みなさんにとって、もっとも恐怖を感じるものは何だろうか。
ある人は、死ぬことや病気と答えるかもしれない。しかし、ある日を境に、私の生存を脅かす身近な恐怖ランキング上位にランクインするようになったのが、パリピである。パリピというのは、パーティー・ピーポーの略称であり、意味は各々の想像にお任せする。
あの日を振り返る
生存を脅かす恐怖ランキングを塗り替えたあの日。何が起こったのか。冷静かつ客観的な分析を交えて、パリピの脅威を知った日を振り返ることとしよう。
その日は、何の変哲もない日になるはずだった。ただ、唯一違うといえば、ドバイからベイルートへのフライトに乗ることだった。今思えばあのフライトこそが間違いだったのだと思う。
なぜベイルートなんかに向かってしまったのだろう。あの時の自分の判断を悔やんでも悔やみきれない。
乗客の8割がおしゃれさんという異常な光景
空港から飛行機への移動バスへ乗る時点で、ある違和感に気付いた。どうも乗客たちの様相がおかしいのである。乗り込んでくる乗客は、みな20~30代と若めなのである。そこまではよいとしよう。
けれども、彼らが一様にパリのシャンゼリゼ通りを歩いているような、何げないオシャレをかました連中だったらどうだろう。何げないオシャレというのは、がっつりおしゃれに決め込んでますよ〜とかいうのではなくて、「フランス人は10着しか服をもたねえ!」とかいうポリシーを掲げ、ファッションにお金かけてませんよと見せかけて、体現されるさりげないおしゃれのことである。
モデルたちの団体旅行なのか?と目を疑いたくなるほど、スマートおしゃれを決め込んだ若者が乗り込んでくる。そのまま澄まし顔を決めて、だんまりをきめこんでいたらよかったのだが、バスの中はまるでクラブのごとく賑やかになる。
モデルじゃない。これはパリピだ。
この時点で、ベイルートというのはパリピの聖地なのかもしれない、と私は思い始めた。そうでなければ、パリピによるパリピのためのパリピイベントでも開かれるにちがいない。
一部の人間だけを切り取って誇大表現しているだけじゃないの?と思われるかもしれない。けれども、信じがたいことにバスに乗っている45人ほどの人間の8割がそうしたパリピなのである。
妄言ではない。私は確かにこの目で見たのである。あまりにも奇妙な光景だったので、きっと人には信じてもらえないだろう。奇妙な体験というのは、いつもそうなのだ。
パリピとスイミー
いくらなんでも乗客全員がパリピということはないだろう・・・と思い直し、機内の席から乗り込んでくる客たちの様子を伺う。
しかし、観察すれども乗り込んでくるのは、パリピのご一行様だった。パリピ同士で面識があるようには思えない。つまりそれは、パリピの団体客ではなく、完全に独立したいくつかのパリピグループが偶然にも居合わせた奇跡を意味していた。
少数のパリピならまだ怖くもないが、集団のパリピは台風のような勢力を秘めている。その時、私は「スイミー」という絵本を思い出した。
かくして、乗客の8割がパリピという、まったくの多様性に欠ける乗客たちとともに、ベイルートへ飛びたったのである。ああ、もうこれはフライドバイ航空350便とかじゃなくて、「パリピ号」だ。
ここから恐怖のパリピ劇場が開幕する。パリピ、パリピと一様にくくるのはよろしくないだろう。パリピにもいろんなタイプがいるようで、比較的おとなしめのパリピから、騒がしいパリピがいたことは認めよう。
そう、テロよりも怖いのはパリピだ
騒がしいパリピは、終始ずっとしゃべり続けていたのである。大声で。席はずいぶんと離れているのに、眠ることができない。安眠妨害だ。いくら周りが注意しても、パリピの勢力は衰えることはない。まるで台風のようである。
パリピたちはどこでも、今を楽しむということを心得ているようで、機内販売でチップスとビールを頼み、「うぇ〜い」と乾杯。もはやあそこだけは、六本木のバーが出現しているような異空間だった。
アルコールがパリピの勢力を一層加速させてしまったようで、最後までその威力が衰えることはなかった。
陸上であればパリピから逃れることはできる。けれども、この飛行機という空中において、パリピから逃れる手段などないのだ。パリピから逃れる手はない。ただその一点の絶望が、パリピ=怖いというイメージを私の中で決定づけるものとなった。
4時間フライト。パリピたちは最後までパリピであり続けた。パリピの底力を見せつけられるとともに、その日からパリピは私の生存を脅かす絶対的な脅威として君臨したのである。
怖いのはテロじゃない。パリピだ。これからは徹底的にパリピを避けて生きていくことにしよう。そう心に深く刻んで、パリピの聖地、ベイルートの土を踏んだ。
もっとレバノンを知るなら
今やレバノンと言えばカルロス・ゴーンで有名になったが、他にも日本で生活するレバノン人はいる。そのうちの1人が、能楽師の妻となったレバノン人女性だ。この女性の姉も、日本人男性と結婚して、日本で生活しているというのだから驚きである。そんな能楽師という伝統的な業界、そして日本での生活についてレバノン人目線で語る。