45度の灼熱下に人間はどれだけ耐えるのか。新記録への挑戦

ドバイではすでに日中はだいたい45度ほどの日々が続いている。

けれどもそんな中でも人々は粛々と生活している。

決して日本のマスコミのように、レポーター:「な、なんと熊谷で36度を観測しましたー」、スタジオ:「ギョヘー!」といった茶番劇が行われることはない。

むしろ誰もこの暑さに驚かない、そして話題にしないことで「ああ、これが当たり前なんだ」と世間という名の大衆に巻かれやすい日本人は、大人しくその暑さを受け入れる。

40度を越えると外を自由に出歩くことが困難になるのは言うまでもない。

けれども、タクシー費節約のため時には歩かざる得ない時がある。そんな時にやっているのが、灼熱下に耐えうる新記録への挑戦である。

果たして人間はどれほど45度近くの外気で耐えうるのか。これが私の実験テーマである。

ドバイは乾燥しているので湿度はだいたい30~40%程度なのだが、しばしば100%に達することになる。

100%になるとどうなるのか。身近な現象で言えば、メガネが曇るのである。果たして日本一暑いとえばる熊谷でそんな現象があっただろうか。いやないだろう。

不快と言えば不快なのだが、湿度100%の夜はサウナナイトと決めてまるで外に行けばタダで気の行くまでサウナが楽しめると考えれば嬉しいものである。

サウナナイトを楽しむために、ドバイで深夜徘徊をしている人間をみかけたらそれは私である。

実験に話を戻すと、実験の舞台は実験の公平性を維持するためにもっとも気温が高くなる12時から15時と限定して行っている。

朝の通勤時間帯でもすでに40度近くになってはいるが、昼の気温と比べればまだマシな方である。記録更新のためには、もっとも厳しいとされる時間帯を狙う必要がある。

ちなみに日中の暑さに対するドバイの人々のリアクションをご紹介しよう。

メンズでも暑さに耐え兼ね、日傘をさしている。もはや日傘は紫外線ではなく灼熱から身を守る命の傘という使用法が一般的なドバイである。

暑さゆえ外でバスを待つことを諦め、駅内に自主避難し立ち尽くす群衆。

はじめはその暑さに耐えきれず、5、10分が限界だった。その時点ですでに汗が滝のように流れ、呼吸もしにくい。頭もなんだかふらふらする。命への危機警報が発動してしまう。

けれども現代を生きる我々が45度の灼熱ごときに負けてはいけないのだ。なぜならドバイの街が砂漠だった頃。

この地に住んでいたラクダを乗り回していたノマドたちは、見事それに耐えて生きながらえていたのである。

ラクダ乗り回し族ができるならば、私だってできるはずである。それができないということは、ラクダ乗り回し族に敗北したことになる。それは許されることではない。

はじめて30分の長距離に挑戦した時には、あまりにもきつすぎて途中の休憩所(バス停)に寄り、適宜休憩を取らなければ挑めない距離であった。


ドバイのバス停

しかし命のバス停とはいえ、当たり外れがある。当たりのバス停はクーラーがガンガンに聞いているが、ハズレのバス停はクーラーが聞いていない単なる蒸し地獄なのである。

時には、その辺の家具やら車のショールームに涼を求めて駆け込みたくなる。けれどもそれをぐっと堪える。

家具も車も買う気がないただの涼み客だと思われるのも気まずいからだ。しかしそんな恥を捨ててまでも、命の危険を感じて駆け込みたくなるのがドバイの暑さなのである。

しかし何度か数をこなせば、免疫ができるようで次第に10分、20分と休憩なしで歩けるようになった。

今のところ最高記録は33分である。まだ夏は始まったばかり。

次は50度の灼熱に挑戦して記録を伸ばせるようにしていきたい。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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