ベルリンに移住して約2年になる。当初は、先進国ドイツの首都にやってきたと思っていたが、今では「ドイツ人は真面目」だとか、「ドイツは先進国」と言うイメージはもはや崩れ去っている。
ベルリンとは一体何なのか。独断と偏見でこれまでのベルリンの印象を語ってみたい。
変な人類に溢れている
ベルリンってどんな街?と聞かれれば、百聞は一見にしかず。とりあえず次のような写真で、雰囲気は掴んでいただけるだろう。

とりあえず爆音に集まるという習性を持つベルリン人民。クラブカルチャーが盛んなためDJ人口が多く、その辺の公園や路上でよくプレイしている。

自分を表現する人。レインボーフラッグがそこかしこにあるベルリンでは温かく見守られる

自作の啓発ボードで湖の白鳥を守れ!と動物保護を訴える人

大麻フェアでくつろいでいる人。ベルリンでは条件付きで個人の使用・所有が2024年より合法となっている。

地下鉄でカラオケパーティーを始める人。迷惑系ではなく人気者。

深夜に電車でエロティックな缶バッジを押し売りしてくる人

自分を見失っている人。見失っている人は大体スーパーのエコバッグを持っている

コンセプトがよくわからない集団。骨を持つ人類など原始人以来だろう。

ヒッピーな飼い主に魔改造されたワンコ
決して特異な人々だけをチョイスしているのではない。こういう人々に遭遇する時、「ベルリンだな〜」と感じるのである。それぐらい、こうした人々は日常に溶け込んでいる。
稼いでいるやつより夢を語るやつの方が評価される
社会的な価値観というのは明文化しにくいものが多い。けれども、私がこれまで過ごしてきた場所は、収入や社会的地位の高さが評価される社会だった。いわゆる資本主義的な場所だ。
こんなことを考えるようになったのは、ベルリンに来てからである。
ベルリンではバリバリ仕事で稼ぐ人よりも、夢を持って自分のプロジェクトを追いかけている人の方が魅力的とされる空気がある。
日本では社会人になってもフラフラしていると、「ニート」や「フリーター」というネガティブな称号と共に冷ややかな視線を浴びさせられる。しかし、ここベルリンでは誰も気にしない。むしろ、いくら稼いでいても「自分の夢のプロジェクト」を持っていないと、「つまらない人間」に降格してしまうのである。
昔出会った日本人男性に、なぜベルリンに来たのか尋ねたことがある。
「こんなダメな自分でも受け入れてくれるんですよね、ここは」
彼の年齢は30代手前でそれまで決まった職にはついていなかったという。そんな彼にとって日本は居心地が悪いらしく、流れついたのがベルリンだったという。
ファイナンシャルタイムスの特派員も、ベルリンは「何をしているのかは分からないが、常に人生を謳歌しているように見えるクリエイティブな人々で溢れている」と表現している。
ベルリンにはアートや音楽、思想活動などまだメジャーではないけれども、己の表現を追求する人々が多くいる。彼らの多くは、それほど稼いでいるわけではないけど、夢を持っている。
稼いでなんぼである資本主義社会であれば、居場所を失いそうな野心と夢をもつ人々のための安全地帯。それがベルリンである。
スーツを着た人がいない
都市=高層ビル=スーツを着た人、といったイメージがあるが、ここベルリンではその公式が成り立たない。そもそも高層ビル群が少なく、たとえあったとしても「アマゾンタワー」などと、巨大企業による環境破壊、家賃高騰などへの皮肉を込めてそう呼ばれる始末である。
ベルリンはスタートアップ企業が多いが、伝統的な企業が少ないからか、スーツを着た人を見ることが滅多にない。スーツを着ている人がいなさすぎて、この街の人は本当に出勤しているのだろうか?とすら思う。出勤時間に電車に乗っても、週末の普段着を着ている人ばかりだからである。
初めこそ着飾らないドイツの文化と思ったが、ケルンや金融都市フランクフルトなど他の都市には、スーツリーマンがいるではないか。スーツ姿が懐かしすぎて、わざわざ写真を撮ってしまったほどだ。

資本主義の香りがするスーツと革靴に感動
ベルリンで珍しくパリッとした襟付きのシャツ(ベルリンでは襟付きを着ている人も少ない)にネクタイをつけている人がいる!と思ったが、よく見たらモルモン教の布教活動中の人だった・・・ということもある。
とりあえず大きいものにはあらがう
日本では左から右へ受け流されることも、ベルリン人民にとっては気に食わないようで、人々はやたらとあらがっている。抵抗の対象は様々で政治はもちろんのこと、アマゾンやグーグルなどの巨大企業、そして資本主義といった思想、など多岐に渡っている。
というわけで、毎週末のように街のどこかでデモが繰り広げられ、己の主張を載せたステッカーや、謎の活動を喧伝する手作りのチラシが街のあちこちに貼られている。日本の街が新商品やコンプレックスを刺激する宣伝文句に溢れているのに対し、ベルリンの街は常に政治的な言葉で溢れている。
中でも多いのが、ナチスやファシズムに関するもの。第2次世界大戦のことなど、日本ではもはや教科書で軽く触れるぐらいだが、ベルリンにいると、毎週のように目にする。

