愛してやまない人たちがいる。それは恋愛というよりも、アイドルを応援するようなファンのような気持ちとよく似ている。
そう彼らは世間では、「ユダヤ教の超正統派」と呼ばれている人々だ。学生時代に訪れたイスラエル。
夏のうだるような暑さにもかかわらず、男性は黒いスーツをフル装備している。ははあ、ここにも日本のサラリーマンと同じように暑いのに我慢している人たちもいるんだ、というなんだか「おつかれさまです」と声をかけたくなりそうな瞬間から、彼らにキュンときてしまった。
超正統派のおっかけ、始めました
それ以来、私にとって「超正統派」というのはAKBのようなアイドルグループのような存在であり、追っかけの対象となった(当時はまだAKBなんて存在していなかったが)。どこまでおっかけていったか?
地元のイスラエル人ですら、「ここは危険だから気をつけた方がいい」などと忠告をしてくるにもかかわらず、超正統派の町をブラブラと何時間もかけて探索したり、彼らのお祭りパーティーに一人紛れてシナゴーグに潜入したり。
また国を超えて、ニューヨークのブルックリンにある、超正統派ユダヤ人街までいったことがある。AKBが東南アジアで勢力を広げているように、超正統派ユダヤ人コミュニティの展開もグローバルなのである。
彼らは私にとってのアイドルなので、彼らが多く生息するイスラエルに行くとウヒョーと心の中で小躍りしながら、彼らの写真を所構わずシャッターにおさめるのである。
超正統派の男性の制服は日本のリーマンスタイルに黒帽子をかぶせたもの
しかし「超正統派」をアイドルグループと見なしているのは、世界中私ぐらいなもんで、彼らは非公式アイドルグループなのである。
といってもアイドルさながらのライブイベントといえるものがないわけではなく、彼らは彼らなりに信仰心を持っているのでその信仰を広めようと単独街頭ライブを行ったり、時には複数人で音楽にあわせて街頭ダンスを行ったりしている。
これがまあなんともうまい具合に信仰とエンターテイメントが組み合わさった信仰エンタメになっている。
単独街頭ライブ中
アイドルグッズみたいなものといえば、最近巷で流行り出した超正統派専用の雨具だろうか。5年前に訪れた時は、傘をさすという文化がないのか雨の日は黒帽子に、シャワーキャップのようなものをかぶせて濡れながら歩くのが彼らのスタイルだった。
しかし、ささやかな文明開化が起こり彼らの町にも帽子をかぶったままでも装着できる黒い雨合羽、黒い傘などが多くの店で売られていた。シャワーキャップにキュンとしていた私としては、文明開化が連れ去った面影を見れなくなるのが悲しい。
超正統派専用の雨合羽
最近は自転車という文明も普及しておりママチャリに乗る超正統派もいる
さて、なぜ私が「超正統派」にゾッコンなのかというと彼らのびっくり仰天な生活形態にある。イスラエルのエルサレムに位置する超正統派のメッカの1つ、「メア・シェアリーム」を訪れた旅人たちは一様にまるで19世紀にタイムスリップしたようだ、という。
メア・シェアリームの交差点
その通りで、ハイテク国家イスラエルの一角には、19世紀のままの生活を送っている人がいる。ドラえもんなくして自力でタイムスリップできるのだから、ドラえもんもさぞかし驚くことだろう。なんだあ、タイムマシーンいらねえじゃん、って。
一生働かなくても生きていける人々
超正統派の驚くべき一面が、働かずして生きている人々の多さである。彼らにとっては信仰を極めることが「仕事」なのである。
であるから会社に行って労働をするといった仕事をしない。一家の大黒柱は、信仰を極めるための寺子屋のような学び場で朝から晩まで暮らすのである。まるで生涯学生のような暮らしだ。
では一体どうやって生活に必要なお金を得ているのかというと、政府からの援助金がメインだ。中には妻が働きに出て、夫は学生生活に勤しむという形態もあるらしい。
といっても皆が働かないわけではなく、一部では様々な仕事に携わっている人もいる。
仕事といってもパソコンをカチャカチャやるようなハイテクなものではなく、地域の店のオーナーだったり、屠殺業(ユダヤ教の戒律、コーシェルにならった屠殺を行う)といった地域密着型の仕事が大半である。が、数字で見ると2014年時点で超正統派の男性の就労率は50%以下、一方で女性は約70%とヒモ男子がいかに多いかということを示している。
