転勤族になって理解できなくなった日本の価値観

私はなんの集団にも社会からレッテルを貼られる集団にも属している覚えはないが、あえていうとしたら「転勤族」である。なんで「族」をつけてしまったのかは謎だが、とりあえず族の名にふさわしく、親の都合で生まれた時から転勤している。そんな転勤族であるがゆえに、いまいち理解できない価値観に疑問を投げかけたい。

なぜ地元の話をするのか?

日本人の会話でよく出てくるのが、「自分の地元は〜」とか「地元はどこなの?」というものである。地元というのは、生まれ育った場所というのを意味するらしいが、私にとってそんなものは存在しない。出身の話をすると、だいたいの人がそこで生まれて長く住んでたのね、という前提で話してくるが、この話はどうもあわせにくい。なぜなら「出身は?」と聞かれたら、「広島」と答えるが、広島について詳しい地理の話になった日にはもはや太刀打ちができない。広島は単に生まれただけの場所でそこで生活した覚えはまったくないからだ。


なので同じ広島!といっても相手に対してあまり親近感はわかないし、自分もここ最近では出身地を広島ではなくて人生で最長の5年を過ごした名古屋にしようか、とも考えている。ただ外人に「広島生まれ」だというと、世界は広島=原爆だと思っているので、「え!あの広島で生まれたの!?」と下手すると東京よりも結構ウケがいい。なので外人に対しては「広島出身」ということにしよう。

ということで幼いうちから転勤族だと、地元の話にのれないのが難の1つである。

なぜ1つの土地に固執するのか?

それは、自分の故郷への愛着心。そして持ち家を持つということだ。3.11があった時、しきりに多くの人が「自分の故郷に帰りたい」といっている報道を目にした。1つの土地に固執しない人間になってしまったため、「なぜ元の場所に帰りたいと思うのか?」「新しいところでもいろんな発見があるのだからそれを楽しめばいいのに」と思ってしまうのである。

なぜマイホームを持ちたがるのか?

賃貸で生きてきた転勤族のため、1つの土地に腰をすえると同等の意味に近い、自分の家を買ってマイホームを持つ、という感覚は全く理解できない。むしろ1つの土地に縛られてしまうのでは、という恐怖感のほうが強い。だから毎年ローンを払ってでもマイホームが欲しい、武蔵小杉の高層マンションの部屋を買う、といった行動はなかなか理解できない。うーん、そんな高価なものを買わなくても、そこそこのいい賃貸で十分じゃない?しかも都心は空き家が増えてきているというし。

なぜモノを持つのか?

これは旅人にも共通するかもしれない。最近の言葉で言えばミニマリストの感覚に近いかも。とにかく転勤族は移動が多いので、引越しというイベントが発生するたびに、持ち物の仕分けが発生する。その度にものが減っていく。しかもモノが多いと引越しの準備も大変になるし、ならば必要最低限のものだけにして移動を楽にしたい。ということで身の回りには日常生活で必要最低限必要なものしか置いていない。モノに埋もれている家を見ると、引越ししたらいいのに、といつも思う。長年住んでいると、モノが溜まっていくこれは真理だと。

就活やら仕事では、「転勤」というのはどちらかというとネガティブな意味として捉えられている場合が多いと思う。しかし、転勤族になっちまえば意外に人生は軽快に身軽になるんじゃないかと、族の1人としては思う。