韓国釜山で見た「反日博物館」の実態

釜山上陸後にまず向かったのが、「日帝強制動員歴史館」である。通称、反日博物館とも呼ばれている。

我ながら何でこんな場所にいくんだろうと思いつつ、やはりこの辺は真っ先に払拭しておきたい場所である。

2015年にオープンしたという博物館は、スタイリッシュな出で立ちな上に、7階まである。博物館にしては、メガトン級の大きさである。そんなにも、反日な感情が詰め込まれているのだろうか。少々ビビリながらも中へ入る。こちらがガイジーンだとわかると、受付の青年は英語で丁寧に説明してくれた。

韓国釜山_日帝強制動員歴史館
日帝強制動員歴史館の外観。急な坂を登った丘の上にあり、歩いていくとかなりハード

博物館内では、日本は日本ではなく、「日帝」というあだ名で呼ばれていた。日本語での説明書きもあるが、説明というよりも説教口調なのが気になるところである。例えば、原爆に関してはこんな具合である。

日本は、2都市の惨状を大々的に宣伝して反戦平和を訴えている。日本は反戦平和を叫ぶに先立って、戦争加害に対する痛切な反省とともに、それに対する責任を全うする姿を見せなければならない。

ひえっ。

説教されとる・・・

そして慰安婦コーナーに関しては、このように説明している。

「慰安婦」という用語は、問題の本質に即さないものであるが、当時の日本軍が公式に使用したので歴史的な用語として定着した。英語では本質的な意味を反映して日本軍の「性奴隷」(Sex Slaves)という用語を使用する。

説明書きなのに、やたらと圧を感じるのは私だけだろうか。

旧日本軍のコンドーム_突撃一番旧日本軍が使っていたというコンドーム「突撃一番」


別の階では慰安所を再現したコーナーがあった。慰安所規定の下には、女性たちの名前札がかけられている。

メインの階では展示や説明が中心だが、上の階はビジュアルがメインらしく、当時の様子を再現した模型や絵が展示されている。

博物館自体は、イスラエルのホロコースト博物館にインスピレーションを受けたようで、戦時中に亡くなった人々の写真を一面に展示するというような同様の展示が見られた。

しかしどういうわけだろう。訪れたのは休日である。ほとんど人の姿はなく、忌まわしき日帝の歴史を詰め込むはずだった広いスペースもどこか、手持ち無沙汰そうであった。釜山にはあまり人がいないのかと思いきや、後で訪れた国際市場は、ジモティーや観光客でにぎわっていた。


展示が充実している部分はあるものの、人の少なさと場所の余白スペースが気になる

メディアで騒がれているほど、人々は反日だの日帝だのに興味がないのかもしれない。市場を行き交う人々は、今を生きている。美味しい食べ物を頬張り、ショッピング。それでいいじゃないか。

博物館の隅の方では、日帝時代に朝鮮人を強制労働させて利益を得た企業が、まだのさばっているのじゃ!という趣旨で、よく知る企業たちが名指しで吊し上げられていた。この辺になると歴史というより、いちゃもんのような気もしてくる。その横には、鳩山由紀夫元首相による、謝罪文が展示されていた。

博物館の終わりの方にあった、ちびっこたちの感想コーナー

博物館なので、感情的にならずもう少し冷静に史実を伝えて欲しかったのだが・・・というのが正直な感想である。しかし、それこそが反日博物館と呼ばれる所以なのかもしれない。

しかし、歴史というのは一方の視点では完結しない。双方、または第3者の視点も交えなければ、真実には近づけない。

私が知るのは、日本からみた1つの歴史である。原爆や第2次世界大戦という同じ出来事を、他者の目線で見ることは非常に興味深くもあった。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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