スウェーデン人の陽キャが私の家にホームステイをしていた時のこと。
「スウェーデン人ってさあ、こうなんだよねえ」
「それって、わしらやないか」
そう。デジャブ。どこかで聞いたことのある国民性。北欧の人々というと、極東の人間とは文化も習慣も違うと思っていたが、意外と日本人と似ているのではないか。そんなことをよく感じた。
というわけで、独断と偏見によるスウェーデン人と日本人が似ているポイントを紹介。
知らない人と話さない
欧米=スモールトーク文化だと思っていた。店員やエレベーターで乗り合わせた人と何気ない会話をする。しかし、スウェーデンはそうでもないらしい。基本的に、知らない人とは道端であまり話さないとのこと。スウェーデンに住むアメリカ人も証言をしていたが、店員にスモールトークをけしかけたところ、相手はビビり、「あうあう」と挙動不審になってしまったという。
東南アジアを半年に渡り旅をしたスウェーデン人のエリクソン氏は、人々のオープンさに感動していた。
「スウェーデンではさ、本当知らない人と話さないんだよ。俺はスウェーデンのそういうところが嫌いだし、帰国したらそういうのを変えていきたいと思う」
スウェーデンの国民性を一個人がどうやって変革していくのかは謎だが、筋金入りの陽キャであるエリクソン氏には耐え難いものがあるのだろう。何せ路上に飛び出せば、ブルドーザーのごとく、そこかしこにいる人間に話しかけているやつである。
表面的には親切
日本を訪れた海外観光客がよく口にするのが、「日本人は親切だ」である。しかし、それが真正の親切の場合もあるし、フェイク親切であることも、我々は海外の人に伝えねばならない。
何せ、我々は島国の人間。周りの挙動をチェックしながら、波風立てずに生きるのが、ベストプラクティスだからである。というわけで、心の中では「クソが」と思っても、「あ、大丈夫ですよー」なんて言ったりする。
エリクソン氏もまさしく同じようなことを言っていた。
「人とぶつかりそうになった時ってあるだろ。スウェーデン人は、表面的には大丈夫ですよーっていうけど、心の中では毒づいていることもあるんだぜ」
わしらやないか。
仲良くなるには酒
手厚い社会保障により、スウェーデンの人々はさぞかしハッピーライフを送っているのかと思いきや、話を聞くとそうでもなさそうだ。とにかく冬が長く、日も当たらないので、1年の大半が暗そうな暮らしである。
そんな時は何をやっているのか?と聞くと、ひたすら酒を飲んでいるのだという。
ハッピー北欧というより、ロシアのような暗澹たる暮らしぶりである。
パリピなエリクソン氏の自宅の庭には、なんと自作のバーがあるのだという。そして、冬のクソ寒い時期でも、ヒーターに当たりながら野外で酒を飲むという、酒への強い執念を見せる。
スウェーデン人に住む外国人たちにインタビューをしている動画では、スウェーデン人と仲良くなるには?と聞かれたところ、「とりあえず酒を飲んで酔えばいい」という、答えが結構多かった。
日本人は酒を飲むと、人が変わると海外の人は言う。そう、我々も通常は建前で武装しているが、酒を飲めば一気に武装解除。酒によって、ようやくアメリカ人のような気さくピーポーになるのである。
スウェーデン人は、ココナッツのようだという人もいる。要は、仲良くなるのに時間がかかる&難しい、という意味である。日本に住んでいる外国人からも同じようなことを言われたことがある。
そう、我々はどうやらココナッツらしい。そして、そのココナッツの皮を容易に破るアイテムが、酒という点でも一致している。
スウェーデン人と日本人の圧倒的な違い
ここまで読むと、スウェーデン人も日本人も似たもの同士じゃん?と思うだろう。しかし、油断してはいけない。我々が圧倒的に違うのは、男女平等という概念である。
男女格差が著しく激しい日本と、男女平等が当たり前であるスウェーデン。そこには100年経っても埋められない溝がある。
男女が平等な社会とは何なのか。
軽くジャブ程度で言うと、男女に関わらず各々が経済的に独立している状態。よって経済的な理由で結婚をしたり、また専業主婦やヒモは圧倒的な淘汰の対象となる。
意外なところで言うと、欧米=レディーファーストというイメージがあるが、スウェーデンではそれが適用されない。なぜなら男女平等だからである。
記念日に女性がプレゼントを買ってもらう(女性も経済的に自立しているのだから自分で買いなよ、という解釈らしい)だとか、女性が重い荷物を持っていても、最後まで自分で運び切るだとか(男性が手伝うと、あたいをそんな弱い人間だと思っているワケ!?と思われることがあるらしい)。
要は、男性が女性を喜ばせるといった行動は、男女平等にそぐわないということらしい。今だ女性に可愛さや幼さが好まれ、男性は常に”家”のトップとしての責任やプレッシャーにさらされている日本とは対照的である。
何事においても差異の方が強調されがちだが、実はスウェーデン人と日本人には、似たような共通点があるということで、なんだか親近感を抱いてしまった。