しかも超正統派の家庭は平均で6人もの子どもがいるという統計も出ている。6人も生んで育てる超正統派ママのパワーも驚きだが、ヒモ男子のもと6人も育てようという心意気が尋常ではない。お金がないから結婚できない、お金がないから子どもが産めないという理論を彼らの存在が真っ向に否定する。
ヒモ男子は積極的に主夫業を務める
子どもの学校の送り迎えもヒモ男子が活躍中
超正統派たちの家は決して裕福ではない
といっても彼らは政府の援助金で好き放題やっているわけではない。ヒモ男子が多い、子だくさんに加え、援助金も一家を養うには少なすぎる。
というわけで彼らはボンビーアイドルのようなもんである。貧乏でも信仰を譲らない(そもそも自分たちが貧乏だという概念があるのかが疑わしい)。それこそが、夢に向かって頑張る本物のボンビーアイドルと重なる部分がある、と私は見ている。
ネット、TVは排除せよ
19世紀の暮らしを守り続けるため(正確には信仰心ゆえなのだが)彼らは現代に対して必死の抵抗をしている。その1つが、インターネットをしない、TVを見ないといったものだ。テレビを見て、ネットサーフィンでもすれば様々な価値観の洪水に引き込まれる。
しかし超正統派はそれを許さない。一度外の世界を知ってしまったら、そちらの誘惑に負けてしまうこと間違いなしだからである。超正統派といえどもやはり少数派。超正統派の暮らしを捨てて、世俗化してしまう若者が出るのを恐れているのだ。
実際に21世紀にもなって19世紀みたいな生活は嫌だ!といって家族、コミュニティ、信仰を捨てて1人世俗的な生活を送る若者にも出会ったことがある。
また町を歩いていても、未だに電話ボックスで話す人がいたり、携帯を持っていてもネットに閲覧制限がかかっている、もしくはネットの使用ができないようになっているケースがある。
未だ公衆電話は健在
そう彼らの生きる世界には、スティーブ・ジョブスもマーク・ザッカーバーグも存在しないのだ。それ故ここには、スマホ中毒や子どもがテレビゲームばっかやって・・・なんて悩みとは無縁なのだ。
貧乏、ネット娯楽なしとくると彼らは一体どのように時間を過ごしているのだろうか。その答えが町中に行くと分かる。平日の真昼間だというのに、男女がわんさか道を歩いている。
彼らの町にはカフェというものはないので、大概の人が亡霊のように子連れであてもなく町中をさまよったり、知人に合えば道端でおしゃべりといった光景が繰り広げられている。
ちなみに貧乏のためか、大概のヒモ男子はカバンというものを持たず、大半の人がビニール袋をさげている。買い物をしたビニール袋ではなく、意図的にものをビニール袋にいれて運んでいるのだ。こうしたささやかなことも、なんだか応援したくなるアイドルの所以である。
服はキメててもビニール袋
おじいちゃんもビニール袋
ヤングもビニール袋
子どももビニール袋
1時間でスピード婚
超正統派内では、結婚前の性交渉や恋愛というものは許されない。であるから、いかにしてパートナーを見つけるかというと、これは日本のお見合いと似ていて、近所の世話やきばあさんが「こんな人はどうかね?」と大まかなプロフィールとともに相手になりそうな候補者を何人か紹介してくれる。
事前に何をしている人物なのかといった情報は世話やきばあさんが教えてくれ、そこから気になる人と会い、両者が気に入れば即OK、結婚へという話になる。1時間という1度の会合で即決する場合もあれば、2、3回と回を重ねるケースもあるという。
自由恋愛がないなんて息苦しいと思うかもしれないが、自由恋愛があるにもかかわらず最終的には世話焼きばあさんという名の婚活サイト頼みになる日本人を見ていると、超正統派のプロセスはとてもシンプルである。
しかしここで下衆の極みな質問が頭をよぎる。
はて、ネットもテレビもなく、結婚まで性交渉をしたことがない男子くんは、いかにしてそのプロセスを体得するのかである。
ネットやテレビがないということは、言論統制だ!というよりも思春期の青年たちは性欲処理に困るのではないかなどと下衆な考えをしてしまう。いや、彼らは信仰心高きアイドルなのだから、そんなことは決して考えないだろう、と思いたい。
