厳格なユダヤ教の生活から逃げてイスラエルにやってきたユダヤ人

エルサレムにいるガチガチの正統派の人々を眺めていると、ふとある疑問がわいてくる。こんなに毎日毎日聖書ばかりの勉強をして、恋愛も自由にできない、ネットもテレビも自由に使えず外界から閉ざされて嫌にならないのだろうか、ということである。

ひょっとしたらこんな世界が嫌になって飛び出した人もいるのではないかということをイスラエル人の友人に聞くと、

「そんな人はザラにいるよ。正統派コミュニティから抜け出すのを手伝う組織もあるんだ」

という話を聞いた。しかしこの“コミュニティを抜ける”、“宗教的な生活から抜ける”というのは私が思うほどに簡単なものではないらしい。

宗教からの脱退は、つまり宗教的な生活を捨て、世俗的な生活をするということは、家族や親戚との縁を断つということなのだ。特に保守的なユダヤ教の人々は、ユダヤ教の生活を捨てるということはとても罪深い行為だと考えられているため、家族からでさえも軽蔑的な批判を受けざる負えないというのだ。

そんな中、私は“元正統派”だった人に会うことができた。それが、ルームメイトの彼氏、ゾハルである。二人とも今では、本人たちいわくそれほど宗教色の強くない生活を送っている(私から見ればかなり宗教にのっとった生活をしているように見える)ものの、かつては二人とも宗教的な家庭で育ち、宗教的な“習慣”を実践している二人だ。

ゾハルはニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、彼の話によると彼の家はもともとはそれほど厳格に宗教戒律をまもる“正統派”ではなかったのだ。

しかしあることがきっかけで、“正統派”になった。彼の説明によると宗教に全くかかわりのなかった人が宗教を始めるときには過激な方向に走りやすいという。まさに彼の説明通り、まったく世俗派であった彼の家族は、過激な“正統派”になってしまったのである。

彼もそうした家族の下で育ち、宗教学校へ通い厳格にユダヤ教の教えに従っていた。しかし、彼が13歳の時、彼はその生活を捨てたのだ。何もかもそうした厳しいユダヤ教の生活が嫌になり、家族の下を離れ一人でイスラエルへ渡ってきたのだ。

この話を聞いたとき、あまりにも劇的な話でにわかには信じられなかったが・・・・こんな話が掘り起こせばザラにあるイスラエル。本当に“アンビリバボー”な国だ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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