──本記事はあくまで現地観察および記録を目的としたものであり、特定の思想を支持するものではない──
3月中旬。ベルリンにもようやく春の季節がやってきた。春といえばデモとテクノパーティー。寒くて暗い冬を乗り越え、筍のように人々は次々と街へ繰り出す。
「今日の10時からネオナチのデモあるけど、一緒に行く?」
そう、友人から誘われた。ベルリンらしい週末の過ごし方だと、苦笑いし、デモ会場であるポツダム広場へ向かった。
週末の繁華街を封鎖
ベルリンでは、ネオナチ(右翼)がデモをやるとなると、必ずセットで左翼デモもついてくる。嫌なハッピーセットである。
ポツダム広場は、東京の六本木みたいな場所である。Sバーンのポツダム広場駅から歩いて5分ほどの場所には、ベルリン・フィルハーモニーがある。近代的な高層ビルやショッピングモールが建てられ、資本主義の香りをおしとやかにまとっている。
東西統一後、こうしたビルや広場が再開発計画で作られたが、それも頓挫したらしく、街はどこか寒々しさを感じさせる。ベルリンの夢と挫折が行き交う場所だと個人的には見ている。
そうしたベルリンの繁華街は、デモのため警察によって交通規制や地下鉄の入り口が完全に封鎖されるなどしていた。駅の中心部を起点に、ここからネオナチがデモ行進をする。デモはなんと8時間に及ぶという。

警察によって封鎖されたポツダム広場駅周辺
出動している警察は100人を超えるだろうか。商業活動が盛んな週末に、繁華街を封鎖してまでデモをやる姿に、デモ素人の私は違和感を覚えた。この町は経済よりも政治なのか。
ドイツと日本の戦争の捉え方
駅前を出発し、数十名からなるネオナチたちは、のろのろと道路を歩いて行った。道路の両側では、左翼陣営が「ナチスは出て行け」と大声で叫んでいる。

ベルリンフィルハーモニーの前をゆくネオナチ。葬式の参列のようにしんみりと歩いている

ネオナチを追っかける鼻息荒い左翼たち。左翼が右翼側に突撃しないように、警察が人の壁を作り警戒している
ナチスの時代はすでに終わった。日本で生きていた時、特定の日を除けば、日常的にあの戦争を思い出すことは少ない。
しかし、ドイツでは日常的にあの時代のことを思い出す。人々はやたらと「ナチス」を口にするし、道端には「ナチス出て行け」と言ったステッカーなどが貼られている。正直言って、この町では友達に会うよりも、ナチスという言葉に出会う方が頻度は高い。ドイツはあの悲劇を忘れない、繰り返さないをモットーにしている。

左翼たちは「FCK NZS(ファックナチス:ナチスクソ喰らえ)」と書かれた旗やレインボーフラッグを振っている
我々は警察の包囲網をかいくぐり、右翼のデモ行進に参加していた。周りは全員白人しかいない。多様な人が住むベルリンだというのに。気づけば、ネオナチたちが
「あれ誰・・・?なんか変なアジア人いる・・・」
とざわつき始めた。ネオナチを取り囲む、メディア関係者もこちらにカメラを回し、「なぜ?」という疑問を顔で投げかけている。
デモの引率者みたいな人物が現れたので、事情を説明する。こちらが日本人だとわかると、「確かに日本は、第2次世界大戦で同盟組んでたもんな。うんうん」と勝手に納得し、我々はそこにいることを許された。ベルリンで初めて日本人であることが役立った瞬間である。

黒服とスキンヘッドは、ネオナチのトレードマーク。参加者は10代~20代の若者が多かった。赤黒白からなるドイツ帝国時代の旗を掲げていた
メディアの人間たちは、「日本でも外国人が問題になっているの?」だとか「なんで、(右側にいるはずのない)君たちが右側にいるの?」とひたすら、我々の存在意義を考えあぐねていた。なので、「単に興味で来たんです」などとは言いづらい雰囲気となってしまった。
日本語を話すナチス信奉者
「日本人ですか?」と、突然デモ参加者のドイツ人から話しかけられた。初老に見えるが顔は若々しい。行進隊で唯一、スーツをビシッと決めていた人物である(ベルリンでは東京で芸能人に会うぐらい、スーツを着てる人を見るのがレア)。
「俺のことはナチスって呼んでくれよな☆」
ひえっ!?
話を聞くと、元エンジニアで日本に住んでいたという。そしてヒトラーを崇拝するあまりに、ベルリンの刑務所にも入っていたという(ドイツではヒトラーやナチスを崇拝するような行為・言動を公共の場ですると逮捕される)。
「ムショの暮らしはどうでしたか?」
「1年ちょいいたんだけどね、ドイツ人受刑者は俺一人だけでさあ」
自分以外の受刑者は、ほぼ移民であったという。ナチス崇拝で刑務所に入ったというのに、懲りずにYouTubeでナチス思想を広めようとしていた。
「いや〜YouTubeに動画をあげたんだけど、13回バンされて。14回目でやっと成功したよ〜☆」
突然、彼は後ろにいた参加者を指さした。更なる初老が歩いていた。
「彼の親父はね、ヘス(ナチ党の副総統ルドルフ・ヘス)の世話役だったんだよ。ほら、彼イギリスに亡命とかしてたでしょ。その手配を手伝ってたんだよ。俺も、そうしたかったけど、あの時はまだ生きてなかったから」
まるで伝説にアイドルに会えなくて悔しい、と言わんばかりである。
話が盛り上がったのと、デモでお腹が空いたため、我々はなぜか”ナチス”と寿司屋に向かった。ベルリンは左派が多い町なので、人目を気にしつつ、我々は声をひそめながら話していた。
彼はやっぱりホロコースト否定派だった(ちなみにホロコースト否定することもドイツでは違法)。
パラレルワールド発動。
ホロコーストがあった世界と、なかった世界。
ナチスを崇拝する世界と、ナチスを弾圧する世界。
しかしあらゆる世界も中に入ってみれば、予想とは全く違う世界が広がっている。
ネオナチなど、遠いものだと思っていた。正直、私など存在しているだけでぶん殴られると思っていた。しかし実際には、ぶん殴られることもなく、なぜか歓迎された。さらには左翼から攻撃されないように、ささやかな配慮もなされた。
特にナチスのおっちゃんの話を聞いていると、身に覚えのある感覚。そうだ、日本の右翼に話を聞いた時のことを思い出した。過激な思想を持つやべえやつかと思いきや、芯が通った律儀な印象を受ける。その思想に賛同することはないが、個人として対話をすることはできる。
政治発言をするリスク
右であれ左であれ、デモに参加することは一定の社会的リスクも負うことになる。同じく参加した知人のドイツ人は、「ここにいたら仕事なくなるかも」など冗談めかしていうし、移民の我等アジア人は「ビザ延長の申請おりないかもな」などと話していた。
このブログを書くことも同じだ。民主主義の国にいても、特定の発言は規制の対象。政府への批判が厳しく取り締まられるUAEで、政府への疑問を書いた時と同じ緊張感。政治的な発言は、リスクを伴う。特に私のような脆弱な滞在者のような立場なら、なおさらだ。
それでも、発言しない安全性より、発言するリスクを取りたい。
知らない世界を、知らないまま終わらせるよりはマシだ。

