら。アーシューラーの参加者だ。追悼のためみな黒い服を着ているのだ。Tシャツやジーンズといった出で立ちなので、高校の文化祭のようなポップ感がある。
「とりあえず街の中心に行けば場所がわかるよ」というホテルのスタッフの言葉に従って、黒服を着た人にとりあえずついて行ってみる。すると、そこには文化祭のポップ感などまったくない光景が広がっていたのである。
一面黒服の集団
2~3人の黒服グループであれば、文化祭っぽいなと微笑ましく思える。しかし、100人以上の集団がみな黒服だったら、もはや反社会的組織の集まりのごとく異常な光景と化す。
しかも何やら拡声器を使って何やら叫んでいる。ああ、これはあれだ。靖国神社あたりによく出没している人たちだ。
頭から血を流した男たちであふれかえる街
しかし、この黒服集団はベース。さらにその集団に「異常性」をトッピングしていたのが、血まみれの人々である。
1人や2人どころではない。次々と頭から血を流して、体を真っ赤に染めた野郎たちが目に飛び込んでくる。血染め野郎だ。
ひいっ
祭りというよりももはや殺人現場・・・こんな光景にいまだかつて遭遇したことない。辺り一面に血が飛び散っていて、文字通り血なまぐさいのだ。
自ら駆け込んでくる自虐者の手当てをするための救護所。救急車も横で待機。自力で歩けず、男たちに抱えられて運ばれる人もいた
長い刀で頭を切りつけ、血を流す参加者たち
血だらけなのに、「終わったわ〜」という感じで一服し始める野郎や、その辺で血まみれの服から持参した替えの服に着替える野郎など。まるでジム帰りのごとく淡々としていた。
自虐者を手当てする救急隊員。24時間救命センターさながらである
そんな中、男たちは一心に「フサイン!フサイン!」と叫び、右手で胸を叩きながら、街中を練り歩く。
拡声器から聞こえる音楽は、ビジュアルと違い陽気なテンポ。フサインを追悼する詩が書かれた紙をにぎりながらグラサンのおっさんがマイクパフォーマンスで、行列を先導する。
見事なマイクパフォーマンスを披露するおっさん
黒服や血みどろというシリアスさもありながら、どこか祭り的な明るさも漂っている。
この練り歩きに参加しているのは、男たちのみ。女たちは、観客に徹して、その様子を見守っているだけである。
時刻は朝の9時。こんな朝っぱらから一体何をやっているんだ、この人たちは・・・・正直な感想である。しかし、人々は大真面目で「フサイン!フサイン!」と叫び続けている。
一応「祭り」ということで、あたりにはやたらとフサインを偲ぶコーナーやオブジェなどが飾られていた。
本日の主役、フサイン。イランやバーレーンなどシーア派地区では、普段でもフサインのイラストが飾られている。新宿2丁目にいそうな、いかついオネエに見えるのは私だけだろうか
フサインを偲ぶコーナー
フサインアート。もはやシーア派にとってのジャニーズである
抽象すぎてよくわからないオブジェ
フサインの熱狂的ファンと見えるちびっこ。40度近くの暑さだというのに、フル装備のコスプレ魂
血みどろの祭りグッズ・・・
あまりにも狂気じみた光景を前にしたせいか、気づけば私の手足はかすかに震えていた。
血まみれというビジュアルに加えて、この日のバーレーンの気温は40度近く。さらに湿度も異常なほど高い。異常が異常を呼んでいる。そんな状態だった。
子どももガチで祭りに参戦
近くにいた救急隊員のおっちゃんいわく、「今日は暑いから7時から始めたんだよ〜」という。
そんな「午前の部」が終わったのは午後12時。さらに午後3時から「午後の部」もあるのだという。体育祭か。
場所は首都マナーマから車で15分ほどの場所にある、ジドハフスとサナビス地区である。同じ祭りなのに、場所を変えてまだやるかね?
ツッコむ余力はなく、午前の部で消耗した体力を回復させ、午後の部へ向かう。
午後の部は午前の部と打って変わり、血の気はほとんどなかった。しかし、それでも祭りの熱狂は冷めていない。あいからわず黒服の男たちが、そろって胸を叩く。7歳ぐらいの子どもから、おじいちゃんまでみんなガチである。
フサインがカルバラーの戦いで乗っていたという白い馬にちなんで馬まで祭りに駆り出されていた。ラクダバージョンもあった
町内会みたいなものがあるのか、20~30人単位のグループごとで偲び方もさまざま。グループごとにフサインを偲ぶ横断幕やらグッズなどを持って参加。そうした違いを見るのも一興であった。
幸せな男、その名はフサイン
ふと思う。人々が一心に想う男。フサイン。どんな形であれ、これほど人々に悼まれる男がこの世にいるだろうか。自らの体を傷つけてまで、フサインの痛みや悲しみを理解しようとする人々。
フサインに一言言いたい。
こんなに多くの人に想われて、あんたは幸せなヤツだよと。
祭りは静かに幕を閉じた
ビジュアルやコンセプトはかなり衝撃的なものだったが、それでもアーシューラーは祭りだった。
子どもから大人まで地域全体が参加して、作り出す一体感。それは日本の伝統的な祭りにも共通する。
彼らが信じている物語がどうであれ、ひたすら一心に打ち込む人々には胸を打たれた。彼らが胸を打つだけに、である。
たぶん来年もどこかにアーシューラ―を見に行くだろう。
マンガでゆるく読めるイスラーム
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