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実際は、結婚が決まるとそのプロセスを伝授してくれる講習会なるものがあるらしい。懇切丁寧にそんなことまで教えてくれるプロセスがあるとは。
さすがに婚活サイトもここまではやらないだろう。しかし考えてみると、結婚に至らない人はそのプロセスを一生知らずに生きていくのだろうか、と思うとちょっと気の毒な気がした。
お触り禁止令
ユダヤ人の規律としては、様々な場所で語られているのであえてここでは語らない。が、意外と知られていないんじゃないかと思うものの中に、女性が生理の間はお触り禁止というものだ。どういうことか。
生理中、女性はけがれているとみなされ、夫婦であってもお互いに触れ合うことが禁じられている。しかも生理が終わって1週間ほどは清めの儀式なるものがあり、その期間もお触り禁止である。
つまり夫婦でお触りできるのは、1ヶ月に2週間ほどになる。おお、神よ。なんという過酷な試練を捧げるのデスか。
と思っていたら、逆にその方が逆にお互いに触れたいという気持ちをより強くさせるのよ、とある超正統派の女性は言う。確かに。禁じられると逆にそれが欲しくなる、むしろその方が夫婦生活がよくなったりするんじゃないだろうか、と独身女は推察する。
超正統派のファンはつらいよ
アイドルといえば、ファンが来てくれれば笑顔で出迎えてくれるものである。しかし、ファンをやっていてつらいのが超正統派の塩対応である。大人はまだしも、子どもたちはまるで宇宙人を見るかのように、ニコリともせず凝視をしてくるのである。笑わない子どもほど末恐ろしいものはない。
大人については、一体どこに旅人をこんな塩対応で迎える場所があるだろうか、と自分が場違いな場所にいると思わされるぐらいだ。アイドルとはいえ、自分たちのコミュニティ以外の人間には非常に暴力的になる、という話もよくきく。たまに激おこプンプンになるアイドルなのだ。
そんな身近に会えるけど、近寄りがたいアイドルたちに対してなんとなく私は距離を取っていた。本音はもっと近づきたい!のだが、なんとなく話しかけたり近寄りがたいオーラを発しているのである。
過去に何度も彼らの聖地を徘徊したが、幸いにも現地のイスラエル人たちの噂に反して、唯一の辛さは塩対応だけで、特に何か言われたり石を投げられたりするということはなかった。
しかも、たまに歩いていて「どこから来たの?」とヒモ男子から話しかけられたりすると、彼らにも異教徒に対する興味があるのか!と天にも昇るような嬉しさである。塩対応に耐えたかいがある。これだから超正統派のファンはやめられない。
自ら笑顔で写真を撮ってくれ!という珍しい子どもに遭遇
しかし彼らと話すとすぐに彼らがいかに限定されたコミュニティで生活しているかが分かる。街中の写真を撮っていると女の子2人がヘブライ語で話しかけてきた。「どうして写真を撮っているの?」こんな質問は初めてである。
あからさまに旅行者がカメラを持って写真を撮っていれば、旅行者だと誰しもが思うにもかかわらず、彼女たちにはそのような図式がなかったのである。
無理もない。現地の世俗派のイスラエル人はおろか、旅行者などは滅多にこない場所(撮影していたのは旅行者が比較的多いメア・シェアリームとは別の場所)である。「もしかして旅行者ですか」と言われた時には、ほっと胸をなでおろした。
なぜ超正統派に惹かれるのか
つまるところ、そのユニーク性にあると思う。もちろんイスラエル内で世俗派たちからよく思われていないことも知っているし、彼らも信仰心が故に過激になってしまうという事実も承知だ。別にファンだからといって彼らのやることをすべて肯定しているわけではない。
あくまで自分の想像をはるかに超えたところで、生活している彼らに興味を惹かれてしょうがないのだ。現代の生活を否定して古き生活に固執するのは、彼らだけではない。
が、なんといってもトレードマークである、黒装束も魅力だ。リーマンのような格好をしているけども、内実はリーマンのようにあくせく働いているわけではない。
いや、世俗の「仕事」を否定してまで、信仰を極めようとする姿は会社に献身する日本のリーマンとどこか通じるものがある。そんな何かに向かってひたむきに自分たちを貫き通す、そんな強い意志に魅せられているのかもしれない。