シャルジャにやってきた目的は、ある本屋を訪ねることでもあった。
本屋ならドバイの中心街にある紀伊国屋が一番品揃えがいい。しかし、もうちょっとマイナーな本も見て見たいということで訪れたのが、アラビア語やイスラーム教関連の書籍を扱う「ダール・アル・サラーム(Dar Al Salam)」という本屋である。
眼差しの違い
事前に調べたところによると、本屋は13時半から昼の礼拝兼休憩に入る。再び開店するのが16時からだが、現在の時刻は13時前。
すでに「礼拝のためクローズ」というプレートを掲げる店も。タイミングは個人次第らしい
ずいぶん長い昼休憩を取るなあと思いながらも、ここは早く訪れておきたいと、小走りで店になんとか到着。しかし、並んでいた本はすべてアラビア語。店主もアラビア語しか話さないようで、会話があまりはずまない。
シャルジャで聞こえてくる音は、ドバイのそれとは違う。とにかくアラビア語の音が圧倒的なのだ。店員と客の挨拶もアラビア語だし、挨拶だけしにやってくる人々もいる。
それと同時にこちらへ向けられる眼差しもドバイのそれとは随分違った。女一人で歩いているということが珍しいのか、それとも私が挙動不審な動きをしているせいかはわからないが、とにかく道行く人の視線をビシバシ感じる。
視線ぐらいであれば、こちらの思い違いかもしれない。けれども、町中のモスクを撮影していると、インド人風なおじさんが近づいてきて「なんでモスクなんか撮っているんだ?おまえは報道関係者か?」と訝しげに聞いてくる。
観光客が多いドバイでは、そんなことを聞かれたことは一度もない。モスクの写真を撮る人間が珍しく見えるほど、まだこの町には観光客は入っていないのだろう。
話を戻そう。アラビア語の本オンリーと知った時点で、本屋に対する関心が失せた私は、さっさと店を出たい衝動に駆られた。しかし、それでは恥ずかしいので、私は見栄を張り、いかにもアラビア語できますよ、という顔をして店内をうろつくことにした。
実際には全然分からない。
しかし、コーランもしくはそれに関する本であることはかろうじて分かる。
代官山の蔦屋にありそうな、モレスキン風な装いのコーランや女子が好きそうなピンクのコーランもある。意外と商業的だ。
野郎たちが咲かせる花
本屋を後にして、大通りに出る。するとそこはハニー通りだった。いや、ハニー通りというのは正式な名称ではなく、私がつけたあだ名である。その名の通り、この通りにはなぜかハチミツ屋がずらっと並んでいるからだ。いけどもいけども、ハチミツ屋である。
ちょうど昼の礼拝時間に入ったので、店はクローズドの状態になっている。中を覗き込むと、無造作に置かれた大量の蜂の巣が転がっていた。
ハニー通りから1本奥の道へ行くと、薄暗い通路の脇に仕立て屋があった。
「中に入ってもいい?」
やや好戦的な眼差しを向けるインド人のおっちゃんに少々びびりながら聞く。おっちゃんの英語は明白ではない。こちらの意図もあまり伝わらない。こうした歯切れの悪いコミュニケーションは久し振りである。
「写真なんか撮ってどうするんだ?売るのか?」
「売るなんてめっそうもない。もしかしたらブログに載せるかもしれませんけどね」
おっちゃんの世界にはブログというものが存在しないらしい。ブログというものが何なのかを説明するが、職人気質のおっちゃんに通じたかは定かではない。
おっちゃんの態度がはっきりしないので、私は不法侵入者のごとく中へ押し入ることにした。まあ一応挨拶はしたので、認可された不法侵入者である。
インドのニューデリーからやって来た野郎集団。前から3番目の野郎は、それまではタンクトップだったのに、カメラを向けるとそそくさとシャツを着始めた。見栄っ張りな野郎である
太っちょでお世辞にも綺麗とは言えない指先から、次々と美しい花が開いていく。
このギャップ。たぶん芸人がモテるのもこうした原理なのかもしれない。野郎集団が仕立てているのは、アラブの女性が着るワンピースだという。
「それは最新のデザインだ。頼むから写真を売ったりしないでくれよ」
ちょうど仕上がったワンピースにアイロンをかけながら、おっちゃんが言った。おっちゃんが恐れていたのは、デザインの流出だったのだ。
むしろ、どんどんネットに出していろんな人に見てもらった方が、新しい仕事が舞い込むかもしれないじゃん?とも提案してみたが、やはりそこは頑固オヤジだった。
再び大通りを進むと、デコ車をデコり中のワイルド系なおっちゃんに遭遇。アフガンのおっちゃんの車は、アフガニスタンへの愛で溢れていた。
アンテナを愛車に取り付けているアフガンのおっちゃん。共通言語を持たないため、コミュニケーションを取る方法が言葉ではなく、ジェスチャーとなってしまった
トヨタ車もこの通り。丁寧な仕上がり
動物愛護精神あふれる町
電気街へ行くと、店の前で猫の親子がくつろいでいた。普段は道端の野鳥や他人の犬を見て癒されるほど、動物に飢えている。なのでこうした野良猫を見ると、反射的に写真を撮りたくなってしまうのだ。
「中にもう一匹いるぜ。見てやってくれよ」と東南アジア系の男性店主に誘導され、店内に入る。そこにいたのは、大きな椅子を小さな体で陣取る子猫の姿だった。
生後1ヶ月ほどで、猫の派閥抗争に巻き込まれ、目のあたりを負傷したという。店主が毎日目薬をさして、ケアをしている。
ちょうどこれぐらいの子猫を救えなかった経験がある。当初ドバイに抱いていた気持ちと、ネコへの申し訳ない気持ちが蘇った。
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その他にも町のいたる所で、鳩のエサと水いれが提供されているのを見かけた。エサはまだしも、水まで提供するというこの慈愛に満ちたスピリット。
都市としてのブランドイメージを重視するドバイでは、ハトたちは追っ払われるのがオチだろう。しかし、シャルジャでは野良バトですらも、丁寧に扱われている。
シャルジャという町は、動物愛護精神が非常に高い町だと言えよう。しかし、イスラーム色が強い町ゆえか犬を見かけることはなかった。