18世紀の労働者メシ「ウナギのゼリー寄せ」をロンドンで食べてみた

多くの移民が暮らすロンドンでは、インド料理やレバノン料理など国際色豊かなレストランが存在する。

ロンドン中心地には、立派な中華街もあるので、ロンドンを訪れる日本人観光客が、食事に困ることはまずない。

ロンドンの街から消えゆく労働者メシ

ロンドンの食卓が洗練され、華やかになっていく一方で、絶滅の危機に瀕している食べ物がある。

それが、「ウナギのゼリー寄せ」である。

ウナギ味のゼリーではなく、ゆでた実物のウナギとゼリーを合わせた食べ物である。

18世紀の貧しい労働者階級の人々が食べていたという、歴史ある食べ物だ。イギリスでうなぎがとれるというイメージはあまりないが、当時はロンドンのテムズ川で大量のウナギがとれたのだという。

ロンドン渡航前に、イギリスに11年間住んでいた同僚にその味を聞くと、

「はっ?あれは、マジで食べんほうがいいよ・・・」

とのたまうのであった。

食べないほうがいい、といわれる食べ物の存在意義とは一体・・・

このように人々から距離を置かれるようになった結果、「ウナギのゼリー寄せ」を提供する店は、ロンドンでも年々減っている。ロンドンの中心地でも、私が探した限りでは数店舗しかなかった。

ウナギのゼリー寄せを食べに行く

私が今回訪れたのは、ロムフォードという街にある、パイ&マッシュで有名なお店。ロンドン中心地からロムフォードへは、電車で40分ほどかかる。


ロムフォードのショッピングモールに入っていた店。やたらと高齢者が多かった。そして誰もウナギのゼリー寄せを食べていない。

「パイ&マッシュ」という料理も、19世紀より労働者階級の間で、食べられていたもの。現代のパイの中身には、ひき肉が使われているが、かつてはここでもウナギが使われていたのだとか。

せっかくなのでウナギのゼリー寄せに加え、パイ&マッシュも注文。そして注文して出てきたのがこちら。

ウナギのゼリー寄せ
現代によみがえる18世紀の労働者メシ。これがウナギのゼリー寄せだ!

ひえっ?なんか量多くね・・・?

イメージ的には、小鉢に入っているものを想像していたのだが。出てきたのはパスタ用の皿である。この量は、がっつりメインコースじゃないか。

普段我々が食べるウナギは、焼いたものである。一方で、こちらのウナギは体をぶつぎりにされ、茹でた状態でふわふわのゼリーを身にまとっている。

奇跡のコラボはなぜ実現したのか?

そもそもなぜウナギとゼリーなのか。

18世紀のイギリスといえば、まさに産業革命の真っ最中。街の空気は汚染され、ウナギがとれたロンドンのテムズ川も同様であった。

そんな汚染された川で、生き残った数少ない魚がウナギだった。当時、ウナギはわんさかとれ、値段も安かった。貧しい労働者階級にとっては、安く手に入る重要なタンパク源であった。

ウナギをゆでるとタンパク源が逃げてしまうため、それを逃がさないようウナギの煮汁をゼリーにして一緒に食べたのが始まりだという。

ウナギのゼリー寄せが嫌われる理由

しかし、このゼリーこそが、うなぎのゼリー寄せ絶滅の理由になっているのではないかと思う。

そう、この食べ物の元凶は、このゼリーなのだ。

ゼリーには、ウナギエキスが凝縮している。ふだん、イチゴだとかりんごだとかいうポップな味のゼリーに慣れ親しんだ舌にとって、半茹でのウナギの味が染み込んだゼリーは、極道における仁義なき味なのである。

正直、一口で限界である。えずきを堪えるのに必死である。普段は、好き嫌いがなく、世界各国でもいろんな料理を食べてきたという自負がある。

しかし!

こやつは地球上で一番危険な食べ物である。

立て続けにゼリーを食べたら、口からレインボーを振りまいていただろう。

同時に頼んだ「パイ&マッシュ」をインターバルで挟みながら、なんとかレインボーの放出をおさえる。

パイ&マッシュ
パイ&マッシュ。「リカー」と呼ばれるパセリのソースがかかっている。パイの中身は、ひき肉。

肝心のウナギもやっかいだ。茹でたウナギには小骨が結構残っていた。さらに、ウナギのぬるぬるした皮とゼリーが、最強のぬるぬる感を口の中で演出してくれる。

産業革命時代の労働者たちは、これを食ってたんだよなあ・・・どんな思いで食べてたんだろ。

さすがに、ウナギを残すのはウナギに失礼だと思い、ウナギの皮だけ剥ぎ取り、身だけは完食した。

残ったのは、無残なウナギの皮と大量ゼリーである。

なんだか申し訳なくなって、ウナギゼリーが入っている皿の上に、きれいに完食したパイ&マッシュの皿を乗せて、ゼリーを隠した。

あたかも完食しましたよ、という幼稚な隠蔽工作である。

完食することはできなかったが、考えてみれば18世紀の人々が食べていたものを、食べることができるという稀有な体験でもあった。

現代の我々と、産業革命時代の労働者たちを直接的につなぐのが、あの強烈な味なのかもしれない。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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