ナチス、ドイツ右翼政党AfDに反対するステッカー

DJイベントで掲げられた「Spotify、クソ喰らえ」というスローガン。ベルリンではインディペンデント系のアーティストが多く、こうした大企業への音楽文化の搾取に怒りを抱いている。

共産主義組織によるデモ。反資本主義、反戦を訴えている
ベルリンはナチス時代、そして東西分裂という稀有な歴史を経た場所でもある。よって、あの負の時代に戻らないため、人々は今も反ナチスを掲げ、巨大な権力に巻かれないようにしている。
気高いホームレスたち
ベルリンは巨大なものには厳しいが、弱者には優しい。その一例が、道端に捨てられた空き瓶である。
他の都市のドイツ人からすれば、ゴミにしか見えないだろうが、ベルリンではゴミではない。「寄付」なのだ。空き瓶を回収すればお金になる。よって、ホームレスや低所得者の人々のために、道端に放置しているのである。

放置された空き瓶。こうしたゴミ箱に空き瓶がないかチェックしている人を頻繁に見かける。
またベルリンでは、稼いでいる=偉いという思想はないため、低所得者やホームレスたちも卑屈になりにくい土壌がある。むしろ何にも縛られないことを誇りに思い、人生をエンジョイしている気配すらある。

イースター仕様になっているホームレスの住処。優雅さを感じるのは私だけだろうか。
もちろん人によって状況は様々だろうが、「ここに座っているといろんな人が話しかけてくれるんだ。差し入れももらってさあ」という繁華街に座っていたホームレス男性や、本を読む若きインテリホームレスを見た時は、面を喰らった。本当のホームレスなのか、趣味でやっているのか。こちらが混乱してしまう状態。
大人のための快楽の楽園
ベルリンはクラブカルチャーが盛んな街としても知られる。よって、クラブはクラシックコンサートと同様の文化性の高いエンタメ施設としての位置を獲得しており、政府からの助成金も受け取ることができる。
驚くべきは、通常クラブは週末にしか空いていないが、ここでは平日に開いていたり、金曜の夜から月曜の朝までノンストップで営業しているクラブが珍しくないということだ。

世界一入るのが難しいとされるクラブ、「ベルグハイン」。イーロン・マスクが入場を断られたことでも知られる。日曜の朝9時だというのに、多くの人が並んでいる。
平日に仕事をしていれば、月曜や水曜にクラブに行くことはないだろう。しかし、先述の通り、ベルリンにはフリースタイルな人々が多いので、ど平日でもそこそこ集客できてしまうのである。クラブに行くのは何も若者だけではない。子育て世代もいれば常連と思われる60代以上の人もいる。ベルリンでは誰が何をしようと誰も気にしない。
昼間にクラブに行くと、大勢のヒッピーもどきたちが屋外スペースで酒を飲みながら、何をするでもなく空を仰いでいた。あの衝撃は忘れない。快楽と退廃。すでに他の都市では消滅したであろう光景、それもまたベルリンの一部である。

ベルリンの街中に突如出現するヒッピーハウス
ベルリンはドイツではない?
ベルリン以外に住むドイツ人に会うと、大体こう言われる。「ベルリンはドイツらしくない」。
ドイツ人がそれを言ったらおしまいでは・・・?
何せ首都が国を代表していないのだから。とはいえ、私もベルリンの外へ出て初めて「ドイツらしくないベルリン」の意味が理解できた。
「こ、これがイメージしてたドイツだよ!」

イメージしていたドイツ
初めてベルリン以外のドイツの都市に行った時、こう心の中で叫んだ。ゴミが路上にない。スーツを着た人が歩いている。自分を見失っている人がいない。レインボーフラッグがない。人々がにこやかだ(ベルリンではつっけんどんな態度がデフォルトとして蔓延している)。
私がいた場所は、ドイツでありながらドイツではなかったのだ。
ベルリンの街は、人臭い。壁を覆うグラフィティ。電柱に貼られた「家を探してます」という張り紙。古着に身を包む人々。DIY感漂うカフェ。未だそこにはヒッピーたちが生きているような空間だ。「先進国ドイツ」のイメージとは程遠い。
そして、レインボーフラッグがはためく街で、自分を表現し、デモに参加し、時に快楽に溺れ、夢を語る。明日のことは語らない。それは私が思っていた「真面目なドイツ人」とは程遠いものだった。
ベルリンとは結局何なのか。それはドイツでもヨーロッパでもなく、ただベルリンという別の惑星なのだ。
